2009年6月27日 ~再び知人宅まで~

昨年11月15日にバーベキューをご馳走になった知人宅から、再びバーベキューのお誘いがあった。
二つ返事でOKした次第だが、笑えたのは、私が歩いて訪れるであろうことを予測していたこと。「シャワー用意してますよ」などと気の利いたコメントまで頂戴してしまう次第。ここまで期待(?)されているのであれば、歩かねばなるまいと一人気勢を上げる私。
ところが、福島市街のちょっと北にある知人宅までの散歩ルートは、意外に悩みどころ。この地域までの散歩は今年1月24日にもしているので、ネタがないのである。結局、ちょっと悩んだ末に、国道4号線と福島市道北沢又丸子(まりこ)線を経由することにした。奥州街道は何度も歩いているけれど、その末裔とも言える国道4号線は、旧伊達町以南は意外なことに未踏破だったのだ。
今は梅雨であるが、当日の天気は快晴。天気予報を見ると、福島の最高気温は34度となっている。いつもだったら強引にでも私を送り出す妻が「大丈夫?」と心配するぐらいの好天ぶりだ。妻には「多分、大丈夫だよ」と答え、9時15分に自宅を出発。
桑折町の中心街を通り抜けて、国道4号線へ。旧伊達町までならば前回の散歩でも歩いたし、クルマで何度も通った道だから、沿道を見る目にも気合が入らない。
そんな時、妄想にふけることがあったりする。今日の妄想は、東京・日本橋から我が家まで奥州街道を歩き通したら何日かかるか、というもの。1日ぶっ通しで歩いたら、30キロぐらいは歩けそうかな。すると、こんな行程になりそうだ。

初日…東京~春日部(粕壁)
2日目…春日部~古河
3日目…古河~下野市石橋
4日目…下野市石橋~さくら市氏家
5日目…さくら市氏家~大田原
6日目…大田原~白河
7日目…白河~安積永盛(笹川)
8日目…安積永盛~安達
9日目…安達~桑折(自宅)

更に桑折以北も妄想してみよう。

10日目…桑折~大河原
11日目…大河原~仙台
12日目…仙台~…

仙台以北は奥州街道至近を通る公共交通機関の便が悪いからどうしようかな、と思案していたら、眼前には摺上川。旧伊達町を通過し、もう福島市に入っていた。あっさりと川を渡ったが、これで、摺上川に関しては、阿武隈川との交流点から飯坂の温泉街に架かる十綱橋までのすべての橋を渡ったことになる。
その後もロードサイドショップばかりが建ち並ぶ国道を歩く。陽射しは相変わらず強く、容赦なく私を照りつける。妻の心配が現実のものになりかけるかなと不安になりかけた頃、北沢又丸子線との交差点に差し掛かった。
ところで、今北沢又丸子線と無機質な道路名を書いたが、この道路のうち国道4号線との交差点から国道13号線との交差点までは、沿道にある福島商業高校の名に因んで「福商通り」と呼ばれている。歩いてみるとなろほど。歩道には青々と街路樹が茂り今の私にとっては優しくまた心強くもある木陰を提供しているし、沿道の商店も学校に配慮してかあまりケバケバしくなく落ち着いたデザインが多い。一口に文教地区と言っても実のところどんな地域だか想像がつかないものであるが、要は、学校の存在が街のあり方にも影響しているということであろうか。その意味では、福商通り近辺は、周囲の街とは一線を画しているような気がした。
国道13号線を渡ると、沿道は新興住宅地へと変わる。家並みも歩道もきれいで立派なものになるが、福商通りのような「柔らかさ」は感じない。もう一度周囲を見渡すと、街路樹がまだ若木で木陰を形成するほどには育っていないことに気付く。あと十数年経過し街路樹が成長すれば、この街の様子も多少は変わるのだろうか。