2010年2月22日 ~東邦銀行支店巡礼⑥ 二本松支店(前半)~

桑折駅発5時41分の始発電車に乗る。
外は相変わらず寒いが、春分まであと一ヶ月ともなると、日が昇るのも早い。福島駅を出たところで東の空が白み始めた。今のところ、降雪も積雪も見られない。久々のグッドコンディションで散歩を迎えられそうだ。
前回の終点だった松川駅に6時19分到着。改札を出た後歩道橋を渡って線路の反対側に出、主要地方道土湯温泉線を西へと歩く。
桑折駅と松川駅は、良く似ている。
福島駅を基点とすると桑折は北に三つ目、松川は南に三つ目の駅で、両者とも1887年の東北本線開通と同時に開業。駅舎近くにレンガ造りの倉庫があることも、古い駅なのに拠点性には恵まれずみどりの窓口が設けられていない点もそっくりだ。
桑折、松川いずれの中心市街地とも奥州街道の宿場町を起源としている点も興味深いが、数少ない非類似点は、桑折駅が町に近接しているのに対し、松川駅は町から2キロほど東に離れていることである。従って、駅から町に行くためには、まず西へと向かわざるを得ない。
この状況を、明治の先人達が宿場町を通過する鉄道の敷設に反対した結果と説く人がいる。しかし、私はその意見には与しない。松川は南北を連続する丘陵に阻まれた町だ。1982年に開通した東北新幹線さえもがこの近辺の地形には付き合い切れずに今歩いている主要地方道の真下をトンネルでぬけているぐらいであるから、120年以上も前に建設された東北本線が松川を回避したのはむしろ当然の話だと考える。
その東北新幹線のほぼ真上に、北芝電機の工場が建っている。1949年に松川~金谷川間の東北本線にて発生した松川事件で労組員が容疑の濡れ衣を着せられた東芝松川工場を前身とする企業である。工場の構内、主要地方道沿いには金融機関のATMが3台並んでいる。福島信用金庫、福島縣商工信用組合、そして東邦銀行。前二者は松川に支店を有するが、東邦銀行だけ松川支店が存在しない。これも、鉄道が通らなかった不運が招いた結果であろうか。
いやいや、そうとばかりも言いきれない。北芝電機の進出もそうだが、町の真北に民間ディベロッパーが開発した美郷ガーデンシティなる比較的規模の大きい新興住宅地が造成されていることも考えると、松川が都市的発展を遂げる素地はそれなりにあったようには思う。
が、どうも行政の腰が重いようだ。その象徴とも言えるのが、福島市役所松川支所の建物。なんと、1960年の建築。かつての信夫郡松川町(1965年福島市編入)役場の建物が、いまだに支所として機能しているのである。いくらなんでもひど過ぎる。一刻も早く建て替えをして欲しいところだ。
また、これは福島市だけに責任を負わせるのは酷な話かもしれないが、町から2キロほど西に位置する東北自動車道福島松川スマートICへのアクセス道路の未整備ぶりもなんとかして欲しいものだ。地元の松川をはじめ南隣の二本松市安達町阿武隈川を挟んだ福島市飯野町川俣町からの利用が見込め、福島県立医科大学福島大学からもほど近いロケーションなだけに、幅員の狭い商店街を通らざるを得ない現行のアクセス道路では不十分。人車ともに安心して通れるバイパスの建設を望みたいところだ。
そんなことを考えながら歩いていると、県道福島安達線に差し掛かる。今日はこの県道を南下し、東邦銀行二本松支店(113)を訪れる予定だ。県道福島安達線は、1983年に福島南バイパスが開通する以前は、国道4号線だった道路だ。ちなみに奥州街道はこの道路のすぐ西側を通っており、人家や商店もそちらに集中している。従って、旧国道ではあるものの、東側には田園風景が広がっていたりする。ロードサイドショップも殆ど見られない。
どうにもこうにも松川のチグハグな姿ばかり見せつけられてしまうのであるが、ここでふと考えた。3キロほど北に位置する福島大学の学生を引き込むことができたならば、松川も多少は変化するのではあるまいか、と。学生アパートの建設適地は周囲にいくらでもありそうだし、幸いなことに町の北端には学生が多く通う東亜自動車学校もある。学生が増えれば彼ら向けの店もいくつかできるだろうし、もしかしたら桑折のカフェ図書・まゆたまのように学生と地元住民とのコラボレーションが見られるかもしれない。福島市も、松川のことを本気で考えるならば、何にもない金谷川駅前など区画整理せずに、松川を学生の町とすべく再生策を施すべきだったのだ。
とは言え、現時点で松川と福島大学方面とを直通するバスは、平日で一日9.5往復しかない。しかも終バスは18時台で、学生が利用しようにも現時点では夜間の授業には対応不可能だ。が、バス路線があること自体、ひょっとしたら奇跡的なことかもしれない。ちなみにこのバス路線は、福島駅東口と二本松市中心部とを結ぶもの。来月末で廃止が決まっている田村市船引町への路線を除けば、福島駅東口を発着する路線バスでは最南端の地域を走っている。
ちなみに、バス通りは、今私が歩いている県道である。その名も境川を渡って二本松市の旧安達町へと入ると目の前は丘陵。奥州街道は麓から愚直に丘陵を登っているが、県道は境川を渡る辺りから築堤や高架橋を利用してぐんぐんと高度を上げていき、一気に丘陵の中腹へと食らいつく。そして丘陵のサミットは切り通しで抜けている。さすがは元国道でバスが通るにふさわしい道であるが、松川に引き続き、沿道には住宅や商店が殆ど見られない。市界から1キロ少し南下した所にある渋川小学校付近に集落がある程度である。小規模とはいえ、小学校にJAの支所、郵便局と一通り揃っている。この種の集落は1950年代まで行政村だった地域の中心によく見られる。渋川もまた、1954年までは安達郡渋川村という行政村だった。
その渋川の南端、右手に奥州街道の二本柳宿がチラリと見える辺りから、県道の交通量がにわかに増えてくる。通勤時間帯に差し掛かっているからであるが、国道から外れたとはいえ生活道路としてはまだまだ健在なことを嬉しく思う。
賑わいだしたのは車道に限らない。歩道もまた、通学途中の中学生の姿が目立つようになる。旧安達町はいわゆる「へそ」のない町だし中学校が一つしかないから自転車通学の比率が高いのだろうとの先入観を抱いていたのだが、予想に反して徒歩通学の方が多いようだ。
沿道を見ると、いつの間にやらロードサイドショップが展開している。コメリパワーやTSUTAYA、ベイシアと他県資本の店が多い。特にベイシアの規模の大きさは突出しており、大玉村の国道4号線沿いに出店しているPLANT5と並んで、二本松市近辺の商圏を塗り替えてしまった感すらある。
更に歩を進めると、ロードサイドショップに混ざって公共施設もチラホラ現れる。JAみちのく安達の安達支店に二本松市役所安達支所に安達郵便局… その先にコープマートあだたらが見えた所で、右折して県道から離れ、奥州街道へと入ることにする。このまま直進すると二本松支店を訪れた後に歩く予定となっている国道4号線に合流してしまうからだが、福島と二本松とを結ぶ路線バスもまた、ここで右折している。この辺りの奥州街道は、既に二本松城下町の外延。沿道には高村智恵子の生家を復元した智恵子記念館があるが、造り酒屋であったことも相まって、城下町の街道筋にふさわしい佇まいを見せている。