2010年5月6日 ~東邦銀行支店巡礼⑯ とりあえず、杉田駅まで歩く(前半)~

昨日は終日気温が高く、夜も寝苦しくて仕方なかった。早めに床に就いたのに布団の上でウダウダやっていたらあっという間に午後10時。「寝坊のため散歩中止」というオチになるのではないかと心配してしまったが、ちゃんと午前5時キッカリに目が覚めた。「甘いものは別腹」とはよく言うが、寝起きにも同じことが言えるかもしれない。同じ早起きでも仕事に行くのとレジャーに行くのとでは明らかに寝覚めが違うのだ。不思議なものである。
心ならずも早起きに付き合ってしまった妻がお茶漬けを作ってくれたので、木枯し紋次郎のようにササッとかっ込み、自宅を出発。
桑折駅発5時41分の上り始発列車に乗車。ゴールデンウィーク明け初日とあって、車内には勤め人や高校生の姿も見える。彼らの今日の目覚めはどうだったのだろうかと、妙な想像をしてみる。
定刻5時54分、福島駅の駅舎に接した1番線ホームに到着。素早く改札を出、散歩スタート。時計を見ると5時55分。ぞろ目とは非常に縁起がいい。
今日はここから南下して、二本松市内を目指す。前回の日記を書いた5月2日の時点ではルートを決めていなかったのだが、結局、県道水原福島線を経由することにした。前回の日記で「同じ橋を渡らない」というこだわりが同ルートのネックになっていることを書いたのだが、よくよく考えてみると、この原則を守っていたのは阿武隈川、松川、荒川といった大きな川に限った話。八反田川、大森川、濁川といったもう少し小さな川に目を向けると、実例はいちいち示さないが、二度渡った橋もあったのである。
それともう一つ、県道が福島県庁の正門前を通っていることも、このルートをチョイスする決め手になった。県庁は、行政県都福島市に別れを告げて経済県都郡山市へと至る出発を飾るには絶好の建物だと思う。
さて出発。駅前通り、レンガ通りと通り抜け、東邦銀行本店の前もきっちり通過してから県庁通りに出る。この通りの平和通り以南の区間が、県道水原福島線となる。県庁に向かって歩を進めると、「福島城大手門跡」の石碑がある。行政面のみならず歴史的にも重要な地点が、本日のスタートとなる訳だ。
県道は、県庁の正門前で右折、更に300メートルほど歩くと奥州街道との交差点に差し掛かる。この交差点から国道115号線との交差点までの1キロ強の区間は、県道と奥州街道とは重複している。城下町・宿場町であった頃の福島の姿を残しているこの界隈は、何度歩いても楽しい。
荒川に架かる信夫橋を渡る。国道115号線との交差点は橋を渡って500メートルほど先にあるが、それまでの間に、国道115号線の旧道との交差点を通過する。更にその旧道とおぼしき道も分岐しているので、どんな道なのかと誘惑されかかる。現道、旧道、旧々道(?)、いずれの道も、散歩ではきちんと歩いた試しがない。
ただ、現国道115号線に関しては、1キロほどではあるが、今回歩くことができた。県道がこの道路とも重複しているおかげだ。と言っても、東北本線の真上、東北新幹線の真下を交差している方木田跨線橋は歩行者は渡ることができず、地下歩道を歩かざるを得ない。
ロードサイドショップが連なる国道115号線をちょっとだけ体験し、線路を跨いだ直後の交差点で左折。ここから先の県道は、大森支店(128)を訪れた時にも歩いた大森街道と重なる。二度目の大森街道ということで、沿道を眺める目にも気合が入らない。こんな具合でのんびり歩いていたら、もう大森の町に着いてしまった。
大森から南は、今回のシリーズでは初めての訪問となる。ここで再び、気持ちにスイッチが入る。
