2009年5月9日 ~万世大路を歩く~

万世大路(ばんせいたいろ)というと、1881年に開通した福島と米沢とを結ぶ道路(新旧の国道13号線)の愛称であるが、どうも最近は福島・山形県境の栗子峠を越える国道13号線の旧廃道のみを指すイメージが強い。確かに工事において難航を極めたのはこの部分であり、昨今の歴史的遺構への関心の高まりやアウトドアブームを考えればその傾向は致し方ないのかもしれないが、その一方で、福島市街から栗子峠の直前に至る区間については、殆ど語られることがないのが現状だ。
そこで今回は、福島駅から市街の北西にある中野不動尊付近まで万世大路を歩いてみようかと思う。中野不動尊からは、飯坂温泉を経由して、できることなら徒歩で桑折の自宅まで帰ってみたい。予定される歩行時間は3時間40分程度。昨年6月14日に松川駅から飯野町経由で福島市中心部まで歩いた我が散歩の最長歩行記録(3時間47分)に匹敵する長さだ。
当日の朝はゆっくり過ごし、桑折駅発13時12分の電車で福島駅へ。そもそも我が散歩は早朝に歩くものとして企画されたはずだが、昨年11月以降はその前提が大幅に崩れてきている。ついに今回は出発が午後にずれ込んでしまった。
13時28分に福島駅の構内を出、散歩スタート。まずは、福島駅前を南北に縦貫している飯坂街道を歩く。福島交通飯坂線の岩代清水駅付近までは今年1月16日に歩いたルートと全く同じで、新鮮味に欠ける。失敗したな。どうせだったら万世大路の起点を調べてそこから歩けばよかったのにな、と思う。
ところが、ネットで調べても、万世大路が福島市街のどのあたりを通っていたのか、どうも判然としない。「置賜町」(置賜は米沢を中心とした広域名称)「万世町」という地名が現存していることを考えると本町(もとまち)の常陽銀行前の奥州街道が折れる箇所で分岐し、現在のパセオ通りを北上して置賜町万世町、更に陣場町を経由して福島交通曽根田駅付近で現在の飯坂街道に合流していたのではないかと勝手に推察しているのだが。このことひとつとっても、福島の街は自らの歴史に対して無頓着だなと思うし、都市の成り立ちに対してもう少し関心を示してほしいもの。ひいてはそれが都市への愛着へとつながると考えるだけに、残念な傾向ではある。
で、散歩の方はというと、飯坂街道を北上し、福島駅を出て30分後には岩代清水駅前を通過。1月16日はここを左折し福島県運転免許センター方面へと向かったが、今日はそのまま飯坂街道を北進し、松川を渡る。街道の右側には、福島交通の線路。線路沿い、街道沿いということで古くから発展をみてきたのか、沿道にはスプロール現象で成立したと思しき古い商店や家屋が多い。昭和40年代あたりにタイムスリップしたような気分になる。
ただ、沿道にある学校もまた昭和40年代を彷彿とさせる古びた校舎だったりするのは、正直どうかと思う。福島市内の小学校の校舎は総じて古びているのが個人的な印象としてはあるのだが、こんな状況で耐震化、バリアフリー化など切迫している状況に対応できるのか、若干心配になる。
松川を渡りしばらく歩くと、万世大路と飯坂街道とが分岐する。地図で確認するとすぐにわかるのだが、分岐点は、直線する万世大路に対して飯坂街道が右手に折れ曲がって枝分かれするという形になっている。ところが現在の交通量は明らかに飯坂街道の方が多く、道路自体の扱いも、福島駅前からこの分岐点を経由して飯坂温泉に至る道路が主要地方道福島飯坂線であり、分岐点以北の万世大路は県道折戸笹谷線。しかも県道は分岐点から2キロほど先で左に折れてしまい、そこから先の万世大路は市道となる。というか、私自身福島駅から分岐点までの道路を「飯坂街道」と呼んでいるのが、歴史的に見たらおかしい。飯坂街道の起点はあくまでここの分岐点のはずなのに。
そんな具合でかつての幹線道路にふさわしい扱いを受けていない万世大路ではあるが、分岐点からしばらくの間は住宅街。ヨークベニマルなんかもあり、それなりに賑やかな通りではある。それより何より、スプロール現象で拡大した街並みを一直線に突っ切っているのが痛快だ。この部分にのみ、万世大路の矜持を感じることができる。
