2009年11月13日 ~福島駅から渡利・大森~

実は、今年の散歩のテーマとして考えていた事項に、信達三十三観音を徒歩で制覇しようかというのがあった。いろいろ調べてみたところ公共交通機関の便が著しく貧弱な札所が複数あったため制覇は諦めたのだが、今年3月10日に訪れた信夫山の羽黒山観音や同じく6月13日に訪れた文知摺観音への散歩は、この計画(?)に沿って検討されたコースではあった。
先日暇つぶしに「通過したことがある札所」を確認したところ、三十三ヶ所のうち二十ヶ所は既に通過済とわかったのだが、肝心の一番札所(福島市小倉寺の小倉寺観音)と三十三番札所(伊達市梁川町舟生の龍宝寺観音)は未踏のまま。そこで、この二ヶ所だけでもと、今回及び次回の散歩で訪れることにした次第である。まず今回は、小倉寺観音を訪れる。
朝、子供達に起こされる形で起床。天気予報では曇りのち雨ということだったのでコンディションが心配されたが、どうにか歩けそうだ。午前8時に自宅を出、桑折駅発8時13分の電車で、まずは福島駅へと向かう。通勤通学のピークは過ぎてしまったらしく、ロングシートに座って悠々と福島へ。構内を出た時刻は8時半ちょうどであった。
福島駅からは平和通りを東進する。第二次大戦中に空襲対策として建物を強制疎開させた空地帯がルーツになっているせいか、道幅が異常に太い。国道13号線にも指定されているからある程度の幅員は必要だろうが、片側2車線で十分だろう。平和通りは福島城の敷地の外延を通過しているので、車線を狭くした部分のスペースを城跡復元のために役立てればいいと思う。ついでに沿道南側に位置し城跡の主要部分を占拠している県庁や福島警察署にも移転してもらえば、より面白いスポットが作れるかもしれない。
そんな妄想を企てながら、阿武隈川に架かる松齢橋を渡り、渡利地区へと進む。ここを通るのが福島駅から小倉寺観音への最短ルートだからであるが、渡利の街の南側に位置する弁天山も訪れたことがなかったので、ちょっと寄り道。ゴチャゴチャした住宅街を通り抜けると、弁天山への入口。私が通った入口は狭く、クルマの通行は不可能のように思われた。ただし、遊歩道が整備され、ちょっとしたトレッキングが楽しめる。目指す小倉寺観音は更に南の丘陵の中腹に位置するので、来るべき上り勾配にむけての練習にはなる。
ひとしきりアップダウンをこなし麓へと降りると、路傍に「信夫の細道」と書かれた石段が待ち受けていた。案内板を見ると、森鴎外の小説「山椒太夫」で主人公の安寿と厨子王は弁天山の上にある椿舘に住んでいたそうで、筑紫に流された父を訪ねにこの道を通ったかもしれないという。「山椒太夫」が実話を下敷きにしているのかどうかは知らないが、古道であることは間違いないらしい。しかも、この道は小倉寺観音へも通じているという。折からの雨で路面は湿っているだろうし今現在も霧雨がポツポツ降り出しているが、思い切って歩いてみることにした。
が、10分も歩くと後悔が先に立ってしまう。古道ということもあり最初のうちは勢い勇んでいたのだが、あまりにも長いこと上り勾配が続くので、すっかり疲れてしまった。息はあがるしメガネは曇るし路面は雨水を吸いこんだ落ち葉がいっぱいでスリップしかねないしで、本当に難儀した。遊歩道として整備されているのかと思いきや、倒木が思いっきり道をふさいでいる箇所すらあった。晴天の日であっても初心者にはお勧めできないコースである。
ようやく細道を通り抜けると、小倉寺観音は目の前にあった。周囲のロケーションを改めて確認すると過去に何度か歩いた国道114号線渡利バイパスからすぐ近くに位置しそちらを歩いた方が明らかに楽だということがわかったが、難行苦行(でもないか)の末にたどりつくからこそ、札所のありがたみが増すというものだろう。と言っても、特に御朱印帳を持参してきたわけではないので、境内に入らずにただ引き返して来ただけなのだが。
