2010年7月6日 ~東邦銀行支店巡礼(23) 小野支店~

雨天コールドとなってしまった5月26日の散歩を別とすれば、郡山ブロックをめぐるここ数回の散歩は、1回につき概ね4時間ほどの歩行時間を要している。散歩先が遠方なので行き帰りの交通費を考慮しより長い距離を歩いておきたいという気持ちが、反映された結果なのだろうとは思う。
が、今回の散歩に関して言えば、起点の菅谷駅から約10キロ先、歩行時間にして2時間あるかないかの位置にある小野町で、打ち止めにせざるを得ない。小野町内から郡山市南東端に位置する田母神までの約10キロの間に、公共交通機関が存在しないからだ。もっとも、これまでの散歩で歩いてきた距離を考えると田母神まで歩けないことはないのだが、ここから郡山駅前に至るバスは正午過ぎに出てしまうし、これに間に合わないとなるとなんと午後4時過ぎまで待たなければならない。さすがにそんなリスキーなコース取りはやりかねる。
加えて、天候の問題もあった。散歩日は7月6日と決めていたのだが、週間予報が発表された段階からずっと、当日の天候がよろしくないとの予報が続いていた。福島と小名浜の天気予報を交互に見て、さしあたって午前中は雨が降らないとの予報を得て散歩決行に踏み切った次第なのだが、午後は雨模様になるのが確定的な情勢。従って、この面でも早めの退散を余儀なくされそうな事情があった。
そんな訳で、今回の散歩は、小野支店(209)を訪れることが第一の目的となる。また、先ほど「福島と小名浜の天気予報を交互に見て」と書いたように、散歩先は中通り浜通りの境目に位置する。沿道風景にも浜通りの影響がある程度あるはずで、その様子を垣間見れるかどうかも楽しみだ。
いつものように、桑折駅発5時41分の電車で出発。1時間ほど揺られて郡山で7時00分発の磐越東線の列車に乗り換える。この列車は前回の散歩に行く際も利用したが、前回は日曜日だったのに対し、今回は平日。磐越東線の沿線には高校がいくつか所在するのである程度予想はしていたが、車内は高校生であふれ返っていた。
あまりストレートに書くのもどうかと思うが、磐越東線における高校生の乗車マナーは、非常に悪く、不快な印象が残った。乗ってみてまず驚いたのが、床一面に複数の高校生のバッグが放り投げられていたこと。どれもこれもギッシリ中身が詰まっており重くて手に持つのが嫌な気持ちは理解できなくもないが、車内に網棚があるのになぜ利用しないのだろう。また、こともあろうに優先席に荷物を置き複数の座席を占領している高校生もいた。何のための座席か見てわからないのだろうか。極めつけは、身だしなみ。髪型の乱れは昔も今もあることなので特に気にはならなかったが、驚いたのは、サンダルを履いている高校生が複数いたこと。近所を出歩く訳でもあるまいし、仮にも学びに行くのだからそんな格好はないだろうと思う。
なお、これらの愚行に走る高校生は、沿線にある高校のうち一校の生徒に集中しているようだ。彼らの狼藉のせいで、同じ列車で通学している他校の生徒だって迷惑しているだろうし、磐越東線全体のイメージも悪化していないかどうか心配にすらなる。
郡山まで乗った東北本線ではこのような状況は全く見られなかったのに、どうして磐越東線では…と思い車内を見渡すと、高校生以外の乗客が殆ど乗っていないことに気づく。東北本線の場合相当数乗っている通勤客が良き見本となって高校生もそれに従う傾向があるのだろうが、ほぼ高校生に独占された磐越東線の車内は、彼らのパラダイス。つまり、ある意味世間の波に揉まれず純粋培養されてしまっているのである。
これは非常にまずい。沿線自治体とJRとがスクラムを組んで、一刻も早く対策を施すべきではないだろうか。大越駅の駅舎には「躾と優しさを教える鉄道」なるスローガンが掲げられていたが、これを現状に対する痛烈な皮肉に終わらせてしまってはならない。
菅谷駅へは、定刻から若干遅れて7時42分に到着。駅舎の事務室の電気がついており委託駅員の姿が拝めるかなと期待したが、切符を回収したのは列車の最後尾に乗っていた車掌であった。
さて、気を取り直して散歩スタート。前回の続きで、主要地方道船引大越小野線をひたすら南下する。前回歩いた大越と同じく菅谷の集落もまたこの道路に沿って展開しており、宿場町の雰囲気を感じる。なお、集落の南端では、第5小野新町街道踏切で、磐越東線を渡る。
その後も磐越東線に寄り添う形で、左右を丘陵に挟まれた谷底を南下する。風景には特段の変化は見られないが、よく見ると、水の流れる方向が変わっているようだ。菅谷までは阿武隈川の支流のそのまた支流にあたる牧野川をさかのぼっていたから私の歩く方向とは反対に流れていたはずなのに、今は私と共に南下している。どうやら、阿武隈川の水系からいわき市へと注ぐ夏井川の水系に入ったようだ。