1キロほど歩くと、左手に田んぼが展開する。水が張られており、農家の方々が田植えの準備で忙しそうに働いている。そんな田んぼの一角に、福島市役所信陵支所の建物が見える。比較的新しい建物だ。福島市は小学校の改築には金をかけないのに支所の建物は結構新しいものが多かったりするから、首をひねってしまう。もっとも信陵支所の場合は、1994年に笹谷、大笹生(おおざそう)の各支所及び清水支所のうち松川以北の地域を再編する形で新しく発足した支所なので、建物が新しいのは当たり前のことなのだが。ちなみに、同様の経緯で発足した支所としては、1993年に瀬上、余目、鎌田の3支所が統合して発足した北信支所がある。
支所近辺では右手は住宅地であったが、更に1キロほど歩き東北自動車道をアンダークロスすると、ほぼ農地一色の景色となる。右手遠方には、福島飯坂IC付近に展開する建物群がハッキリと見えている。この辺、モータリゼーションから取り残された道路の悲哀を感じるが、さすがは「大路」のなれの果てだけあった道幅だけは広く、歩道も両側にきちんと整備されているので歩きやすいのは助かる。
両側の農地は、東北自動車道近辺では田んぼが多かったが、歩くにつれて果樹園が徐々に増えてくる。この先にある大笹生の集落でフルーツラインと称される主要地方道上名倉飯坂伊達線と直交する影響もあるのだろう。リンゴ畑と桃畑の比率が高い。
その大笹生の手前にある丘の頂上近くに、ちょっと気になる寺社風の建物がある。塩竈神社という名の神社らしい。宮城の鹽竈神社の分社だろうか。参道の石段は万世大路から登れるが、途中に大きな釜が奉納されているのが非常に印象的だ。これは、宮城の鹽竈神社には存在しない。
フルーツラインを横断した先は、にわかに上り勾配となる。登った先にあるのが、十六沼公園。大規模なサッカー場やテニスコートが整備され。福島市にとってはあづま総合運動公園に次ぐスポーツのメッカだ。今日もまた、小学生や中学生が、グラウンドを埋め尽くしている。また、公園名の由来となった十六沼周辺も、家族連れで賑わっていた。
十六沼公園の敷地を過ぎると、万世大路の道幅は急に狭くなる。歩道そして車道のセンターラインが消え失せ、非常に歩きにくくなる。勾配もまた、小川(という名前の川)を渡るためにいったん急激な下りとなった後、川を渡ると今度は登りの急勾配。この勾配を登った先になるのが、中野不動尊である。日本三不動を自称している割には周囲には人家も殆どなく、ひっそりとしていた。私もまた、ここに立ち寄る予定はなく、入口を一瞥しただけで歩を先に進める。
当初の予定では、不動尊の少し先にある堰場の集落で万世大路と別れて右に折れ、国道13号線から飯坂温泉へと進む予定であった。しかしここで、失敗をしてしまう。堰場の分岐点がどこにあるのか分からず、万世大路を直進してしまったのである。結局、堰場の1キロほど西にある瀬沼の集落まで歩いて国道13号線に出ることになった。自分のミスとはいえ、往復2キロも余計に歩くことになりちょっとショック。身体の方も、脚がちょっと痛くなってきた。桑折まで歩き通せる自信がなかったので、予定を変更し、飯坂で散歩を打ち切り電車で桑折まで帰ることにした。お金はかかってしまうが、仕方がない。
意外に通行量が少ない国道13号線を3キロ近く歩き、高取の交差点から県道中野梍町(さいかちまち)線へと分け入る。分岐直後こそ沿道は農村地帯だが、2キロほど歩くと新興住宅地が展開するのでちょっと驚く。この辺りは飯坂の温泉街の周縁。宿泊施設がバタバタ潰れゴーストタウンの様相を呈している飯坂であるが、ロケーション的には福島から近い上に交通の便も良いので、ベッドタウンの適性は備えていると言える。沿道には住宅の他にもロードサイドショップが数件進出し、皮肉なことに福島市役所の飯坂支所も移転新築されていた。温泉だけにとどまらない飯坂の新しい顔を見た気分だ。