2010年5月18日 ~東邦銀行支店巡礼⑱ 本宮支店(前半)~

前回の散歩でせっかく郡山市に入ったのに、東邦銀行の店舗コードは、郡山南支店(204)の次が本宮市にある本宮支店(205)となっている。福島ブロックが中町支店(105)の後瀬上(106)、飯坂(107)と福島市郊外の店舗を経てから次の桑折支店(108)に至っているのと比べると、ずいぶんあっさりとした街離れぶりだ。
なお、本宮支店から先は、再び郡山市内に入るもののどこの支店にも立ち寄ることなく通過して須賀川支店(206)に至り、次いで三春(207)、船引(208)、小野(209)と阿武隈川東岸の田村地方を巡ることとなる。そして、小野支店の次が、一気に郡山市内に戻って安積支店(211)。両支店間の距離は30キロ以上離れており郡山ブロック最大の難関であるのだが、ここをどのように歩き通すのかについては、今後の課題としよう。
前回、前々回と同じく、桑折駅発5時41分の上り始発列車に乗車。この列車を郡山駅まで乗車するのは、ずいぶん久しぶりのことだ。福島市内から杉田までは座席もガラガラで早朝の列車らしい車内であったが、本宮から乗り込む客が増える。特に高校生が多い。駅に着くたび高校生は増えていき、郡山の直前ではついに満員になってしまった。
この列車の郡山着は6時53分だからずいぶん早い登校だなと思うが、郡山市内の高校の大半は駅から2キロ以上離れているし、次の上り列車は7時41分着だから、逆算すると、この電車に乗らなければ遅刻してしまう可能性がある。郡山は福島県の交通の要衝だが、市内や近郊を結ぶ公共交通機関網は意外に脆弱だ。この現状は、ひょっとしたら今後の散歩で紹介する機会が何度かあるかもしれない。
郡山駅に到着。跨線橋を渡り、2階の自動改札を出る。すぐそばに出口があり、ペデストリアンデッキが続いている。駅前に聳え立つビッグアイの前を通り、貨物通りへと下りる。
オフィスビルや高層マンションが建つ貨物通りを北上すると、逢瀬川に突き当たる。この辺りの逢瀬川はコンクリートでガッチリ護岸されていて武骨な雰囲気だが、河川敷にはジョガーや犬を散歩させている人など、それなりの通行が見られる。
1本西側を通っている奥州街道(県道須賀川二本松線)に移り、安積橋で逢瀬川を渡河。渡った先は郡山の旧市街ではなく、富久山町久保田。町名的にはもう郊外であるが、奥州街道沿いはしばらくの間商店街が続いている。この辺りの奥州街道は、2006年10月1日と2009年10月5日の計2回、歩いたことがある。ただしいずれも本宮方面から郡山を目指したものであり、郡山から北上するのは初めてだ。
奥州街道に沿って細長く延びる富久山の商店街には、金融機関も多い。福島銀行大東銀行第二地銀、福島縣商工信用組合郡山信用金庫。何故か東邦銀行だけがない。この辺りを管轄している郡山北支店(220)は、どういう訳か奥州街道沿いではなく、国道288号線沿いにある。両道の交差点で、チラッとだけだが看板を眺めることができた。
この交差点で、ちょっと面白いものを見つけた。と言っても特に変哲のない周辺地域への距離表示なのであるが、奥州街道を直進すると本宮まで12キロ、右折して国道288号線を進むと三春町まで12キロというのである。ついでに言えば、郡山から奥州街道を南下すれば、須賀川までの距離もまた12キロほど。すなわち、周辺主要都市との距離に「三里」が多いのである。福島県内だと会津坂下町が若松、喜多方など周辺主要都市への距離がほぼ三里で「坂下のバカ三里」と俗称されるのだが、郡山もまたその性質を有しているのが面白い。
ここで、ちょっとした感慨に襲われる。4年前に散歩を始めた頃は、この「三里」という距離が一つの目安になっていたような気がするのだ。ところが散歩経験を積み重ねているうちに三里程度では物足りなくなってしまい、今では四里も五里も平気で歩くようになってしまった。後述するが、今回もまた、本宮までの三里程度で散歩を終わらせるつもりはさらさらない。
