2010年9月18日 ~自宅に帰る② 喜久田から磐梯熱海を経て五百川まで~

この10日間ほどで、気候がすっかり秋らしくなってしまった。
歩きやすい気候になったと一般的には思われがちだが、実のところ、私にとっては春と秋は逆に鬼門の季節である。
その理由は、散歩先から自宅に帰る際の過ごし方。散歩では毎回15~20キロ歩いて汗びっしょりになるから4月下旬から10月中旬までの約半年間はTシャツ短パン姿で歩きたいし実際歩いているのだが、その服装で散歩先から帰るとなると春と秋には移動中に身体を冷やしてしまう可能性がある。
だから、この時期にはなるべく自宅の近くを歩くようにして散歩以外の移動時間を少なくするように一応配慮しており、今年も9月中には信達地方に戻る計画を立てているのだが、これだけ急激に季節が進んでしまうとなると、特に二本松近辺でドツボにハマってしまわないかちょっと不安になる。
とにもかくにも、歩けるうちに目いっぱい歩いてしまうしかない。今日は、喜久田駅から磐梯熱海温泉を経由して本宮市まで歩く予定を立てている。桑折駅5時41分発の上り始発列車に乗車。6時53分着の郡山駅磐越西線に乗り換え、7時04分、喜久田駅着。7月28日にも歩いた堀之内の集落を通り抜け、国道49号線との交差点を右折し、磐梯熱海方面へと歩を進める。堀之内以北の国道は、2車線。沿道は稲穂が黄金色に輝く田んぼが広がっている。
いや、もう一つあったか。磐梯熱海温泉のホテルや旅館、あるいは猪苗代辺りのスキー場の立看板が、異常に多いのだ。「会津」の匂いを感じる。国道を行くクルマも、5台に1台ぐらいの割合で会津ナンバーだ。これで「猪苗代 27キロ」などという道路標識が登場すると、行先を本宮ではなく猪苗代に変更したくなってくる。会津ブロックに展開する東邦銀行の店舗を回るかとうかは決めていないが、公共交通機関の便を考えると、磐越西線に沿ったこの国道49号線が、会津へのアプローチの最有力候補ではあるだろう。
が、国道を歩き通すのは、実のところ容易なことではない。というのも、喜久田磐梯熱海の中間にある安子ヶ島駅付近以西で歩道がなくなってしまうのだ。従ってこの区間は路肩を歩かざるを得ないのだが、路傍に生い茂る雑草が車道付近まで張り出している箇所もあり、歩きにくいことこの上ない。というか、歩くべきではない道である。
この状況が、温泉街の1.5キロほど手前、熱海バイパスと旧国道とが分岐する地点まで続く。さすがにバイパスには歩道が完備されているようだが、温泉街に行くには旧道を歩くのが近道だ。交通量は減るものの相変わらず歩道がなく、しかも路肩の幅が20センチあるかないかの狭さ。難行苦行の行程は、五百川を渡った先、磐越自動車道磐梯熱海インターチェンジや郡山石筵ふれあい牧場へ通じる道路が分岐する地点まで続く。
なお、この地点の直前右手にはユラックス熱海、左手にはかんぽの宿郡山と、磐梯熱海温泉を代表する宿泊施設を見ることができる。いよいよ温泉街かと心躍るが、磐梯熱海駅の南側一帯、約500メートルの区間は、宿泊施設も少なく、至って普通の街並み。商店もチラホラ見られるが廃業したものも少なくないようだ。
温泉街のメインスポットは、駅の西側に展開する左右に丘陵が迫った五百川の谷底。方々に走っていた道路が旧国道に集約された場所にある。熱海バイパスの開通を契機にしたのかどうかはわからないが、旧国道は電柱地下化や歩道のカラー舗装が施され「萩姫ふれあい通り」として温泉街を彩っている。ちなみに、萩姫とは、磐梯熱海温泉の開湯に少なからぬ貢献があったとされる南北朝時代の京都の姫君。実在性は非常に疑わしいのだが、温泉街では萩姫まつりなるイベントやミス萩姫なるミスコンテストが開催されるなど、萩姫を軸とした地域おこし活動が盛んである。
ただ、そういった盛んな活動とは裏腹に、萩姫ふれあい通りの沿道は、古びた宿泊施設や商店が軒を連ねている。なまじ道路を新しく整備したのが仇となり、建物の古さが際立ってしまったようにも感じる。その中には、廃業したものもいくつか見られる。沿道で一番目立っていた建物は、宿泊施設ではなく、太田熱海病院だったかもしれない。病院のみならず人間ドック併設の保養所や職員の家族が利用する保育所、寮などが近隣に展開しており、また医療法人と直接的な関係はないけれど調剤薬局やコンビニも周囲にあるので、温泉街というよりは病院城下町的な様相を呈している。
温泉街らしさを増すのは、萩姫ふれあい通りの北西端、奇しくも今年5月に経営破綻した老舗旅館・磐梯向滝の先で左手に分岐し五百川を挟んで旧国道と対峙している源泉通りかもしれない。飲食店が殆どなく猥雑さは感じられないのだが、街路樹が並ぶ沿道にいかにも今時の温泉宿といった風情の高層ホテルから奥座敷的雰囲気のある純和風の旅館など、個性的な宿泊施設が軒を連ねている。無料で利用できる足湯もある。客が誰もいなければ入ってみようかと思ったが、あいにく一人いたので、断念した。
源泉通りからは何となく「趣味の良さ」を感じた次第なのだが、ひとつだけ、いただけないというか画竜点睛を欠く部分があった。整備区間の北端に、ラブホテルが一軒あったのだ。宿泊施設には違いないが、どうしてこんな所にあるのだろう。場所柄をわきまえて営業して欲しいと思うのだが。
