2009年3月22日 ~ピーチロードと浪江国見線~

私が住む桑折町阿武隈川沿岸一帯は、広大な桃畑となっている。4月中旬には畑いっぱいに花が咲き誇り、地元では「桃源郷」と称するほどの風景が展開する。1996年には皇太子殿下ご夫妻も訪れたほどであり、毎年4月には「ピーチロードをゆっくり歩こう会」なんてイベントも開催されているぐらいだから、周辺にもそれなりに名の知れた風景のはずだ。
ところが、私自身は、まだこの一帯を訪れた経験がない。町民なのにこれではいけないと思い、今日、歩いてみることにした。午前7時に自宅を出、昨年暮れに開通したばかりの地下歩道で国道4号線をアンダークロス。町で唯一の中学校・醸芳(じょうほう)中学校の脇を通り抜けると、町の東部を占める伊達崎(だんざき)地区に入る。この地区の更に東南部が、桃畑の集中地帯。集落をつなぐ細道をしばらく歩くと急に視界が開け、一帯が桃畑になる。ちょうど1年前、昨年3月30日に歩いた伊達広域農道に架かる昭和大橋の近くだ。
農道を渡り、阿武隈川の堤防に沿って歩く。開花前とはいえ桃畑は桃畑で、木々をじっくり眺めているとピンクに見えなくもない。開花した時にはどうなるんだろうと想像してみるものの、同時に残念な風景が二つほど目に飛び込んでくる。
一つは、畑のただ中に伊達地方衛生処理組合のごみ処理場があること。施設の性質上人家から離れた所に設置するのはやむを得ないと思うが、よりによってこの場所というのはどうなんだろう。そしてもう一つは、桃を栽培する農家による農薬の散布。畔道を行く専用の車両から、霧状の農薬が絶えず散布されている。この農薬が風に乗って付近の人々の健康を害したりはしないだろうか、またこれほどまでのことをしないと桃は育たないものなのだろうか、と、ついつい思いをめぐらせる。
ごみ処理場から1キロほど歩くと、トイレと駐車スペースが登場。特に公園等があるわけではないが、花の時期にこの辺りを訪れる観光客に対応したものであろうか。確かこの辺りの桃畑のただ中に、皇太子ご夫妻が行幸された記念碑があるはずだ。となれば案内表示がありそうなものだが、周囲を探してもなかなか見つからない。阿武隈川の堤防を登り高所からも探してみたが、記念碑の場所は皆目分からなかった。
仕方がないので、行き当たりばったりに畔道に入り、記念碑を探してみることにした。
未舗装の畔道を200メートルほど歩いた先で、記念碑は見つかった。ただしどういう訳か、ビニールシートが掛けられている。どうやら公開時期が限定された記念碑らしい。どうしてだろう?
再び畔道に戻り道なりに進むと、主要地方道浪江国見線へと出る。浜通り中部の地名と中通り北端の地名を冠したこの不思議な名前の道路は、3年前の10月29日に桑折町伊達崎~伊達市梁川町間、昨年4月13日に伊達市梁川町伊達市霊山町泉原間を歩いているが、伊達崎から終点の国見町までは歩いたことがなかったので、この機会に制覇しようかと思う。結局3キロほど歩いたが、沿道風景は1キロほど西を通っている伊達広域農道と大差なく、桃畑も少なかった。
主要地方道の終点を過ぎると、国見町の終点・藤田の宿場町。既に出発してから1時間半が経過していたので至近にある藤田駅から電車に乗って桑折まで帰ろうかなと思いかけるが、結局歩いて自宅へ向かうことにした。これからもうひと踏ん張りと思うと、ちょっとのどが渇いた。今日は水筒類を持参しなかったので、藤田の南端にあるコンビニでジュースを買い、水分補給するとしよう。