2010年5月18日 ~東邦銀行支店巡礼⑱ 本宮支店(後半)~

市の中心部、下町(志茂町)にある本宮支店に到着したのは、9時20分のことだった。散歩スタートから2時間半が経過したが、やっぱり物足りない。もっと歩きたい。
そこで、次に訪れる予定の須賀川支店までの布石を兼ねつつ、反転して南進することにした。本宮支店を出た私はそのすぐ北側の角を左折し、しばらく歩いて谷病院の前でまた左折した。
行き当たりばったりでチョイスした裏通りであったが、1924年に建てられたという本宮市歴史民俗資料館の洋館風の建物をはじめ、いい塩梅に古びた商店が軒を連ねている。通り名もちゃんとついており、まゆみ通りという。そう言えば、二本松にも真弓通りという飲み屋街の小路があったことを思い出した。前回の散歩で近くを通った本宮まゆみ小学校も含めて安達地方には「まゆみ」のついた施設名が多いように思うが、元々この地方では檀(まゆみ)の木が多く自生しており、安積山同様「万葉集」や「古今和歌集」において「陸奥の安太多良(あるいは安達の)真弓」と詠まれることもあったとのこと。ちなみに、檀は本宮市の木に指定されている。
まゆみ通りを南進し突き当りのT字路を右折。すぐに踏切がある。名前がなんと「青田村道踏切」。「○○街道踏切」の類は至る所で見られるが「村道」は初めてお目にかかる。ちなみに、青田とは本宮市中心部の南西に位置する地域で、1954年に当時の本宮町と合併している。
踏切を渡り、新緑の街路樹が目に鮮やかな栄田ニュータウンを通り抜けると、国道4号線との交差点に突き当たる。左折し、国道をひたすら南下する。実は、この交差点から700メートルほどは前回歩いた区間と重複してしまうのだが、致し方ない。
沿道は、はじめのうちは住宅街であるが、西側から東北自動車道の本宮インターチェンジが近付いてくると、工場が建ち並ぶ風景へと変わる。ロードサイドショップもいくつか展開している。その代表格が、地元のホームセンター・ダイユーエイトを中心としたショッピングセンターの、エイトタウン本宮である。区域内にはスーパーやドラッグストアが建ち並んでいるが、どういう訳か、国道沿いは松屋にガストにモスバーガーと、外食チェーンが固まっている。これらのように、付近の工場の従業員、あるいはインターチェンジを通過するドライバーを目当てにした外食店やコンビニの姿が目に付くのも、この界隈の特徴のひとつと言えよう。
エイトタウン本宮を過ぎしばらく行くと、本宮で一番広い敷地を有する工場であるアサヒビール福島工場が見えてくる。工場の周囲には製造中か製造後かはわからないが高さ10メートルを超える大きなタンクが十数個は並んでおり、威圧感を倍加させている。工場を前にしたら、条件反射的にビールが飲みたくなってきた。散歩開始から既に3時間以上が経過していたしすぐ近くには五百川駅もあるので歩くのをやめようかなと思いかけるが、幻想を振り払う。今日はもう少し頑張って、日和田駅まで歩こうかと思う。
工場の敷地の先で、再び五百川を渡る。橋の名前は「日本橋」という。五街道の起点となるお江戸ニホンバシでも道頓堀に架かるニッポンバシでもなく、ヒモトバシ、と訓む。命名理由はごく単純で、郡山市和田町本宮市とを結んでいる橋だからだ。橋の周囲は両側とも工業地域で景観面での統一性はまずまずあるものの、三越本店を中心とした繁華街を形成している東京や「東のアキバ、西のポンバシ」と形容される電気街の大阪とは違い、こちらの日本橋は橋を中心に一つの街が形成されるという雰囲気にはなさそうだ。
いや、待てよ。日和田と本宮とを結びつけるものが、一つあるかも。それは、音楽。本宮が伊藤久男を輩出したことについては先に述べたが、日和田もまた、「アンコ椿は恋の花」「好きになった人」など都はるみの一連のヒット曲を手掛けたことで知られる作曲家・市川昭介(1933~2006)の出身地だったはずだ。両者の間に接点があれば、交流の良いきっかけになるだろう、とふと思う。
ところが、帰宅後に調べてみると、伊藤と市川との年齢差が23歳と親子ほども離れているせいもあってか、また活躍期間も、1960年頃を境として伊藤は以前、市川は以降とクッキリ分かれており、接点らしいものは見当たらなかった。ただ興味深かったのは、両者とも、小野町出身で郡山市にも縁が深い丘灯至夫(1917~2009)が作詞した曲を歌い、作曲した経験があったこと。ところがその曲というのが、伊藤の方が作詞・丘、作曲・古関裕而福島県出身者でガッチリ固めたにも関わらずなぜか金沢市を歌った「百万石音頭」(なお、伊藤と共に永田とよこが歌唱に加わっている)であり、市川に至ってはアニメソングの「ハクション大魔王の歌」(歌唱・嶋崎由理)。いずれも、郡山や本宮のまちおこしには使いづらい。
断続的にではあるが2キロ以上は続いた工業地域を通り抜け、再び日和田の街に出る。県道岩根日和田線との交差点を左折し、1キロほど歩くと日和田駅に着く。ただし、駅の改札が国道の反対側にあるので、途中にある歩道の設けられていない古びた陸橋で線路を渡ることになる。通過車両を気にしつつ恐る恐る渡ろうとすると、欄干を見ると「かつみばし」との表示があるのを発見。こんな所にも花かつみ。日和田の人々の、かの花への思いが伝わるネーミングだなと感じた。