2010年5月13日 ~東邦銀行支店巡礼⑰ 郡山支店・郡山中町支店・郡山大町支店・郡山駅前支店・郡山南支店(前半)~

前回の散歩から1週間。いよいよ郡山へと出掛ける日がやってきた。
自宅から50キロ以上離れた場所まで歩くのは久しぶりのことなので、気持ちが高揚する。
前日の晩は9時過ぎに就寝したので、目覚めバッチリで5時ジャストに起床。パンを1枚食べてから、桑折駅へと急ぐ。駅前には警官が二人。「お出かけですか」と訊かれる。そう言えば、2月6日に雪の降る中伊達市梁川町から川俣支店(111)まで歩いた際も、桑折駅で同じ警官に同じことを訊かれたような気がする。
5時41分発の上り始発列車に乗車し、6時32分に杉田駅着。途中の福島駅で札幌からやってきた北斗星に抜かれるため11分も停車する事情もあるのだが、散歩へのプロローグとしてはちと長い時間だ。
車掌に切符を渡し、無人の改札を出る。ここから郡山までもまた、阿武隈川の東岸を行くか、はたまた東北自動車道に沿って南下するかどちらか迷っていたのだが、結局、多少の土地勘がある後者のコースを行くことにした。
まずは、駅のすぐ西側を通っている国道4号線に出る。早朝ではあるが通行量は多く、特にトラックが我が物顔で行き交うのが目立つ。ここから南、大玉村内を走る国道4号線が長らく2車線にとどまっていたためかつては通行上のボトルネックであったのだが、昨年3月に4車線化が完成し、スムーズな通行ができるようになった。
その大玉村は、杉田駅から1キロほど、坂を登った先にある。二本松市との境界には枡記念病院の白亜の建物。この中にも、東邦銀行のATMがある。
大玉村奥州街道(県道須賀川二本松線)も国道4号線も通過するが、どういう訳か、我が散歩にはあまり縁がない。過去の記録を遡ってみると、2006年9月24日と昨年9月13日の二度奥州街道を歩き、2008年8月9日に阿武隈川に架かり本宮市旧白沢村とを結んでいる安達太良大橋を渡ったことがあるぐらい。ちなみに、安達太良大橋の通る道は村道だが、阿武隈川の東岸でサイクリングロードのように狭隘な主要地方道二本松金谷線を大跨ぎで越えている。2008年7月20日には、この道路から安達太良大橋の雄姿を指をくわえて眺めたこともあった。
今回の大玉村もまた国道4号線をただ縦断するのみで、目新しさには若干欠ける。右側も左側も田植え直後の田んぼが一面に広がる典型的な農村風景。だからこそ余計に目立っているのが、国道に面したスーパーセンター・PLANT-5の大きい建物である。一度だけここで買い物をしたことがあるが、店内は不要にだだっ広い印象。また、総じて照明が薄暗いのが致命傷で、特に積極的に買い物をしたい施設には思えなかった。
が、安達地方の人々にとっては、貴重な店舗であることは間違いない。二本松と本宮の市街地至近にある二軒のヨークベニマルと、旧安達町ベイシア、そしてこのPLANT-5が、安達地方を代表する商業施設と言えよう。時代の流れと言えばそれまでだが、いずれも郊外型の店舗ばかりで古くから地道に営業を続けてきた店舗が目立たないのが淋しいところではある。
3キロほど歩いて大玉村をあっけなく通過すると、本宮市に入る。境界に入ってすぐに目に飛び込んでくるのは、ゼビオの流通センターとソニーの工場。今回は至近を歩かないが、パナソニックアサヒビールなど、本宮市には大きな工場が多い。これらの工場に勤務する人が多く居住するせいか、また、郡山市ベッドタウンとしても発展を続けている面もあってか、市の人口も福島県では珍しく増加基調にあるようだ。
徐々に住宅が増えていく風景を歩いていると、小中学生の集団と何度かすれ違う。国道の西側にある本宮まゆみ小学校や本宮第一中学校の生徒たちだ。本宮まゆみ小学校は、奥州街道の本宮宿にほど近い本宮小学校の生徒数が増加したため、1999年に設立された小学校。少子化が進む昨今、そんな理由で新しい小学校ができるのは極めて珍しい。
