2009年10月14日 ~旧伊達町を歩く~

奥州街道の散歩は前回で終了し、今回からは自宅近辺を散歩することにする。
特にテーマは決めていないが、特定の町や地域を決めてそこで気になったスポットを回ってみる方針だ。奥州街道の散歩と比べるとより「散策」色が強くなる次第。
その第一弾として選んだのが、自宅のある桑折町に隣接する伊達市の旧伊達町。かつて福島県内で最も狭小な自治体であり観光名所にも乏しいのでこれまで通過するばかりであったのだが、個人的に気になるスポットがいくつかあるので、まとめて訪れてみようかと思う。
子供達が学校・幼稚園へと向かうのを見送った後の午前7時半に自宅を出発。自宅近辺を歩くから、前回までのように早起きをせずに済むのは、ちょっと嬉しい。
桑折町から旧伊達町までは奥州街道ないしは国道4号線を歩くのが、恐らく最短のルートだ。が、今日の私はちょっと寄り道をして、奥州街道の一本西を縦貫する通りを南下して町役場の前を通過した後、更に西側を通っている東北本線の線路際に出て、ほたるの郷、つつじヶ丘東ニュータウンなど町内の新興住宅地を通り抜けた。その後は奥州街道に合流して旧伊達町に入ったが、最初から奥州街道を経由した場合と比べて7分ほど遠回りになったようである。
構内にリンゴ畑がある曙ブレーキの工場前を過ぎると、旧伊達町。境界を越えるとすぐに住宅地に入るが、その最初にある交差点を右折し伊達駅方面へと向かう。変哲のない住宅地でひときわ目立つのが、ここ数年福島県内では無敵を誇る高校野球の強豪校として知られる聖光学院高校の校舎。キリスト教系の私立高校だが、校舎から宗教色があまり漂ってこないのは、野球部の存在もさることながらこの学校がカトリックではなくプロテスタント系に属しているせいもあるのだろうか。
しばらく歩くと霊山神社をモチーフとしたという駅舎を有する伊達駅、更に三井ミーハナイト・メタル伊達製鋼所の前を通過し、国道399号線を横断する。後者はかつて伊達製鋼という地場の企業だったはずだが、いつの間にやら大手企業に統合されておりちょっと面食らう。
国道を渡った先は、閑静な住宅地。SSK(清水食品)の福島工場があるのが若干目立つ程度だ。そう言えば、旧伊達町近辺には、東洋水産系のフクシマフーズや不二家サンヨー食品(福島の食品会社)の合弁企業である不二家サンヨーなど、食品加工の工場が多い。いずれも、地元で生産される農産品、主に果物の缶詰加工からスタートし、レトルトフードなどに生産分野を広げているのが特徴である。
更に少し歩くと、諏訪野の新興住宅地に入る。道路に覆いかぶさるほどの街路樹が広がり、家々の境界も塀ではなく生垣が広がる緑多き個性的かつハイソな雰囲気が漂うニュータウンではある。が、であるからこそ、映画のオープンセットを歩くのにも似たある種の違和感を覚えずにはいられなかった。私ごときが口にするようなセリフではないが、いろんな所を散歩して感じたのは、街並みには住む人の意思がある程度反映されているということ。でも、諏訪野は果たしてそうなのだろうか。道路で何人かのお年寄り~恐らく住人であろう~とすれ違ったが、彼らが望んだ街並みだったのか。都市プランナーや建築家のお仕着せではなかろうか…
諏訪野からは東に進路をとり、奥州街道を横断して国道4号線に出、北上する。伊達市内で唯一の4車線区間ということもあり、沿道にはロードサイドショップや飲食店が目立つ。南隣りの福島市瀬上あたりからそうなのであるが、パチンコ屋などのアミューズメント施設が点在しているのも特徴だ。店舗の変遷も激しく、数年前には玩具店だったところがリサイクルショップになり、漬物屋だったところが携帯電話屋になっていた。携帯電話屋の隣には地場の食品加工業者の工場があったが、その業者は潰れてしまい跡地には回転寿司屋がオープンしていた。
再び相まみえた国道399号線との交差点を右折し、阿武隈川に架かる伊達橋を渡る。眼下の河川敷は雑草が生い茂り荒れた印象だが、冬場になると白鳥が飛来し、それなりに注目を集めるスポットとなる。
橋を渡った先の交差点を右折して南下し、今年6月17日に訪れた伊達市立図書館の前を通過。更にしばらく歩くと十字路に突き当たる。ただし十字路と言っても、私の前方は急坂の隘路となっている。旧伊達町で唯一の山・愛宕山の頂上にある愛宕神社への参道である。今日の散歩は旧伊達町づくしなので、ここは表敬訪問せねばなるまい。
舗装された山道をしばらく登ると、愛宕神社の境内に入る。社殿は無人だが結構大きい。賽銭を投げ入れて参拝。改めて境内を見ると、何故か鐘楼がある。いわくありげな神社なのかもしれない。そしてその隣には、伊達町合併30周年を記念して建てられたという塔状の展望台があるのでちょっと登ってみる。なかなか眺望が良く、旧伊達町を中心に福島市北部から桑折町伊達市保原町に至るまで見渡せた。特に驚いたのは、愛宕山の足許に位置する箱崎地区の景観。一面が果樹園なのである。稲刈りが終わり薄茶色の地肌を見せていた他地域とは対照的に、果樹の葉の緑色が映えていた。かつて福島県で首都機能招致に際して「森に沈む都市」をアピールしたことがあったが、その表現を拝借すれば、この辺りは「果樹園に沈むムラ」と言えるだろうか。
ところで、愛宕山伊達市箱崎福島市向瀬上の両地区に跨っており、愛宕神社もまた双方に存在するとのこと。なので、向瀬上側の愛宕神社もついでに訪れることにした。社殿は箱崎側より小ぶり。社殿から少し離れたところに展望台もあったが塔状ではなくデッキ状であり箱崎側ほど眺望はきかない。
愛宕山から下山し、先ほどの十字路を東進。景観には期待はしていなかったがこの辺りの家屋は他地域に比べ比較的規模が大きいのが気になった。周囲に広がる果樹園は明治時代には桑畑であったし、当時の伊達地方は養蚕景気に沸いていたというから、その名残であろうか。
原町という集落にある交差点を左折し、北上。果樹園の中を歩くがその途中に北福島医療センターの大きな建物がある。名前はよく聞くが、間近で見るのは初めて。恐らく、伊達地方では国見町の公立藤田総合病院と双璧の規模だと思う。
三度国道399号線に出てこれを渡って北上。伊達中学校の脇を通る。旧伊達町でもその北の桑折町国見町でもそうだが、いわゆる都市部ではない中学校、特に自治体で唯一となる中学校の校舎は過度に豪華になる傾向にある。伊達地方では成績上位の中学生の大半が福島市内の高校に進学してしまうという残酷な現実があるから、大げさな話ではあるが中学校が地元で最高学府という認識があるのだろうか。伊達中学校もまた、大学生の角帽にも似た塔屋が、どこか誇らしげな雰囲気を漂わせていた。