かつての宿場町で旧家が短冊形に建ち並んでいる福原を過ぎると、登り坂にかかる。それまで市街地が広がっていた沿道には宅地が消え松の木がチラホラと登場する。奥州街道と松との付き合いは、この辺りから次の日和田宿を挟んで4キロほど続いている。
坂を下り、藤田川を渡ると、日和田の町が見えてくる。街道に沿って南北に細長く続く町だとばかり思っていたのだが、東西方向に展開している藤田川北岸の河岸段丘上に家並みが集中しているのが目に付く。そう言えば、前回の散歩でも藤田川北岸に展開している早稲原の集落を通り過ぎたし、更に藤田川の上流に目を向けると、喜久田駅至近の堀之内、鎌倉時代にこの地を支配した安積伊東氏が出身地である伊豆を偲んで名付けたと伝えられる伊豆島と、古くからあったと推察される集落を確認することができる。安積疏水の開通以前は水利の悪い安積原野であったが、川沿いは例外だったのだろう。
日和田の町の北端に、安積采女に関わる伝説が残り「万葉集」や「古今和歌集」の歌枕としても知られる安積山とされる丘陵の前を通過する。安積山自体は日和田の他に伊豆島の南4キロほどの所にある片平町にあったのではないかとの説もあるのだが、日和田の安積山は松尾芭蕉が訪れたことでも知られ、現在は安積山公園となっている。芭蕉はこの地で「古今和歌集」中の「みちのくのあさかの沼の花かつみかつ見る人に恋ひやわたらん」(詠み人知らず)の句中に登場する「花かつみ」という幻の花を探したが、ついぞ見つけることができなかったそうだ。この花かつみ、今となってはどんな種類の花なのか誰にもわからなくなってしまったのだが、郡山市ではアヤメ科の多年草ヒメシャガを花かつみとみなし、1974年に市の花に指定している。奥州街道に面した安積山公園の入口近辺にも植えられているそうだが、植物に疎い私は見つけることができなかった。
安積山公園を過ぎると、県道から歩道が消え失せる。更に具合の悪いことに、路傍に生えている雑草が路肩の白線を覆い隠すほどに繁っており、歩くのに相当難儀する。江戸と東北とを結ぶメインルートの座から外れて久しい奥州街道だが、今現在も県道であるから、クルマの通行はそれなりにある。危なっかしくてしょうがない。松並木が展開する景勝地だし、北にある高倉宿方面からこの道を通って毎日通学する中高生もいるだろうから、遊歩道を兼ねた歩行者用道路の整備を要望したいところだ。
車道にはみ出して通行している私の存在が邪魔になり、工事現場よろしく片側交互通行と化してしまうことも数度。高倉宿の南端に位置する濁池のほとりで再び歩道が現れた時は、心の底からホッとした。
高倉宿を通過し、五百川を渡ると、本宮市に入る。ここでも歩道のない区間が一部存在するが、路肩に一定のスペースが設けられているので、さほど歩きにくくはない。市境からしばらくは、沿道はパナソニックの工場なども見られるものの、基本的には田んぼが広がるのどかな風景。郡山市内に比べて起伏が少なく、不平等だなと思う。
しばらく行くと幾度か軽いアップダウンが出現し、沿道風景も住宅地へと変わる。前回の日記で本宮には大工場が多いことを書いたが、そのことを反映してか、工場の従業員が入居しているとおぼしきアパートが嫌に目立つ。
徐々に本宮の中心部へと近づくと、目立つものがもう一つ現れる。それは、商店の店先に貼られた「伊藤久男生誕100周年記念事業」のポスター。本宮市出身の歌手・伊藤久男が、今年生誕100周年を迎えるのだそうだ。
伊藤について調べてみると、1930年代から50年代まで、つまり終戦を跨いで活躍し、「イヨマンテの夜」など多くのヒット曲を残している。紅白歌合戦にもなんと11回出場しているとのこと。福島市出身の古関裕而が作曲した曲も数多く歌っており福島県民としても忘れてはならない歌手だと思うのだが、情けないことに私は伊藤についての知識を殆ど持ち合わせていない。1983年に亡くなった後は歌謡番組で取り上げられる機会もなかったし、福島県民でなければ伊藤久男と言われても誰のことだかさっぱりわからなかっただろう。本宮市の事業をテコに、伊藤の実績が再びクローズアップされることを期待したいところだ。