こんな具合で発展を続けている本宮市であるが、不安材料もなくはない。この4月1日に、ここを管轄していた本宮警察署が県警組織の再編に伴って郡山北警察署の分庁舎となってしまったのだ。同じ日に私の住む桑折町でも桑折警察署が福島北警察署の分庁舎となったが、地域を守るべき警察組織の弱体化への懸念から、本宮市民の分庁舎化反対運動は特に強かったと聞く。
私自身は地域の安全云々とは別の意味で、警察署再編を考えていた。今回の再編は、今後の市町村合併への布石となりはしないだろうか、と。つまり、本宮市はそう遠くない将来、郡山市への編入が議論されるのではなかろうかと思うのだ。その頃には、桑折町福島市への編入が俎上に上がっているかもしれない。一町民としては、福島市よりも伊達市と合併した方が合理的なように思えるのだが。
市街地の南端に位置する花掛交差点を右折する。ここからは国道を離れ、1キロほど西側を通っている東北自動車道に沿って南下する。実はここ、昨年3月13日にも歩いた道である。その時は二本松街道(概ね主要地方道本宮熱海線)に沿って西進した後磐越西線安子ヶ島駅の付近で南東に反転し郡山市冨田町まで歩いたが、今回はそちらまで寄り道せず、あくまで東北自動車道に沿うルートで同じく冨田町を目指す。
宅地こそ少ないもののクルマの交通量が多く、またコンビニが数百メートル間隔で点在している本宮熱海線をしばらく進み、本宮市関下のT字路で左折。県道荒井郡山線へと入る。この県道については、安積街道と通称される郡山市中心部から磐越西線喜久田駅付近にかけて2008年12月8日と昨年3月13日に歩いたことがあったものの、本宮市内を歩くのは初めて。大玉村同様田植え直後の田んぼが広がる風景を、東北自動車道の築堤にベッタリ寄り添いながら南下する。
五百川に架かる上関下橋を渡ると、いよいよ郡山市。橋を渡った先の最初の交差点を左折し東北自動車道をアンダークロスすると目の前に飛びこんでくるのは、東北自動車道磐越自動車道とが交差する郡山ジャンクションである。郡山駅と並び、福島県内の交通網の要であるが、ここからは車両が出入りできないので、周辺にはロードサイドショップもラブホテルもなく、一面の田んぼ。ただし、電柱に掲げられた住居表示板を見ると、この地の住所は「赤坂二丁目」。いやいや、よく見るとその上に「喜久田町」と小さく書かれているのだが、同じ赤坂でも東京都港区の赤坂とは風景に相当のギャップがある。
郡山ジャンクションから先は、東北自動車道の東側を南北に縦貫する細い道を歩く。この道をまっすぐ歩けば富田町に出るはずだが、なにぶん初めて訪れる道だけに、若干の不安が募る。沿道は例によって一面の田んぼ。が、遠方の眺望はあまりきかない。ごく緩くではあるが土地が傾斜しているのだ。道路にビー玉を置いたら転がるかどうかという程度の、非常に緩い傾斜。
でも、こんな傾斜ですらも、水は高きから低きへと流れる。そしてこの地形こそが、安積疏水開削以前の郡山近辺に「安積三万石」と俗称された水利の悪さをもたらしていたのだろう。江戸時代におけるこの地の住民は、ほんの数センチの段差に立ち往生してしまう車イス利用者のような悔しさを味わっていたことであろう。
それが安積疏水開削後は、見事に美田へと変貌を遂げた。そして疏水の恩恵は農業のみならず、水力発電を利用した工業の発展をももたらし、ひいては郡山の発展へと繋がった。郡山に関する文章を読んでいると、疏水の開削に携わった人々、そして疏水をテコにして原野を美田へと開拓していった人々への謝意を示したものが多い。華々しい戦果を挙げた武将でも、政治経済などの分野で名を残した偉人でもなく、オフィシャルな歴史には決して名が残らない人々へのリスペクト。他地域ではなかなかお目にかかれないものだと思う。