2010年7月10日 ~東邦銀行支店巡礼(24) 守山再訪~

前回の散歩で郡山ブロックの東南端・小野支店(209)を訪れた後は、一気に郡山市内に戻って安積支店(211)、郡山卸町支店(212)、菜根支店(213)と回ることになる。そろそろ街の風景も恋しくなってきたので、来訪が非常に楽しみだ。
が、小野支店と安積支店との間の距離は、主要地方道小野田母神線と国道49号線を経由を経由して30キロ以上もある。散歩の計画当初は一気に歩き通すことも考えたが、私の体力では難しいと思う。そこで、国道49号線の沿道にある水郡線谷田川駅磐城守山駅で中断し、2回に分けて歩くことにした。谷田川駅「か」磐城守山駅と中断地点をぼかした理由は、谷田川駅を10時34分に発つ郡山行の列車に間に合うかどうか判断がつかなかったため。磐城守山駅は6月4日の散歩で利用しているし、あの駅前商店の店主から切符を買うのもちょっと恥ずかしいし、できれば谷田川から乗りたいと思う。
いつものように、桑折駅発5時41分の上り電車に乗車するも、郡山駅方面へ行かず、5時54分着の福島駅で下車。ここでいわき行の高速バスに乗り換える。前回の散歩の終点が小野インターバス停だったから当然のことだが、この福島といわきを結ぶ高速バスには不思議な点があって、福島からだと予約不要で乗車できるのに、いわきや小野からだと予約が必要になる。不平等条約のようで、釈然としない。
6時05分に、バスは福島駅東口のバスプールを発車。乗客は私を含めて4人しかいなかった。走り出したバスは、まず平和通りを東進し、福島県庁前へと向かう。あれ?郡山行のバスと経由先が違うような… 確か郡山行のバスは県庁前に立ち寄った後に福島駅東口、福島駅西口、八木田橋、八木田、福島陸運支局と経由していたはずだが、いわき行のバスは、福島駅東口、県庁前の順で経由し、福島駅西口から八木田までの停留所には立ち寄らず、福島陸運支局へと至っている。行先によってルートが統一されていない点にもまた、違和感を覚える。
東北自動車道磐越自動車道と1時間少しバスに揺られて、小野インターバス停に到着。時刻表には7時14分という発車時刻しか書かれていなかったが、到着時刻は7時12分で、2分早かった。
さて、散歩スタート。インターチェンジの取り付け道路に沿って南下すると、主要地方道小野田母神線に突き当たる。前回、前々回の散歩で歩いた主要地方道船引大越小野線の歩道の整備状況が悪かったのでこの道路もそうなんだろうなと覚悟して来たのだが、意外にも広々とした歩道が整備されているのが嬉しい。前夜に降っていた雨もすっかり上がり、上空も久々の青空。前途洋洋の散歩日和である。
が、そんな時に限って、「先日町内の山中で熊が出没したとの情報が寄せられております。山に入られる方はご注意を…」などと、気分をぶち壊しにするかのような無線放送が流れたりする。まさか遭遇はしないだろうと思いつつも、初めて歩く道、しかも終点の郡山市田村町田母神との間に峠越えが控えているので、多少心配になる。
峠の近くには小野山神なる地名もあるので不安度は更に増したが、その小野山神に入っても、沿道には人家や田畑が展開し、熊が出てきそうな雰囲気は感じられない。登り傾斜のはずだが斜面は非常に緩やかで、登っても登っても田んぼが途切れない。たばこ畑も目立つ。
結局、山間らしい風景に殆ど出合わないまま、峠を越えて郡山市に入った。
ところが、郡山市に入った途端に、沿道での山林の比率が増えてくる。小野町側とは対照的に歩道のない個所が多いし、ヘアピンカーブの急な下り坂もある。熊への恐怖を再び感じてしまう次第。帰宅後に地図を確認すると、小野インターチェンジ付近と田母神の集落はいずれも標高450メートル程度、峠の標高は600メートルを少し切る程度なのだが、峠からの距離は小野インターチェンジまでの方が田母神までの倍以上あるのだ。従って、田母神側の方が山道っぽい雰囲気になってしまうのはやむを得ない。
そんな状況なだけに、坂を下り終えて田母神の集落に着いた時には、心底ホッとした。規模こそ小さいが、小学校、簡易郵便局、駐在所と一通りの施設は揃っているし、郡山駅前とを直結するバス路線も走っている。集落内のある家では葬儀が行われていたが、それすらも、妙な安心感を与えてくれた。
