2010年4月19日 ~東邦銀行支店巡礼⑭ 福島医大病院支店~

東邦銀行支店巡礼も、福島市近辺においては、あと3店舗を残すだけとなった。
残党を追い詰めた感がなきにしもあらずだが、次の訪問先は市内南部、福島県立医科大学付属病院(以下、「医大病院」と略す)の中にある福島医大病院支店(130)。前回の散歩を東福島駅で終えていることを考えると、今回の散歩はここだけの訪問にとどめざるを得ない。
東福島駅から医大病院までは、恐らく3時間は要することになるだろう。医大病院のATMは9時ジャストに開くので、今回もまた、桑折駅発5時41分の上り始発電車で出掛けることにする。前回のようにもし早着してしまったら、医大病院の受付脇にあるスターバックスで一服でもすればよい。
5時48分、東福島駅に到着。今回のシリーズでは福島駅以上に利用頻度が高かった気がするこの駅も、利用するのは今回が最後となると、名残惜しい気がする。若干の惜別の念を込めて、駅前から卸町にかけてを歩く。そして、中央卸売市場角の交差点で市道鎌田笹谷線に入り、東進。国道4号線との信号を過ぎ、阿武隈川に架かる鎌田大橋を渡る。
鎌田大橋から先は、阿武隈川の堤防上に設けられたサイクリングロードを南下する。橋のたもとに21.8キロとの距離表示。少し歩くごとに数値が0.2キロずつ増えていたから、恐らく伊達市梁川町辺りからの累積距離表示であろう。どれだけ歩いたかの目印に乏しいサイクリングロードなだけに、この表示は助かる。
沿道風景は私が歩く東岸は桃畑などが広がる農村風景、川を挟んだ西岸が国道4号線沿いのロードサイドショップが見渡せる都市的な風景で、好対照を見せている。が、国道115号線に架かる文知摺(もちずり)橋が近づいてくると、東岸もまた住宅街の風景へと変わる。
その風景も、文知摺橋を渡ると様変わり。東岸には丘陵が迫り、西岸はというと、遠方に福島市中心部のビル街が展開し、その向こうに吾妻連峰が見えている。今日は好天で、山肌の雪うさぎもはっきりと見えている。
一方、河川敷に目を移すと、親水公園の更地に白線で駐車場が整備され、警備員が何人か張り付いている。何事かと思って周囲を見渡すと、花見山公園へ訪れる観光客用の臨時駐車場であった。文知摺橋の南500メートルほどの所にあるヘルシーランド福島から公園の所在する渡利地区に入り三本木橋付近までの1キロほどのスペースが駐車場に割かれており花見山公園の集客力に舌を巻く次第だが、それ以上に驚いたのは、まだ7時にならないというのに観光客のクルマが結構停まっていたこと。駐車場付近に設置された花見山公園付近までの臨時バスの乗り場には、既に何人かが列を作っていた。今日が月曜日だということを忘れさせてくれる光景である。
その後も阿武隈川に沿ってサイクリングロードを歩く。花見山公園に程近い所も通るが、渡利支店(124)を訪れた際のような寄り道はせず、遠目で花々の開花状況を確認するにとどめる。距離表示が24キロ、25キロと増えていく。これが楽しい。国道114号線に架かる渡利大橋を過ぎると、河川敷もまた、遊歩道が整備されるなど面白そうな空間が広がっている。ここは、1996年に整備された渡利水辺の楽校。親水空間の他に、近隣の小学校の授業でも活用されているという。また、地元の人たちが定期的に清掃活動を行っているので、ゴミも見当たらず、歩いていて気持ちの良い空間である。
やはり、そんな所には人が集まってくるのであろう。散歩中と思しき人を何人か見かけた。その中の一人のおばさんから、突然声をかけられる。
「いや~、昨日の花見山はすごかったね!」
そうですねと相槌を打ったが、今朝新聞を読まずに家を出てきた私には、何の事だか全然わからなかった。帰宅後に調べてみると、昨日の花見山公園は実に4万人、開園以来最高の人出で賑わったとのこと。桃源郷と称される風景を観たい気持ちは理解できるが、これだけ人が集まると果たして花をじっくり観れたのかどうか。
河川敷の遊歩道で松齢橋、大仏(おさらぎ)橋をアンダークロスして、次の天神橋の手前でサイクリングロードに戻る。さすがにこの辺りになると、観光客も散歩人もいない。その代わりと言っては何だが、中心街に近いロケーションゆえか、徒歩通勤の勤め人の姿が目立つようになる。いずれにせよ、今の時期の阿武隈河畔は、人の姿が途絶えることがないようだ。サイクリングロードは、国道4号線に架かる弁天橋のたもとまで続いていた。距離表示は27.4キロ。鎌田大橋から5.6キロ歩いたことになるが、ここまでの散歩はまだまだ前半戦である。
弁天橋は渡らずに、やはり橋のたもとから分岐している旧国道114号線へと分け入る。分岐点近くには弁天山がそびえており、山全体に満開の桜の花が咲いている。こちらは花見山のように観光客の姿はあまり見られないようで、地元の人たちの憩いの場、花見スポットになっているようだ。
弁天山から先も、丘陵が阿武隈川に迫る風景が続く。旧国道114号線は、丘陵と川に挟まれた狭い空間を南北に通っている。そんな場所でも沿道に住宅地がきちんと展開しているから、福島市も都市化が進んでいるんだなと思う。家々をつぶさに見ると、どういう訳かアパートや借家などの賃貸物件が多いように感じた。
2キロほど歩いた先の蓬莱橋阿武隈川を再渡河。橋からまっすぐ西へ歩けば前回の散歩で歩いた都市計画道路小倉寺大森線へと出られるが、今回は橋を渡るとすぐに左折し、更に南下する。目の前には丘陵が迫っているが、目指すべき医大病院は、これを越えた先にある。
国道4号線の裏道として使われているのか意外にクルマの通行量が多い細道を500メートルほど歩き、春日神社の前を通過すると、つづら折りに丘陵を登る別の細道へと出る。ひとまず登り切ると、「黒岩の虚空蔵様」として
知られる満願寺の門前へ。門前には小規模ながらも集落が形成されており、門前町の雰囲気を醸し出しているのが嬉しい。
集落を出はずれ、更に坂道を登る。雑木林のただ中の一本道で相変わらずの隘路ではあったがここも抜け道になっているのかクルマの通行が結構あり、しかもご丁寧に歩道まで設けられている。どうしてだろうと疑問に思いながら歩いていると、突如として目の前が開け、周囲に住宅街が展開する風景となる。
こんな所に新興住宅地があったんだ。南福島ニュータウンと言うらしい。環境の突然の変化に一瞬戸惑うが、やがてそれは怒りへと変わっていった。
ここには、生活に必要なインフラが何もないではないか!