ラブホテルの先にある橋で五百川を再び渡り、旧国道に戻る。温泉街の外れにあたる地域なのに、ここもまた歩道がない。多分この状態のまま、会津との境界にある中山トンネルまで道が続いているのだろう。
さっき歩いたばかりの萩姫ふれあい通りを引き返し、今度は通りの南東端にある交差点を左折する。すぐに磐越西線の踏切を渡る。名前は「第四越後街道踏切」。かつての安積街道や二本松街道に相当する区間をJRでは越後街道と表現しており、磐越西線と交わる地点に「第○越後街道踏切」、中山トンネル近くの旧国道に「越後街道跨道橋」が、それぞれ存在する。ここから先は、その越後街道の一部を形成している二本松街道を歩き、本宮市まで向かうことにする。
なお、二本松街道は明治時代に造られた安積街道とは違い、会津若松と二本松(本宮以北は奥州街道に合流)とを江戸時代から結んでいた街道である。従って沿道には宿場町もいくつか整備されており、現在でも磐梯熱海の西に位置する磐越西線中山宿駅の名前などにその跡を残しているが、どういう訳か熱海は宿駅にカウントされていない。
そういう事情があるからか、踏切を渡った直後に展開する磐梯熱海駅前周辺の町並みは、旧家が殆どなく、また宿泊施設も少なめで、いかにも普通の田舎町といった風情である。病院城下町や温泉街、宿場町に比べるとアクセントには欠けるが、磐梯熱海の町にあっては無個性もまた個性の一つと呼んでいいかもしれない。
町並みを通り過ぎてからしばらくの間は、二本松街道主要地方道本宮熱海線となる。久々に歩道も登場し、歩きやすい道路だ。が、新旧の国道49号線に比べると、行き交うクルマが非常に少ないのが気にかかる。つい最近までこの道路は中通り北部と会津とを結ぶ主要道路として機能していたはずだが、磐越自動車道や国道115号線土湯トンネルの開通で、その座を完全に奪われてしまったようだ。
熱海中学校の少し先で、二本松街道主要地方道から左へと分岐する。ほどなくして、横川の集落に入る。「会津街道 横川宿」の標識が見られる。中山の次の宿場がこの横川で、集落内にはかつて名主を務めていたという安田家の立派な屋敷を中心に、旧家がいくつか点在している。規模はさほど大きくはないが、宿場町らしさという点では郡山市内に7ヶ所ある奥州街道の宿場町に劣らない感じがした。
横川の集落を過ぎ、五百川に注ぐ小さな川を渡ると、次に現れるのは青木葉の集落。現在は普通の農村集落だが、かつては磐梯熱海の北部一帯で採鉱を行っていた高玉金山の坑口が集落の北部に設けられ、それなりに栄えていた時期もあったようだ。現在、旧坑口近辺は高玉金山土地管理組合が管理する観光施設となっており、トロッコでの坑内探検や砂金掘り体験などが楽しめる。集落内にも「↑高玉金山」などと書かれた控えめな案内板が、所々に掲示されていた。
木葉を過ぎると、周囲は一面の田んぼ。右手遠方には五百川と、今日の散歩の序盤で通過した安子ヶ島駅付近の集落、そして左手では、丘陵の向こうからクルマの通過音。実は丘陵を挟んですぐの所に、磐越自動車道が通っているのだ。
更に東へ向かうと、右手の五百川、左手の丘陵が徐々に近づき、田んぼのスペースが狭まっていく。やがて、丘陵は崖となり、二本松街道は崖下の際どい箇所を行くようになる。「落石注意」の看板に、ちょっとした恐怖感を覚える。この辺りが、郡山市本宮市との境界。5月13日以来いろいろと歩いてきた郡山市ともこれでお別れだと思うと、少し淋しい。次に散歩に訪れるのはいつのことになるだろう。
とは思うものの、五百川の対岸はまだ郡山市域であって、右手を見れば郡山市の風景をまだまだ堪能することができる。眺めているうちに、このままあっさりと郡山市から去るのが惜しくなってきた。今日は本宮駅まで歩くつもりだったが、予定を変更して五百川に近い位置をキープしながら歩き、市境に近い五百川駅へと向かうことにしよう。
磐越自動車道をアンダークロスした後は、岩根小学校の近く、横川の次の宿場町であった苗代田の集落を過ぎ、どうしてこんな丘の上にあるのかわからない新興住宅地・みずきが丘を仰ぎ見ながら更に東進。右手から東北自動車道が近付いて本宮インターチェンジ近くの工業団地に差し掛かったところで、県道大橋五百川停車場線との交差点が現れるので、これを右折する。東北自動車道をアンダークロスしてちょっと歩くと、目の前には4車線の国道4号線。左手にはダイユーエイトを核店舗とした大型SC・エイトタウン本宮の広大な敷地が広がっている。今日は鄙びた地域ばかり歩いてきたのだが、苗代田から先は新興住宅地、工業団地、ショッピングモールと都市の匂いを存分に嗅ぎとりながらの行程となってしまった。
国道との交差点。右手前方には、アサヒビール福島工場の大きな建物が見える。目指す五百川駅は、あの建物のすぐ東側。だから、工場の建物が、駅へ向かう際の良い目印となる。そして、駅に近づき更にその東を見やると、山裾にへばりつくように展開する奥州街道高倉宿の町並み。結局、今回の散歩のゴールは、郡山市の風景で締めとなった次第。当然のことであるが、次回の散歩のスタートもまた、この風景に見送られることになる訳だ。