2009年8月15日 ~奥州街道再散歩① 桑折から越河まで~

次回の散歩はどこにしよう? いろいろ考えた末、3年前に歩いた奥州街道を、再び歩いてみることにした。
ただし、歩くにあたって一つ条件をつけた。それは、前回より一駅長い距離を歩くこと。例えば、3年前の8月19日に桑折駅付近~貝田駅間、翌8月20日桑折駅付近~福島駅間を歩いたから、今回は桑折駅付近~越河駅間および桑折駅付近~南福島駅間を歩こうという次第。こんな感じでルート設定をしていくと、

1回目 桑折駅付近~越河駅
2回目 桑折駅付近~南福島
3回目 越河駅~北白川駅
4回目 南福島駅~二本松駅
5回目 北白川駅~岩沼駅
6回目 二本松駅~日和田駅
7回目 岩沼駅太子堂駅
8回目 日和田駅須賀川駅
9回目 太子堂駅泉中央駅
10回目 須賀川駅~泉崎駅
11回目 泉中央駅大和町吉岡
12回目 泉崎駅~白坂駅

となろうか。もっとも、10回目以降の行程は、実際にできるかどうか正直わからない。
それはともかく、今日は桑折から越河駅まで歩く。まずは自宅最寄りにある奥州街道羽州街道の追分まで歩き、午前5時ジャストに同所を出発。北に向けて歩きだす。
しばらく住宅と田畑が雑じる風景が展開した後、田んぼの中に出る。ありがちな農村風景だが、奥州街道沿道に関して言えば、こうした風景は意外に少ないように思う。昔のメインストリートだからだろうか。この田んぼもまた長くは続かず、500メートルほどで再び雑木林と住宅の入り混じる風景へ。ここは既に桑折の隣の国見町藤田宿の外延となる集落で、行政的には桑折町だが家々の電話番号は桑折町の「024-582-xxxx」ではなく国見町の「024-585-XXXX」となっている。
東北自動車道の国見ICへ通じ更には羽州街道へと繋がる主要地方道白石国見線を渡ると、藤田の町に入る。桑折と比べると規模こそ小さいが、商店の密度は高く活気面では上と思われる。購買層が福島市近郊の大型店へと流出するストロー現象が、桑折ほど深刻ではないからだろうか。
国見町唯一の中学校である県北中学校の付近で、奥州街道は国道4号線と平面交差。これまで右に見ていた国道を左に見て進む。もっとも、今私が歩いている道は、しばらく歩くと奥州街道から旧国道4号線となってしまう。この辺りの奥州街道は一部が残っているものの未舗装の農道などになっている箇所も多く、ちょっと見にはどこだか分からない。できることなら奥州街道を歩いてみたかったが、今回もかなわなかった。
旧国道は沿道に果樹園が展開する大木戸の坂を登り、駐在所の前で現国道と平面交差すると、貝田の宿場町へと入る。宿場町らしい景観が残っている私のお気に入りの集落だったが、改めて訪れてみるとむしろ農村集落っぽい雰囲気。しばらくご無沙汰している間にイメージが昇華されてしまったようだ。この辺りで、出発から1時間半が経過。集落の北はずれにある貝田駅の自動販売機でジュースを買い、喉を潤す。
貝田駅からちょっと歩くと宮城県。考えてみると、今年の散歩では初めての宮城県入りだ。特に感慨が湧いた訳ではないが、自宅から2時間以内で他県に入れるロケーションは散歩意欲をそそるものがある。
県境付近の奥州街道は並行する東北本線の路盤になっていたりするのでこの辺りは国道4号線を歩かざるを得ないが、1キロもしないうちに次の宿場町・越河へと至る道路が国道から分岐し、奥州街道が復活する。3年前も同じことを感じたが、特に県境付近の家々が立派な宿場町だ。よく見ると、2階建ての旧家が多い。伊達藩最南端の宿場町だけに旅籠でも営む家が多かったのか。それとも養蚕を営んでいたのか。福島県に比べると宮城県は養蚕が盛んではなかったが、越河に関して言えば、桑畑の転作と思しき果樹園を時折見ることができる。
ただし、越河の農地の大半を占めるのは、やはり田んぼ。クルマで国道を走れば両側が田んぼという風景はいくらでも見ることができるが、ここでも奥州街道沿いは田んぼがあまり見られない。今回の目的地である越河駅が2キロほど北に離れているせいもあるが、住宅や学校、農協などの施設が沿道に細長く続いているのだ。おかげで、越河の集落はかなり大きなものに感じられるが、家々をよく見ると廃屋が結構目立っていたりする。痛ましい風景である。
越河駅には、午前7時18分に到着した。