2009年11月17日 ~高子から梁川まで~

前回の散歩で信達三十三観音の一番札所・小倉寺観音を訪れたので、今回は結願の三十三番札所・龍宝寺観音を目指すことにする。
龍宝寺観音は伊達市梁川町にあり、自宅から歩いて行ける距離にあるにはある。が、自宅から梁川までは既に二度ほど歩いたことがありルートが重複してしまう恐れがあるので、東北本線から阿武隈急行へと乗り継いで伊達市保原町高子駅まで行き、そこから主要地方道福島保原線(保原街道)及び国道349号線を通って梁川まで行こうかと考えた。ちなみに、高子駅のすぐ近くには伊達氏の始祖・伊達朝宗の居館とされる高子館跡があり、龍宝寺の隣には伊達氏の総鎮守であった梁川八幡神社がある。また、そもそも梁川は伊達氏が少なくとも一世紀にわたって本拠を置いた城下町である。ついでに言うと、高子館跡にも八幡神社があり、この神社は鎌倉の鶴岡八幡宮から高子に勧請された後梁川、桑折西山、再び梁川へと伊達氏と変遷を共にした後、ご神体は最終的には仙台市青葉区川内の亀岡八幡宮へと移ったという。桑折西山の八幡神社は既にないようだが、高子と梁川の八幡神社がせっかく現存している訳だから、今回の散歩で両者を結んでみようかと考えたのである。その意味では、今回の散歩は観音様の他に伊達氏の痕跡をたどるルートにもなる。
桑折駅発8時13分の電車で出発し、8時21分東福島駅着。裏道を10分ほど歩くと阿武隈急行卸町駅に着く。高子方面への電車は8時38分発で、接続は悪くない。過去にも何度か使ったことがある接続パターンだが、前回使ったのは昨年の9月2日で、もう1年以上前のこと。阿武隈急行自体に乗るのも、今年6月13日以来のご無沙汰だ。
旧式のセミクロスシートの電車に揺られ、8時46分に高子駅着。駐車スペースを広くとった駅前広場に新興住宅地。阿武隈急行の駅にはこのテのパターンの駅が多い。利用者獲得のために地道な努力をしているのが伺える。その中でも高子駅前の新興住宅地・高子ハイタウンは、瀬上駅(福島市)前の桜町、新田駅(伊達市梁川町)前の陽光台、岡駅(角田市)駅前の分譲地と並び、駅前の宅地化が特に進んでいる所だ。
まずは、住宅地を歩いてみる。特長と呼ぶには少々厳しいが、家々の壁の色が他地域に比べて若干カラフルかなという感じはした。宅地開発が阿武隈急行開通直後のバブル期だった影響があるのだろうか。もっとも、開発から年数が経っている関係か外観には多少のくたびれが見受けられるし、「売家」と書かれた看板を掲げた空き家もあった。時代の流れは速い。
保原街道に出る。福島市伊達市保原町梁川町とを直結する幹線道路なだけに、交通量が多い。が、ロードサイドショップの集積は、意外なほど見られない。高子と保原の中間に位置する上保原にはこの4月にショッピングセンターがオープンしたが、街道から少し離れた位置にある。
ようやくロードサイドショップが現れてきたのは、30分近く歩いた後のことだった。最初はダイユーエイト幸楽苑など地元の店舗。更にその先にはドラッグてらしま、ダイソー東京靴流通センターと、他県資本の店舗が展開している。更にその先には保原駅があり、駅周辺に他県資本の店舗が集中しているようにも感じるが、私はそちらのゾーンには入らず左折し、保原の中心街へと入っていく。昔ながらの店も多くそれなりに栄えてきた印象がある中心街であるが、訪れるたびに元気がなくなっていく印象を受ける。保原駅前から保原高校前や中心街の東側を縦貫し国道349号線に至る道路(青春夢通り)沿いに一定の商業集積が見られることや行政施設の多くが更に東側の大泉駅付近に移ったことが、微妙に影響しているのであろうか。
中心街の途中から国道349号線となり、北端で県道保原伊達崎桑折線が分岐する。この県道についてはクルマで何度も走っているし昨年11月29日に散歩でも歩いたが、意外なことに保原から梁川へと至る国道349号線については、散歩どころかクルマで通った記憶も殆ど残っていない。桑折に住んでいると縁がないのである。それだけに、この道路を歩くのは楽しみでもあった。
ところが、実際に歩いてみると、率直に言って特に見るべきものがなかった。上保原近辺と同様にロードサイドショップが殆どなかったのが気になった程度。この他にも、保原へ至る幹線道路沿いは、旧伊達町方面へと至る国道399号線も、旧霊山町方面へと至る国道349号線も、商業集積はあまりないように思う。近年の都市機能は幹線道路に沿って放射状に広がっていく傾向があるが、保原に関して言えば、従前の市街地の周縁を風船状に広がっていく傾向があるように感じる。
そんな道をしばらく歩くと旧梁川町に入る。小雨が降り出してきたが、散歩には特に影響がないので先へと進む。境界を過ぎてすぐの地点にある柳田地区では街村状の集落が見られ、ちょっと安心した次第。この辺りは保原と梁川の中間点にあたるので、ある程度の人口集積が見られたのであろうか。その後も住宅地と田畑とが入り混じる風景を歩くと左手から桑折方面から延びてくる主要地方道浪江国見線が合流。この辺りから、梁川の中心街に入る。
梁川の中心街は、1986年8月の水害やその翌々年の阿武隈急行の開通を契機に、中心市街地の大規模な改造が行われてきた。そのシンボルロードと言えるのが市街地の南端に位置する梁川駅の前から従前の市街地や国道349号線へと南北に縦貫している目抜き通りの広瀬大通り。電柱のないすっきりとした外観で、小都市にしては妙に近代的なのが印象的。が、その一方で、広瀬大通りを少し外れればかつての城下町の面影も残っているのが梁川の魅力。交差点を渡る度に脇道を覗いては昔の姿に思いを馳せる。
が、広瀬川を渡ると、目抜き通りも昔のたたずまいに変わる。蔵造りの商家もいくつか残っており上手く活用すれば観光資源にもなり得ると思うが、残念ながらその気配は今のところない。それどころか、一部区間では道路の拡張が行われており、街並みの変容を迫られてすらいる。
さて、もう少しで目的地の龍宝寺観音だ。県道平松梁川線との交差点を右折し、坂を登って中心街北端の上町(うわまち)で左折、天神社の前を通ると下り坂となり塩野川を渡って新興住宅地の希望ヶ丘に至る。短区間ではあるが、沿道風景の変遷が結構目まぐるしい。そして新興住宅地が尽き、県道丸森梁川線を渡ると、いよいよ龍宝寺観音への入口。現在はひっそりしているが、隣接する梁川八幡神社も含めて敷地はかなり広く、古くは参詣客で賑わっていたことがしのばれた。
散歩スタートからちょうど二時間で、龍宝寺観音に到着。ゆっくり散策したいところだが、ちょうどこの辺りで雨が本降りになってきた。携帯のカメラで観音堂を撮影し、そそくさと境内を後にした次第。最寄駅のやながわ希望の森公園前駅までは10分程度で到着したが、そのうちにも雨は強くなり、結構濡れた。駅に着くと、携帯に妻から雨を心配する旨の着信が入った。