菅谷から約3キロ、田村市滝根町の中心集落である神俣を過ぎると、夏井川支流の梵天川や夏井川本流が寄り添うようになり、その傾向は一層顕著になる。梵天川には「二級河川」の看板が掲げられている。我が国の河川は「水系」で区分されているため、どんなに細く短い流れであっても大半が阿武隈川久慈川といった大河に注ぎ込む福島県中通りを流れる河川は国土交通省が管轄する一級河川になってしまうのだが、どっこい大河の冊封体制下にない二級河川もここに流れていたぞと、妙な矜持を感じてしまう。
このことは中通り浜通りとの境界に位置するこの界隈ならではの現象とも言えるのだろうが、実はもう一つ、境界をハッキリ意識させる光景を、目の当たりにすることができる。道行くクルマのナンバープレートに、いわきナンバーを掲げたものが増えているのだ。
タネを明かすと、2005年の田村市発足まで、現在歩いている滝根、前回歩いた大越は、いわきナンバーの交付対象地域であった。だからいわきナンバーのクルマが多いのは当たり前という一面は確かにあるのだが、南下するごとに「いわきナンバー率」が上がっているように思う。大雑把な感覚だが、大越で2割だったのが滝根で5割前後まで上昇している雰囲気だ。
そんなこんなで浜通りの匂いが漂ってくる滝根であるが、町並みの方はというと、菅谷、神俣、広瀬と集落が分散されており、かつて町制施行していたという雰囲気はあまり伝わってこない。大越とは人口、面積ともに似通った規模のはずだが、大越駅周辺に大きい(というか、異様に細長い)集落が展開している大越に比べると、どこか小粒な雰囲気を感じてしまうのは否めない。ただ、最南端の広瀬の集落に関して言えば、ここには磐越東線の駅が設けられなかったせいか、旧家が比較的多く、大越、滝根にあるどの集落よりも宿場町、ないしは街村のイメージを色濃く遺しているように思われた。
その広瀬を過ぎ、低い分水嶺を越えると、小野町に入る。この種の境界を有する自治体は市街地に入るまでにそれなりのアプローチというかプロローグが続くケースが多いのだが、小野町の場合は坂をちょっと下るといきなり市街地へと入ってしまうので、面食らう。
市街地の入り口にある交差点で左折し、主要地方道小野四倉線へと入る。四倉という地名にもまた、浜通りの匂いを感じる次第。なお、小野町は、現在もいわきナンバーの交付対象地域であり、道行くクルマも大半がいわきナンバーとなっている。ただ、宅急便やヤクルトの配達車などの営業車には福島ナンバーが多く、そのことがまた、この地域が中通り浜通りとの境界であるとの印象を強くしている。
磐越東線の線路を陸橋で越えると、いよいよ小野町の中心商店街。メインストリートから少し外れた位置にあるリカちゃんキャッスルの尖塔がチラリと見えるのが印象的だが、商店街自体は1960年代か70年代を思わせる古色蒼然とした雰囲気。特に驚いたのが商店の看板に掲げられた電話番号で、小野町中心部の電話番号は「0247(72)****」であるはずなのに、かなり前に使用されていたと思われる「(2)****」ないしは市内局番なしの「****」を掲げている所が多いのだ。町並み自体には人口規模(約11,000人)以上のものを感じただけに、未整備ぶりが非常に気になるところである。
小野支店は、そんな商店街の一角にあった。建物自体は新しく駐車場も整備されていたが、前述の事情により周囲からは浮いた格好になっている。ATMで1,000円を入金。これで、郡山ブロックにおける訪問店舗数は10店舗と二桁に乗った。
さて、あとは帰りの足を待つのみ。小野町内には磐越東線小野新町駅もあるが、今回は磐越自動車道小野インターに接した高速バスのバス停へと向かう。こちらの方が次の訪問先である安積支店(211)から3キロほど近い(と言っても、30キロ以上離れているのだが)位置にある上に、いわきと郡山、会津若松、福島、仙台とを結ぶすべての高速バスが発着するなど運行本数も多いので、何かと便利なのである。運賃もまた、高速バスの方が安い。
バス停に着いたのは、10時ちょうどのことであった。ログハウス調の待合室には、初老の男性が一人。今日はバスには乗らないけれど今後仙台に行く予定があるので、バスの時刻を調べていたとのこと。これまで仙台へは磐越東線東北新幹線のルートで行っていたのだが、高速バスの方が乗り換え不要だし運賃も安くていいねと言う。
確かにその通りだと思う。高速バスは安価だが列車に比べると揺れが激しく乗り心地が良くないため体力に自信のある若年層がコアな利用者層と思われがちであるが、少なくとも小野町やいわき市においては、高齢者へも支持を広げつつあるようだ。10時02分にバス停を発った仙台行きのバスは年配のお客さんでほぼ満員の状況。私が乗った10時06分発の郡山経由会津若松行きのバスも、座席の半分ほどしか埋まっていなかったものの、利用者の大半は高齢者であった。
ひょっとしたらこの傾向は、高速バスの利便性の高さも重要なファクターなのだろうけど、今朝磐越東線の車内で見たおぞましい風景も少なからず影響してはいないだろうかと、ふと考える。やはり、風紀の乱れは一刻も早く改善しなければなるまい。磐越東線の将来のためにも。