そして何よりハッとさせられたのは、前方に見える蓬田岳の姿。標高こそ952メートルに過ぎないが堂々たる独立峰で、「平田富士」の異名もあるという。その名が示すように、山の向こう側は石川郡平田村蓬田である。
思えば、須賀川から守山に入りスタートした田村地方を巡るこの4回の散歩は、阿武隈高地の山々との付き合いの連続であった。吾妻連峰安達太良山のように夏が近づいても頂上に雪をいただくような山こそ皆無だが、人々が生活を営むそのすぐそばに山があり、中には船引の片曽根山や大越の石灰石鉱山跡地、滝根の広瀬でちょっとだけ姿を現した矢大臣山、そしてこの蓬田岳と、非日常性を垣間見せてくれるものもあった。
そして、その田村地方を巡るエピローグも、谷田川が刻む谷底に沿う国道49号線。交通量は少なく、ロードサイドショップはもちろんのことドライブインやコンビニすらも見られず、本当に二桁国道なのかと疑ってしまうぐらいなのだが、それが却って山の存在感を際立たせている。国道の南側には、郡山市民や須賀川市民のハイキングスポットとして知られる宇津峰がある。国道沿いにも登山口への案内板がいくつか見られたが、国道からだと距離が近すぎるがゆえにその姿をきちんと拝むのは難しいかもしれない。
というか、この時点では、宇津峰に目を配る余裕が、殆どなくなっていた。冒頭で記した水郡線の列車に間に合うかどうかの瀬戸際だったからである。山々には目もくれず、時計とニラメッコ。国道脇に掲げられた距離表示で確認すると歩く速さも時速6キロを超えていたようなので、かなりの早足だ。
やがて左右の山がなだらかになっていき、谷田川の集落へと入る。小学校や郵便局はもちろんのこと、医院やコンビニもある。徐々に郡山の街に近づいているんだとの感を強くする。が、水郡線の列車の方は、間に合わず。小学校を過ぎた先にある谷田川北田というバス停の左手遠くに、通り過ぎ行く列車の姿が見えた。
なお、次善の策としていた磐城守山駅発の水郡線の列車は、2時間近く後の12時20分発。谷田川と守山との間は3キロ程度しか離れていないから、逆に時間に余裕ができる。そのせいか、歩く足も自然とゆっくり目。丘陵が遠のき、水田が広がる風景の中を、テクテク歩く。守山の町が近付くと、国道沿いには郡山市役所田村行政センターをはじめとした行政施設や、コンビニなどが展開。先月に守山を訪れた時は旧態依然とした町というイメージがあったが、国道沿いは平凡な地方の町といった風情だ。
結局、磐城守山駅には、11時22分に着いた。列車の到着までは1時間近くあるので、待合室でしばらく休憩。落ち着いてから、再び町へと出た。お昼が迫っているから、お腹も空いている。
しかし、駅周辺で食糧を調達するのは、ある意味至難の業だった。水郡線の切符を売っている駅前商店や先月訪れた酒屋兼衣料品店ではお菓子やおつまみ程度のものしか売っていないし、あとは未だに量り売りをやっていそうな雰囲気のある米屋と、あとタバコ屋がある程度か。タバコ屋には多少の食料品がありそうな感じもするが、この店はなぜか釣具屋も兼ねており、入口に「みみず」と大書されているのを目の当たりにすると、店内に入るのはかなりの勇気を要してしまう。
そこで、国道沿いに出てみることにした。変わった店が点在する守山のメインストリート(?)から国道までは、直線距離で200メートルほど。途中には教材販売専業の書店というこれまたマニアックな店もあったが、国道沿いにはコメリやブイチェーン(郡山地盤のスーパー)など馴染みの顔があり、ホッとした次第。結局、食糧はブイチェーンで購入した。
ところが、駅へと戻る時に、妙な立看板を発見する。
「福島朝鮮初中級学校」。
帰宅後に調べてみると、守山の町から1キロほど東に入った所に、その学校はあるという。これまた珍しい施設があるものだと思う。東北地方には、仙台市太白区八木山にある東北朝鮮初中級学校とここの二つしか、朝鮮学校はないとのこと。明治時代以降に商工都市として急速に発展しその過程で他地域から多くの人が流入した経緯を有する郡山ならではの施設と言ってもいいのかもしれない。
思いがけぬ発見の連続で守山の町を堪能し、列車到着10分前に駅へと戻る。駅前商店で切符を購入。また「蒐集ですか?」と訊かれないだろうかと散歩の時とは違う種類の汗が頬を伝ったが、郡山までの切符を所望すると、店主は何も言わず事務的に発行してくれた。