2009年6月13日 ~文知摺観音を経て保原まで~

ここ1ヶ月、休日に所用が入ったり連休が取れても雨だったりで、散歩に出掛ける機会を得ることがなかなかできなかった。振り返ってみると、4月、5月ともに1回こっきりしか散歩に出ていない。昨年までと比べるとかなり鈍いペースだ。
もっとも、この背景には、今年の散歩の基本方針が未だしっかりしていないというのもあると思う。一応、信達地方でこれまで散歩に訪れたことがなかった旧町村を歩いてみたいという希望は持っているものの、なまじ自宅から近くいつでも出かけられるという気持ちがあるせいもあり、今日もお昼まで家でダラダラ。結局、前回同様、自宅を出たのは午後1時過ぎのことだった。
ちなみに、今日の散歩先は、福島駅から県道山口保原線を通り、伊達市保原町までを予定している。これまで散歩で訪れたことがなかった旧伊達郡富成村を、道中経由することになる。
桑折駅から電車に揺られ、福島駅に到着。街を訪れるお客さんでそれなりに賑わっている構内をしばらくウロウロし、キリ良く1時30分ジャストに散歩スタート。今や商店街から飲み屋街へと変貌してしまった駅前通り、金融機関が立ち並ぶが故に休業日の今日はひっそりとしている大町、全体的に昭和の雰囲気が色濃く残る県庁通り、上町、北町と歩き、国道4号線を渡る。ここまではほぼ奥州街道に一致したルートであり更に街道を歩きたければ国道を渡ったすぐ先のT字路を左折することになるのだが、今回は直進することにした。阿武隈川に程近い上浜町、腰浜町、東浜町、堀河町といった地域はこれまでクルマでもほとんど訪れたことがなかったので、この機会に歩いてみたかったのだ。
奥州街道と別れ、まずは上浜町の住宅街を歩く。特に変哲のない住宅街だが、福島城(現在の福島県庁の位置に所在)に程近いのに、城下町につきものの蔵造りの建物や短冊状の住宅区画が全く存在しないのが逆に目につく。実はこの地域はもともと福島の城下町ではなく、1904年に当時の信夫郡福島町に編入された経緯を有している。道路の幅が狭く、住宅の面積も総じて小ぶりなことから推察すると、恐らく福島の市街地の拡大に伴い、スプロール現象で都市化したのであろう。
共学化や特進コースの新設、更には今年に入って付属中学校を新設するなどとここ数年福島の進学シーンの話題を独占している福島成蹊高校の脇を通過し、国道114号線を横断。次に歩くは腰浜町の住宅地となる。こちらは上浜町と比べると道路も整備されており、新しい住宅も目立つ。また、住宅がびっしり建て込んでいる訳ではなく、ところどころに畑もあったりする。これはちょっと意外だった。
そんな不思議な地域の一角に、福島成蹊中学校の真新しい校舎があった。校舎にしてはかなり小ぶりであり、しかも校庭、体育館、プールといった学校につきものの施設がない。従って、進学塾か専門学校を連想させる外観であり、こんなのでまともな学園生活が送れるのか、若干の疑問が残った。
三本木橋のたもとをかすめ、東浜町・堀河町へ。ここから再び、道路の幅が狭くなる。この辺りの都市開発は、上浜町→東浜町・堀河町→腰浜町の順で行われたのだろうか。その証拠という訳ではないけれど、このあたりには保育所や市民プールなど福島市の行政施設がいくつか所在するのが特徴だ。ついでに言えば、福島交通の本社も東浜町に所在し、広々とした駐車場にたくさんバスが停まっていた。
この種の施設は歓迎すべきものの部類に入ると思うけれど、東浜町・堀河町にはどういう訳か福島市の下水処理施設もあったりして、これが厄介者。特に今の時期は周辺に悪臭を撒き散らしており、周辺住民の受忍も限界に達しているものと推察される。住宅街のただ中にこの種の施設があるのは明らかにおかしいので、福島市には一刻も早い移転を要望したい。さしあたって、国見町にあるアクアクリーンあぶくまあたりに処理を委託することはできないものだろうか。
堀河町を過ぎると、国道115号線に合流。ここから先は国道を歩き、阿武隈川に架かる文知摺(もちずり)橋を渡り、対岸に出る。渡った先は、完全に郊外の風景。阿武隈川は福島の街の外堀としての役割を果たしているようだ。
郊外ということもあり、対岸には見どころというか、気になるスポットは少ない。阿武隈川の河畔は冬場になれば白鳥が多く訪れ見物人でにぎわうがシーズンオフの今は閑散としているし、他にあると言えば、川から1.5キロほど東にある文知摺観音ぐらいだろうか。一応、「古今集」などでも詠まれた歌枕であり松尾芭蕉も来訪し「おくのほそ道」で一句詠んだほどのスポットではある。が、現在の文知摺観音は、そんな栄光の歴史とは裏腹に、ひっそりとしたもの。門前には営業しているのかどうか微妙な土産物屋が1軒あるきりで、来訪客の姿も全然なかった。
文知摺観音から先は、県道山口保原線を歩く。地図で見る限りクルマがやっと通れるほどの細道と推察されたのだが訪れてみるとその通りで、加えてつづら折りの峠道でもあった。沿道風景も、行けども行けども雑木林。行き交うクルマも殆どなく不安な気持ちを抱えたまま、息を切らしながら上り坂を歩く。
30分近くは歩いただろうか。ようやく分水嶺となる。ちなみにここが、福島市伊達市との境界線。下り勾配となり足取りも軽やかになる。
そして驚いたことに、市境から500メートルほど歩くと、道幅が一挙に広がり、センターラインに歩道まで設けられたかなりしっかりしたものになる。沿道は相変わらず畑すらない雑木林、当然人っ子ひとりおらず頭上をカラスが不気味に飛んでいる所なのに、である。福島市の下水処理行政に引き続き、今度は福島県の道路行政に疑問を呈する次第。そんな不必要に快適な道をしばらく下ると、ようやく集落が見えてきた。面白いことに、集落に入った途端に、センターラインも歩道も消え失せた。しばらく歩くと、Aコープのお店を発見。文知摺観音門前の土産物屋以来、約1時間ぶりのお店。喉が渇いたので、自動販売機でスポーツドリンクを調達する。
その後も農村風景をしばらく歩く。インパクトの乏しい風景だが、道中で信達三十三観音の二十六番札所・専且寺(せんだんじ)観音と二十七番札所・寿徳寺(じゅとくじ)観音の前を相次いで通過する。そう言えば、文知摺観音もまた信達三十三観音の二番礼所だから、今日一日で三つも観音様の前を通過した次第。御朱印帳でも買ってきて持参すれば良かったかなと若干後悔する。
寿徳寺観音の前を通過し、田んぼの中を1キロほど歩くと、前方に工業団地が見えてくる。その中核をなす富士通アイソテックの工場をはじめ、区画を広く取った工場が多いのが特徴だ。ここを過ぎると、終点の保原駅はもうすぐだ。