さて、これで本日の課題はクリアしたことになる。でも、福島駅から小倉寺観音まではわずか1時間。このところ3時間は歩くのが当たり前になっている我が散歩としてはちと物足りない。そこで、ここから西に歩を進め福島市南西部の大森を目指すことにした。小倉寺観音から大森までのルートは、意外に単純だ。まずは羊腸とした坂道を南に1キロほど離れた新興住宅地・南向台へと向かい、ここから一気に坂を降り、西へとまっすぐ進むだけ。とはいえ、沿道には未踏のスポットがいろいろあり、興味をそそられるコースではある。
実のところ南向台も、これまで訪れたことがなかった。南福島方面からだと丘陵のてっぺんに住宅が立ち並んでいるのがよく見えよくぞこんな所に造成したものだと思うのだが、小倉寺観音から南向台に至っても、あまりにも場違いというか、周囲の雰囲気にそぐわないというか、下界から仰ぎ見るのと別の意味での思いが湧いてくる。
住宅地自体は二階建ての一戸建て住宅ばかりが並ぶ特に変わり映えのない雰囲気。ただし規模は大きく、域内には小学校もある。というか、ここに小学校がなければ、子供達は坂を下って3キロほど離れた渡利の小学校まで行かなければならない。離れ小島のような住宅地だから生活インフラはそれなりに整備しなければならないだろうとは思う。
ところが、住宅地を歩いていると、学校以外の生活インフラがまったく見られないことに気付く。食料品や日用品を扱う商店、内科に歯科医院、床屋に美容室… 徒歩圏内には最低限欲しい施設が、何一つないのである。辛うじて渡利バイパス側の入口にコンビニがあるが、それだけでは全然足りない。ということは、クルマがなければ日常生活すら覚束ないということか。そんな住宅地に住まいを構えるのは島流し同然ではないか。造成した業者の見識を疑ってしまう。
軽い怒りを覚えながら南向台を後にし、両脇に歩道が整備された坂道を降りる。降り切った所に阿武隈川に架かる蓬莱橋があり、ここを渡ると、沿道はロードサイドショップ街へと変わる。この区間の道路は都市計画道路小倉寺大森線として近年整備が急ピッチで進んでおり、現時点では東北本線東北新幹線と交差する箇所だけ工事中であるが、完成の暁には国道115号線と並んで福島市南部を横断する大動脈となる予定である。
だからだろうか。ロードサイドショップも、新しくて立派なものが多い。かっぱ寿司ユニクロなど全国でも馴染みの店も見られるが、いちい、ヨークベニマル、ゼビオスポーツ、ダイユーエイトと、地元資本の店が意外に目立つのが印象的だ。これだけ地元資本の店が集中したのは単なる偶然であろうが、福島県の経済界を挙げて新しい道路を盛り上げようという雰囲気は味わえる。工事中の箇所を遠回りしてやり過ごし、東北本線の西側へ。こちらもまた、ケーズデンキが開店した傍らで、ハシドラッグ、そして再びヨークベニマルと、地元資本の店が目立っていた。
つい最近まで農村地帯であったと思しき住宅地をしばらく歩くと道幅が若干狭くなり、大森の町へと入る。散歩では丸1年ぶり、通算3度目の来訪だが、町の西に位置する城山公園に立ち寄ったことがまだなかったので、ちょっと登ってみる。福島市内でも指折りの花見スポットということもあり、整備状況は思ったよりも良かった。ただ、これまで山道を歩き続けたツケが回っていたのか、たいしたことない坂なのにちょっと歩いただけで息が上がった。
登り坂の途中にある信達三十三観音の五番札所・城山観音で小休止し、改めて坂を登ると城山公園。花見スポットらしく芝生が広がる中、物見櫓が建っていたのが印象的である。「この建物は時代考証により復元したものではありません」という正直なコメントが掲げられたその物見櫓に登ってみると、霧雨模様の曇天にも関わらず、東西南北どの方向でも信達平野がはるか遠くまで見渡せた。