2010年6月11日 ~東邦銀行支店巡礼(21) 三春支店(後半)~

散歩では初来訪の三春町ではあるが、クルマでは何度か訪れたことがある。直近だと7年前か。妻と、まだ歩くことができなかった上の子との3人で、町中心部の北(厳密には郡山市西田町)にある高柴デコ屋敷や斎藤にある三春ハーブ花ガーデンを見て回った。市町界の分水嶺から坂を下ると、その三春ハーブ花ガーデンの前を通過する。外観には見覚えがあったが、あの時どこをどうやって通ったのかは記憶から全く抜け落ちていた。
更に少し歩くと、しばらく離れていた須賀川三春線と再び合流する。ここもまた、記憶にない風景だ。左右に丘陵が展開する谷底を、延々と北上するのみである。あまりにも同じ風景が長く続くので、狐か何かに騙されたのかという気分にもなってくる。
と書くと「会津猪 仙台狢、三春狐にだまされた…」と戊辰戦争を皮肉った俗謡が思い出される。戊辰戦争に関する各種記述はある意味郷土自慢、あるいは擁護の側面があって、特定の藩を中心とする視点で描こうとすると敵対する藩はどうしてもスケープゴートにされてしまいがちだ。いわゆる会津観光史学などその典型だと思うが、福島県にある藩では唯一奥羽越列藩同盟から新政府軍へと寝返った経歴を有する三春藩もまた、そういった記述によって長い間「狐」の汚名を着せられてきた感がある。三春藩の選択は、決して「裏切り」の一言で終わらせるべきものではなく、会津、仙台、米沢といった列藩同盟側の大藩や新政府軍の動向に翻弄されながらも領土、領民を守るために命がけで行われたものであると、個人的には解したい。
そんなことを考えながら相も変わらぬ風景の中を歩いていると、不意に、路傍に停車していたユニック車の運転手から、声を掛けられる。
「よお、どこまで行くんだい?」
「三春です」
「だったら、そんなとこ歩いてないで、乗っけてってやっから」
「いや、今ウォーキング中ですから…」
短いやり取りだったが、5年にわたる散歩経験において「乗っけてってやっから」なんて言われたのは初めてだ。結果的には私の都合でお断りしたが、とても嬉しかった。運転手が三春の人かどうかはわからないが、見ず知らずの人に手を差し伸べる姿には「狐」の面影など微塵もないではないか。やはり、三春に不当にかけられた汚名は、雪がねばなるまい。
やがて田んぼが減って丘陵の中へと入り、しばらく歩くと磐越自動車道をアンダークロスする。この辺りからいよいよ城下町・三春の雰囲気が漂い始め、丘陵の上から谷底に展開する三春の街を望むことができるようになる。やがて私の歩いている道も急坂を下り、その中へと入っていくことになる。
坂を下りきると国道288号線とのT字路で、沿道は八幡町、中町と商店街が続いている。谷底の一本道にへばりつくように多少古ぼけた感のある商店が連なる様は、川俣町の中心部に似ている。いくつか交差点を通過すると、直行する道路が丘陵を上り、中腹には神社。この辺も、川俣そっくりだ。
三春支店は、中町の一角にあった。古くからの町屋を取り壊してその跡地に建てた模様で、間口が狭く、奥行きが深い。駐車場も、どこにあるのかわからない。ここは、川俣とは違う。川俣支店(111)は間口も駐車スペースも広かった。
三春の街はそんな風景ばかりが続くのかなと思いかけたが、ATMで入金を済ませた後更に歩を進めて大町に出ると、突如として様相が一変する。広い幅員の道路に、御影石の歩道。電柱も地下化してスッキリしている。そして何より驚いたのは、恐らく道路の拡張と共に改装された沿道の店がことごとく城下町らしい外観を保っている上に、間口の屋根が揃って平入りだったことであった。同じ電柱地中化でも、街並みを「ただ新しくしただけ」の感がある須賀川はえらい違いだ。なお、大町の街並みは、「美しいまちなみ優秀賞」として2007年度に国土交通省から表彰を受けているとのことである。
先述したように、本日の行程の目標は「最低でも要田駅」である。その最短距離は国道288号線をひたすら歩くルートでありしかもこの国道は大町をほんのちょっとかすめるだけで左へと別れてしまうのであるが、やはり、良い景観は人を惹きつける。大町をそのまま進んで、主要地方道飯野三春石川線へと入ってしまった。この道を通っても要田に着けないことはないが若干遠回り。従って、国道へと戻る必要が生じる。大町を引き返すことも考えたが、せっかく城下町・三春に来たのだから、大町の北東に位置する三春城址(城山公園)を訪れてみることにした。城址への道は、御影石の歩道が尽きる南町、福祉会館やシルバー人材センターなど町の施設が集中する一角から出ている。
勇んで飛び込んだ城址への道であったが、山城ということもあり、急な登り坂。磐城守山駅を出てから既に3時間が経過しており息も切れ切れの状態であったが、何とか登り切り、城址へとたどり着いた。大町の街並みに比べると整備状況はやや粗雑な感じがする。ここからも三春の街が良く見えるので、展望スポットとしてもっと活用されればいいなと思うが、直下に小学校がありプールの授業を受ける子供達の姿なぞ目にしてしまうと、高所だから展望台という安直な発想は却下した方がいいのかもしれないとも感じる。
城址を辞し、町外れのひなびた風景を歩いて、国道に戻る。郡山と田村地方、双葉郡とを結ぶ路線であるが、交通量はあまり多くない。それでも歩道はきちんと整備されているから、歩きやすい道ではある。沿道には福島県三春合同庁舎や田村警察署といった行政施設、あるいは工業団地なども展開してるものの、ロードサイドショップやコンビニの類は見当たらない。主要道路と呼ぶには人気薄、といったところか。
そんな中をしばらく歩くと徐々に田畑や雑木林が増えていき、道路状況に見合った景観へと変わる。時計を見ると11時を過ぎたところ。そろそろ帰りの足のことも考えねばなるまい。磐越東線の下り列車は、船引には11時46分、要田には11時54分に発車する。船引まではちょっと厳しそうだ。今日は要田で止めにしよう。
国道からは線路が見えないが、磐越東線はその北1キロほどのところを走っている。要田駅は、熊耳(くまがみ)のバス停を過ぎた先にある主要地方道浪江三春線との交差点を左折し、ちょっと歩いた先にある。左折してすぐに、自治体が田村市へと変わる。これで散歩に訪れたことがある自治体数は、34ヶ所となった。