昨年の11月13日に阿武隈川対岸に展開している南向台を歩いた際にも同じことを思ったが、南向台には少なくとも小学校とコンビニはあった。でもここにはそれすらない。何をするにもクルマがなければやっていけない街なのである。
加えて怒りを倍加させたのが、ディベロッパーが住宅地内に掲げた宣伝看板である。正確な表現は失念したが「すべての生活環境がそろった街」「子供を安心して送り出せる街」などといったことが書いてあったような気がする。
これは丸っきりの嘘ではないか。先述したように生活インフラらしいものは近くに何一つない(強いて言えば、美容室とクリーニング屋が辛うじてあったが)し、最寄りの小学校までだって山道を毎日往復する必要に迫られる。ディベロッパーの社名をもう一度確認する。よりによって、「国民の生活が一番」と主張する与党幹事長の夫人の実家が経営する企業であった。質の悪すぎる冗談である。
南福島ニュータウンを過ぎると、桜台ニュータウンという別の新興住宅地へと入る。家々の外観を見る限りでは開発年代は南福島ニュータウンよりは古いようで、区域内には個人商店も見られた。ここもまた、学校から遠い(補足・南福島ニュータウンと桜台ニュータウンは隣接しているが、小中学校とも学区は異なる)難点はあるが、南福島ニュータウンよりは良心的のように思えた。
桜台ニュータウンを過ぎると一旦下り坂となる。前方には、南福島ニュータウンや桜台ニュータウンよりもはるかに規模が大きい蓬莱ニュータウンの街並みが展開している。ニュータウンとは言うものの、蓬莱は1970年代に開発された老舗の住宅街。南福島ニュータウンのように生活インフラを「クルマ任せ」にせず、東邦銀行蓬莱支店(119)など区域内にできる限り配置したのは評価されよう。個人商店に関しても、ある程度まとまった区画に一、二軒の割合で設けられているようだ。ただし、諸事情により閉店してしまった店舗もあるようで、脱「クルマ任せ」の難しさも垣間見た次第。
きれいな桜並木が続く大通りを抜けると、いよいよ医大病院が間近に迫ってきた。時計を見ると8時50分過ぎ。予定していた通りのペースで少し嬉しくなる。
広々とした駐車場を通り抜けて医大病院の玄関に着いたのは、8時59分のことであった。玄関のすぐそばにあるATMコーナーの前に行くとちょうどシャッターが開くところで、一番乗りで入金手続をすることができた。これで残り2店舗。なお、通帳末尾の端末記号・店番欄の表記は「1130」であった。
医大病院を出る。1キロほど北側に位置する蓬莱支店を辞した時には南福島駅まで歩いたが、医大病院からだと南福島駅よりはその南の金谷川駅まで歩いた方が近い。
医大病院から西進。沿道に駐車場が長々と展開する光景が気になる。見ると、医大病院に隣接する福島県立医科大学(以下「医大」と略す)の学生用駐車場であった。脛っかじりにクルマを買い与えるべきではないと個人的には強く思うのであるが、医大の場合、公共交通機関が割高なバスしかない上に最終便が21時台ということもあり実習や講義が深夜に及ぶと帰りの足がなくなってしまうという事情があるし、加えて、学生が住むのに適したアパートが付近に少ないことや、社会人を経た後に入学する学生や大学の側で福島県内出身の受験生に推薦入学枠を設けている関係で遠方にある自宅から多少無理をして通学する学生が一定数いることも、クルマ通学傾向を助長している面があるように感じる。
要は、キャンパスを交通不便な郊外に作ってしまったことが問題なのだ。1988年まで医大のキャンパスは、現在福島県庁東分庁舎となっている建物にあった。今もそこにキャンパスがあったならば、クルマ通学はかなり減っていたはずなのである。
あるいは、現在福島大学が拠っている金谷川駅の近くに、キャンパスを設けても良かったように思う。JRはバスよりはかなり割安であるし、風景的には多少気味の悪いものがあるが、金谷川駅周辺には学生アパートが林立している。また、異なる大学が隣接することで学生や教官の相互交流や学際的研究の展開も多少は見られたのではあるまいか。
それにしても、散歩の後半は、南福島ニュータウン医大と、モータリゼーションとの付き合い方について、いろいろと考えさせられてしまった。