2010年2月6日 ~東邦銀行支店巡礼④ 川俣支店(後半)~

霊山町においては歩道が整備されている国道349号線であるが、旧月舘町に入りしばらくすると、歩道はおろかセンターラインすらない隘路となる。とはいえクルマの通行量は多く、危険を感じる次第。そんな場所では、もし旧道が並行しているならばそちらに入った方がいい。クルマの通行が少ないうえに、旧家が建ち並ぶ個性的な集落に触れられる機会も少なくないからだ。
月舘町北部の御代田も、そんな集落のひとつだ。小さい集落だが雑貨屋が三軒もある。そのうち一軒には、店頭に「第一パン」の看板が掲げられている。第一パンは昨年来東北地方での製造・販売から撤退しているので、この看板は将来希少価値が出るかもしれないなと夢想する。
月舘の町に入る。旧月舘町を通る国道349号線は幅員が狭い半面沿道風景は広瀬川が刻んだ比較的広めの谷であるのだが、町の中心部に関して言えば、東側に広瀬川、西側に丘陵が張り出しており、商店や家屋が国道に沿って細長く展開している。
取り立てて特徴のない町並みであるが、強いて言えば、バス停の名前に妙な個性を感じる。国道399号線(同路線はここから伊達市保原町まで国道349号線と重複している)が飯舘村方面へと別れた先に現れるバス停が「せきね医院前」。総合病院前のバス停は結構多いが、個人医院前のバス停は非常に珍しいのではなかろうか。そしてその次のバス停が、なんと「町」。大町でも本町でも中町でもなく、ただ一文字の「町」なのである。確かにこの辺りの住所は伊達市月舘町字町なのだが、それをそのままバス停名にしたのも珍しいと思う。
中心部を通り抜け、さらに南下。旧月舘町を散歩で訪れるのは2007年7月13日以来通算二度目でその時は広瀬川の支流の糠田川を渡った先にある清水ヶ丘まで歩いたのだが、そこもあっさり通過する。丘陵はいつの間にか西へと後退しており、沿道には再び広い谷が展開している。坂道も殆どない。古代伊達郡の中心であったと思われる現在の川西地区(桑折町国見町伊達市旧伊達町)から遠く離れた川俣までが伊達郡だった背景には広瀬川を軸とした交通路が存在していたからではなかろうかとの推察を立てていたのだが、その是非はともかくとして、正直ここまで歩きやすい道だとは思わなかった。
そんな一角に、旧月舘町南端の下手渡(しもてど)集落がある。現在でこそ小さな集落だが、江戸時代末期の1806年から明治維新にかけて、ここを拠点に下手渡藩が置かれたという歴史を有している。藩主は筑後三池藩(現・大牟田市)から転封された立花家で、石高は一万石。小藩ではあったが、二代目の立花種温(たねはる)は幕府の会計奉行に取り立てられ後に老中格(老中は二万五千石以上の大名でないとなれなかった)まで出世しているし、三代目の立花種恭(たねゆき)は明治維新後は学習院の初代院長を務めた。なかなか由緒のある家柄なのである。
が、戊辰戦争で新政府軍についてしまったため、奥羽越列藩同盟仙台藩から攻撃を受け、政庁であった陣屋は消失。現在は跡も残っていない。わずかに、「城下町」という、これもまた旧月舘町独特の個性的なバス停名に名残があるのみである。
下手渡を通過し川俣町に入ったところで、妻からメールが入る。
「ちょっと~ 大丈夫なの? こちらは雪が激しく視界も悪いのです…」
ああそうなのかと受信当初は思っていたのだが、ほどなくしてこちらの雪も強くなってきた。メガネやブルゾンに容赦なく吹き付けてくる。帽子をかぶっていなかったから、恐らく髪の毛も、ものすごいことになっていたであろう。周囲の風景などまるで見えやしない。ただ、川俣町に入ってからの国道349号線は歩道がきちんと整備されているので、歩行に支障はあまりなかった。不幸中の幸いである。
広瀬川を何度も渡りながら南下すると、小島(おじま)の集落に入る。ここで一番目立つ建物は、児童数の減少により一昨年3月惜しまれつつ閉校した小島小学校の旧校舎。木造の古い校舎なのかなと勝手に想像していたのだが、意外にも修道院か牧舎を彷彿とさせる新しい校舎だった。これを無用の長物にしてしまうのは、本当にもったいないと思う。聞くところによると旧校舎は宿泊体験施設として活用する予定があるとのこと。第二の人生に期待したいところだ。
その後も雪の中を歩き、ようやく川俣の町に入ったのは、散歩開始から4時間を少し回った頃のことだった。我が散歩における最長歩行時間は昨年9月30日に岩沼駅から仙台市青葉区台原まで歩いた際に記録した3時間58分だったが、それを大幅に上回る記録。久しぶりに街に入った嬉しさも相まって、自然と顔がほころぶ。
細長く展開している商店街を歩き、そのほぼ中央に位置する瓦町へ。この界隈には東邦銀行をはじめ、福島銀行大東銀行福島信用金庫の各支店が集中して店を構えている。さしづめ川俣のウォール街といったところか。川俣支店に入り、ATMで入金。支店番号がゾロ目の111なので通帳末尾の端末記号・店番欄の記載が「1111」になることを期待していたのだが、結果は「2111」で、ちょっとガックリ。
さて、天候に悩まされながらも、今日の目的はなんとかクリアした。あとはバスに乗って帰るだけだが、ちょっと面倒なことになっている。川俣からは福島駅東口までJRバス東北のバスがほぼ1時間ヘッドで走っているのだが、10時台のバスは既に出発してしまい、11時台のバスはなんと土日祝日運休。ここで長時間待ちぼうけかと肩を落とす。
しかし、捨てる神あれば拾う神ありで、1972年まで東北本線の松川駅と川俣とを結んでいた国鉄川俣線の後継路線である自治体バス川俣松川線のバスが11時台に川俣町内を通過するという(ただし、この便は松川駅まで行かず途中の飯野町バス停止まり(川俣飯野線の名称がある)で、飯野町からは福島交通の福島駅東口行のバスに乗り換える)。川俣線沿線は次回の散歩で訪れる予定だったので一度は躊躇したが、背に腹は代えられない。少しでも運賃が安くなるよう、時間が許す限りバス通りを飯野方面へと歩いた。