しばらくは、田んぼのただ中を歩く。田植えが終わったもの、田植え前だけど水だけ張られたもの、まだ水が張られていないものと形態はまちまちだ。果樹園は少ない。信達地方の農地といえば果樹園が広がっているイメージが強いが、散歩を重ねた目で見ると、大森以南の平石、松川近辺には果樹園はあまり見られないように思う。阿武隈川を挟んだ伊達地方でも同様で、伊達市霊山町月舘町の境界付近以南は果樹園は激減している気がする。話が飛んでしまって恐縮だが、信達三十三観音もまた、大森~霊山のライン以南には存在していない。県道が通っている小田地区も同様で、農地の大半は田んぼである。谷底ではあるが東隣の平石に比べるとその幅は広く、両側の丘陵もまた、平石よりは斜面が緩やかだ。
そんな風景の中を、小学生が集団登校している。私服でも制服でもなく、濃いめの藤色のスモックを着用しているのが特徴だ。福島市近辺における小学生のスモック着用は以前いくつかの小学校で見られたと耳にしていたが、今も残っていることは初めて知った。
路線バスの終点である平田バス停を過ぎ、登り坂に差し掛かる。平石から金谷川に至る金谷川スカイラインのようなつづら折りの急坂ではなく、少し登っては踊り場のように小集落が展開した後また登るの繰り返しで、穏やかに上昇する。
ただし、沿道風景は、登るごとに厳しさを増していく。最上部の集落付近からは福島市クレー射撃場へと至る道が分岐しているし、その集落を過ぎ農地も尽きてくると、今度は産廃業者とおぼしき事業所や資材置き場が雑木林の中に点在するようになる。つまり、街中にあったならば眉をしかめられそうな施設がいろいろとある訳で、あまりいい気分はしない。
そんな施設に混じって建っている東北電力福島変電所の前を通過すると、下り坂となる。下りきった所が、県道の終点となる松川町水原だ。さして大きくはない集落だが、商店に郵便局、小学校と生活インフラは一通り揃っている。日常生活から隔絶されたような山中を歩いてきた身から見れば、まさに恵みのオアシスだ。実際、ある商店の店頭にある自動販売機で、スポーツ飲料を買って飲んだ。この時点で、散歩開始からもう2時間20分が経過している。日差しはそれほど強くないが、昨日と同様気温は上昇傾向にある模様。今後の行程でバテないためにも、こまめな水分補給は必要だ。
集落の中心にある水原小学校前の交差点で、県道は終点となる。ただし道路自体はそのまま続いており、しかも路線バスまで通っていて県道よりも扱いが良くなっていたりする。
水原川に架けられた「そぞろ橋」というちょっと変わった名前の橋を渡ってしばらく行くと、「笹森山入口」というバス停の前を通過する。笹森山は、福島県中通りの住民なら一度が耳にしたことがあるであろう、テレビ・ラジオの送信所が山頂付近に集中して建っている山で、バス停付近からも送信所のアンテナ群を見ることができる。ただし、見えるのはほんの一瞬。バス停からちょっとでも離れると、前衛の丘陵が障害となりアンテナ群の姿は目にすることができない。
このように、丘陵が複雑に展開しているのが、水原の特徴と言えば特徴。今回の散歩にあたってはクルマでも訪れたことがない地域を歩くだけに入念に地図をチェックしていたつもりだったのだが、分岐する道の行く先が見えないと、そちらを歩いていいのかどうか迷ってしまう。こんな時に悪いことは重なるもので、「この道でいいのかな」と歩いていた道が道路工事のため通行止めという事態にも出くわしてしまった。
こうなると、もうお手上げである。散歩の際は地図を携行していないので、唯一の頼りは携帯のGPS機能。料金がかかるので使用自粛を妻から言い渡されている禁じ手を、解禁せざるを得なかった。丘陵の只中だし果たして電波が届くのだろうかという別の意味での懸念はあったのだが、一応使えるようでホッとした次第。