2010年6月27日 ~東邦銀行支店巡礼(22) 船引支店(後半)~

ところで、踏切の先にある磐城常葉駅であるが、駅名の由来となった田村市常葉町から丘陵を挟んで南西に4キロほど離れた田村市船引町今泉に所在している。にも関わらずそのような駅名がつけられた背景は、磐越東線の開通当時既に町制施行していた常葉への配慮ないしはリスペクトによるものなのかと長らく思っていた。
が、当の常葉町には、鉄道忌避伝説が残っているという。地元の伝によると、当初磐越東線は常葉市街に近い七日市場に駅を設け市街南部の関本を経由して大越へと抜ける予定だったのだが、住民の反対で常葉を通らないことになったという。そして、後に鉄道の利便性に気付いた住民の請願により開通6年後の1921年にこの地に駅が設けられたとのことである。
阿武隈急行沿線や東北本線松川駅付近に残る鉄道忌避伝説同様、この話もまた、疑ってかからねばなるまい。船引から大越に至るのに常葉を経由するのでは現ルートよりも遠回りになるし、しかも常葉~大越間では急勾配かトンネルを設けなければならなくなる。つまり、鉄道建設の原則から考えると、常葉経由は非効率なのだ。逆に現ルートは大滝根川の支流の牧野川に沿っているから勾配も殆どない。これらの背景を考えると、常葉の住民が鉄道忌避を行ったという史料の存在が確認できなければ、常葉の鉄道忌避伝説は、フィクションの可能性が高いと考えてよいだろう。
磐越東線同様今歩いている道路もまた勾配が殆どないため、船引から大越に入ったこともまた、しばらくわからなかった。沿道にあった鬼五郎・幡五郎のイラストを見て、ようやく気がついた次第。
ちなみに、鬼五郎・幡五郎とは、その昔この地に住んでいて坂上田村麻呂蝦夷征伐に対し勇敢に立ち向かったという伝説を残す兄弟。田村地方といえばこの地に拠った戦国大名・田村氏が田村麻呂の末裔を称するなど田村麻呂信仰の強い地域だとばかり思っていたが、例外もあるのだ。
鬼五郎・幡五郎以外にも、大越には「個性」がある。それは、前方遠くにそびえる採石場の跡地。山の最上部が削り取られており、白い内臓を晒しているのだ。大越は石灰石の産地として発展した歴史を有しており、10年前まで大越駅を発着する定期貨物列車が運行されていた。いわゆる鉱山町を訪れた経験が殆どないこともあり、大越にはその面影が残っているのかなと期待を寄せてみる。
が、いざ大越の街に入ってみると、主要地方道に沿って家並みが細長く続くばかり。採石場の従業員が住んでいた住居跡ぐらい残っているだろうとか思っていたのだがそんなものは見当たらず、鉱山町というよりも宿場町に近い雰囲気。むしろ小野新町街道の実在性に保証を与えた格好になってしまっている。
それにしても、大越の町並みは細長い。北端近くに位置する田村市立大越中学校から南端近くに位置する田村市役所大越行政局まで2キロはあるだろうか。左右には丘陵が迫っているが牧野川が刻んだ谷はまだそれなりの幅を保っており集落を形成しうる平地のスペースは確保されているにも関わらずこの状況に至ってしまったのは何故だろう。個人的にはちょっとした謎として残る。
大越行政局から2キロほど南下すると、田村市最南端に位置する滝根に入る。ここの境界も船引から大越に入った時と同じく平坦な場所であるが、沿道から人家や田畑が消え失せ雑木林が増えるから、境界だなと何となくわかる雰囲気はある。
そう言えば、この辺りで、道行くクルマから声を掛けられた。前回の散歩の際に「乗せてくかい?」との親切な声を戴いたので今回もまたか…と思ったが、聞いてみると、内容は全然違うもの。
「あのお、あぶくま洞って、どこですか?」要は、道案内の質問である。
この種の質問を散歩中に受けたのは、初めてのことではない。だから落ち着いて「この道をまだまだ先へと行かなければなりませんよ」と答えたのだが、私自身はこの道を初めて歩く身だから、ちょっと複雑な心境だ。
そのあぶくま洞をはじめ、入水鍾乳洞や星の村天文台阿武隈高地の最高峰となる大滝根山など、滝根は田村市の観光資源を一手に引き受けているイメージが強い。そのせいか街灯もまた、天球儀をかたどった独特のデザインとなっているのが特徴だ。
そんな滝根を堪能したいのは山々なれど、時計を見ると11時に近づいている。郡山へと至る磐越東線の列車はこの辺りを11時台半ばに通過するから、今回は町域北端にある菅谷駅で散歩を打ち切らざるを得ない。もしもこの散歩が平日に行われていたならば、船引支店のATMも8時45分には開いていたから、15分の余裕を活かして次の神俣駅まで歩けたかなとふと思う。だから今回の散歩は、お金を節約したが故に距離を犠牲にしてしまった感がなくもない。
菅谷駅に着いたのは、11時06分のことであった。かつては行き違い設備を有した島式ホームの駅であったが、現在は駅舎側の線路が取り外され、棒線化されている。ちなみに、小野新町以西にある磐越東線の駅で行き違い設備がないのは、菅谷だけである。
その意味では同線屈指の小駅であるが、無人駅ではなく、平日に限り委託駅員が配置されている。 駅舎の中を覗いてみると、ベンチのひとつひとつに敷かれている座布団や、非常に小規模ながらも漫画本から岩波新書まで揃っている図書コーナー、また田村市が発行している観光パンスレットが綺麗に揃えられている様子など、委託駅員か地域住民、あるいはその双方かはわからないが、駅をより多くの人に気持ちよく使って欲しいという気持ちが強く伝わってきて、非常に嬉しく感じた。
菅谷駅に着いて数分後、再び雨が降ってきた。天気予報のことを考えれば、よくぞ今まで雨が降らなかったものだと思う。今日は天の恵みに感謝、感謝の散歩でもあった。