2009年8月19日 ~奥州街道再散歩② 桑折から南福島まで~

前回の散歩は北へ向かったので、今日は南へ向かう。
前回と同じく午前5時に、奥州街道羽州街道の追分を出発。まずは桑折の宿場町を歩く。一口に桑折と言っても追分や桑折駅に近い町北部の上町(うわまち)は宿場町らしい雰囲気が薄く、その南の北町、本町(もとまち)に入ると蔵や旧家が目立ち始める。そういった建物を利用して地域おこしに活用しようとする動きも年々活発になりつつあるのが嬉しい。
伊達郡役所前の交差点を左に折れ、西町の商店街を通り抜けると住宅の密度が薄くなる。が、沿道には何かしらの建物がある場合が多く、前回の散歩の時と同様に、両側が田んぼという状況はなかなか出現しない。左手遠方に時折姿を現す国道4号線は田んぼのど真ん中を通っているというのに。もっとも、桑折町南部の奥州街道に関して言えば、1970年代以降工業団地が造成された経緯があるので、それ以前は沿道に田んぼが展開していたのかもしれない。
その工業団地でも有数の規模を誇る曙ブレーキの工場の正門前を通過。早朝だというのに、通勤する工員と思しきクルマが、何台も工場に入ってくる。今日は平日。3年前に歩いた時は日曜日だったから、彼我の差はこれからも違った沿道風景を見せてくれるだろう。工場の敷地を過ぎると、伊達市(旧伊達町)に入る。ここから今日の終点である南福島駅付近まではほぼ住宅地、市街地が展開するから、今日は奥州街道沿道における田んぼの有無を確認する術はもうない。
旧伊達町は宿場町ではないが、旧家は何箇所か残っている。中には煉瓦造りの塀を構えた個性的なものもあり、町並みにアクセントを与えている。江戸時代や明治時代初期はどんな集落だったのか、逆に興味が湧くところだ。
摺上川を渡り、福島市瀬上へ。ここは奥州街道の宿場町だから、さすがに旧家が多い。にも拘らず宿場町の雰囲気を伝えようとする気風が薄いことを3年前に嘆いたものだが、近年町の南端に「奥州 瀬上宿」の看板が掲げられるなど、徐々にではあるが気運は高まりつつある。せっかく「おくのほそ道」にも登場する宿場町なのだから、もっと盛り上がってほしいところだ。
瀬上以南の奥州街道は、国道4号線の数十メートル西側を並行して通っている。ここでも3年前に国道添いに展開するロードサイドショップやパチンコ屋の裏口が設けられていることを嘆いたが、今改めて歩いてみると、そんな細かいこと気にするなよと言いたげに、奥州街道から寺社への参道が何本か延びているのが目につく。奥州街道に面し国道にお尻を向けている小さい祠もあった。ある意味痛快だ。また、瀬上の2キロほど南にある鎌田に旧伊達町同様旧家が多いのも気になった。電柱に掲示された住居表示を確認すると、旧家がまとまっている辺りは鎌田字「町」と言うそうで、宿場はなけれど古くからそれなりに栄えていたことを伺わせる。
松川を渡河し、信夫山の脇、そして福島競馬場の正面を通り抜けた辺りで、散歩開始から2時間が経過。ここから先が板倉家3万石の城下町だった福島の旧市街となる。城下の玄関は豊田町。3年前はそれらしい街並みだと思ったが、今見るとそうでもない。前回の散歩でもその傾向が見られたが、3年前と今とでどうして印象が変わってしまうのか。風景自体は対して変化したと思えないので、私の心境が変わったのであろう。
福島の城下町は、豊田町から北町、上町(うわまち)、大町、本町(もとまち)、中町、柳町と続く。が、城下町らしい雰囲気を残している地域は殆どない。北町、上町はかつての商店が取り壊されて駐車場になってしまっている場所が多く無残な姿を晒しているし、大町はレンガ通り、本町はパセオ470といずれも新しいコミュニティー道路に生まれ変わってしまった。ただし大町に関して言えば、米沢へと至る街道の分岐点に標識が設けられるなど、城下町時代を将来に伝えようとする努力の跡が見られる。
そう言えば、大町には今年生誕100年を迎えた作曲家・古関裕而の生誕地を示す標識が掲げられていた。福島駅前にはピアノを弾いている古関の銅像もできたという。TV番組などで生前の姿を一応知っている世代としては、このように古関を歴史的存在へと追いやってしまう動きには若干の違和感がなくはない。
本町まではこんな具合であったが、平和通りを地下歩道で渡った先にある中町、柳町に入ると、築100年近いと思しき商店が見られるなど、城下町の雰囲気が目立つようになる。これらの商店の軒先の大半には「楽洛楽生」の看板が掲げられているのが特徴だ。後で調べてみると「楽しい城下町をどうぞ楽しんでください」という意味らしい。今後に期待したい街並みではある。
柳町を過ぎ、荒川を渡る。ここから先は、福島の外延の市街地だ。1980年代前半までは国道4号線だったせいか、沿道にはロードサイドショップやカーディーラーが目立つ。伊達町や鎌田で見られたような旧家は、まったく見当たらなかった。
通勤時間帯にかかっているからか、道路自体も混雑してきている。しかし、よく見ると、福島へと向かう車線のみならず対向車線も混雑している。しかも不思議なことに、南福島駅に近づくにつれ、その傾向が顕著になってきている。いったいどこに向かう人たちなんだろう? 疑問が解消しないまま南福島駅に到着したのは、午前8時ジャストのことだった。