2010年10月15日 ~自宅に帰る⑥ 福島駅から上保原を経て桑折の自宅まで~

午前2時に目が覚めた。
前日夜9時に早寝した影響もあるのだが、やはり、散歩直前となると、神経の高ぶり度合いが違うのだろう。
が、その意気とは裏腹に、天候の方が思わしくない。空が白み始めた午前5時の段階で、雨が降っている。
「今日は行くの?」妻に訊かれる。
「行くよ。もちろん。」と私。天気予報では今日は曇りと言っていたので、それを信じたいと思う。妻の不安そうな表情をよそに、5時25分、自宅を出発。桑折駅発5時41分の上り始発電車に乗車する。今年に入ってから世話になりっぱなしのこの電車であるが、今回の乗車を最後に、しばらく乗車しないことになる。名残惜しい気がしないでもない。
福島駅には、定刻通り5時54分着。この駅で我が電車を追い抜く北斗星の姿も、発車メロディーの「高原列車は行く」も味わわないまま、改札を出た。今日はここから、伊達市保原町内を経由して、自宅まで戻る予定である。
雨はまだポツポツと降っていた。福島駅周辺は早朝とも深夜ともつかない雰囲気で、前夜飲み明かしたとおぼしき人たちが歩いていたりする。駅前通りのアーケードにある飲食店の中には、シャッターを開いて彼らを待ち構えているものもある。ここ数年、駅前通りからは商店が撤退し、代わりに全国チェーンの飲食店が入居するという構図が顕著なように思う。この傾向は、全国の地方都市で顕著なのだろうか。空き店舗が空いたままではなく飲食店が来るだけでもまだマシなのだろうか。
パセオ通りを横切り、金融機関が建ち並ぶ奥州街道(レンガ通り)へと入る。東邦銀行本店の前もしっかり通過。考えてみたら、9月10日に須賀川を出発して以来、東邦銀行の店舗の前を通過する機会がなかった。だから、久々に原点回帰した気分になる。
県庁通りとの交差点を左折し、しばらく北上する。高度経済成長期から変わらぬ佇まいを見せているとおぼしき、古色蒼然とした~と言っても、現時点では文化財的価値を見いだせない~通りである。低迷が続く福島市中心街の中でも特に見放された感が強いが、福島稲荷神社までの区間にアーケードが設けられているので、雨に濡れずに済むのは助かる。
神社以北の県庁通りは商店街と言うより閑静な住宅街、文教地区の様相を呈している。その象徴的存在のひとつである福島大学教育学部附属小学校の先で右折する。曲がった先も桜の聖母学院小学校など文教施設が見られるが、何と言っても目を引くのは、福島市役所の新庁舎。外観はほぼ完成しており、年明け早々のオープンにあわせて、今後は内装工事が進められる模様。蛍光灯が煌々と灯る館内で、作業員が忙しそうに動き回っていた。
市役所を過ぎるとすぐに、国道4号線を横断。この辺りで雨も止んできたようで、胸をなで下ろす。福島第二中学校や福島市児童公園の前を通り過ぎ、阿武隈川に架かる三本木橋を渡る。この橋は、東邦銀行支店巡礼で福島ブロックを歩いた際には渡る機会がなかった橋だ。渡河。直後の交差点を左折する。
阿武隈川に沿って北上。対岸には、福島競馬場の大きな建物や、市街地を抱くように聳える信夫山が見えている。いずれも福島市中心部を代表するスポットであるが、観光面ではあまり活用されていないような気がする。阿武隈川新潟市信濃川ウォーターシャトルのような水上バスを運航すれば隘路を無理やり走るバスに頼る他ない福島駅周辺と花見山公園とを結ぶ交通動線になりえたかもしれないと思うし、信夫山も市のシンボルと言われながらどうして今までロープウェイやケーブルカーといった昇降の負担を和らげるような施設ができなかったのか不思議に感じるのだ。また、福島競馬場に関しては、中央競馬であるが故に地方競馬が直面している経営上の苦労は殆どないだろうが、そうであるが故に地元との結びつきがやや希薄な気がする。
これらのツールを活用して、もっと活気あふれる福島市であって欲しいと思う。従前からそのような姿勢で臨んでいたならば、信夫山の麓にNIMBYが進出するような事態にはならなかったのではなかろうか。
そんな想像を膨らませながら、国道115号線を地下歩道で横断。出た先は、保原街道と通称される道路。なお、この道路は、1.5キロほど北上すると主要地方道福島保原線に合流する。また、通称からも推測されるように福島市中心部と伊達市保原町とを結ぶメインルートであり、福島駅から保原町、あるいはその先の伊達市梁川町へ至る福島交通のバスが1時間に2本以上の間隔で走っている。
両地区を結ぶ公共交通機関としては阿武隈急行が通っているし福島交通阿武隈急行の大株主でもあるはずだが、路線が競合する形となっている。奇異に感じるが、沿道の岡部、岡島といった地域は住宅が立て込んでいる~前回の散歩で歩いた旧国道115号線の沿道と同様に、スプロール現象で宅地化された地域だ~ので、鉄道が通じていないこの界隈の住民が福島や保原、梁川へと通勤、通学するためにバスの本数が確保されている面もあるだろう。
ただし、私がこの道を歩いた限りでは、バスを待つ人よりも自転車通学の中学生の姿の方が目立っていたように感じた。この界隈は、阿武隈川の対岸に所在する福島第三中学校の学区。この中学校の学区はかなり広く、福島競馬場のすぐ北にある福島市音楽堂や福島赤十字病院から伊達市霊山町と境を接する大波までが含まれる。保原街道の沿道に関しても、保原町との境界までが学区である。
その境界を過ぎ、保原町に入る。沿道は住宅が減り、左右から丘陵が迫るようになる。しばらく歩くと、左手の丘陵が多少後退し、展望が開ける。以前はこの辺りに、高子沼グリーンランドという遊園地があった。つい最近まで錆びついた遊具が無残な姿をさらしていたが、現在は撤去されており、跡地の一部は高子沼わんにゃんコロニーとして生まれ変わっている。
この一角を過ぎると、高子沼が現れる。施設の名前に使われるだけのスポットだけあって、よく整備されている。ほとりでは釣り人が糸を垂れていた。沼そのものもそうだが、周辺を見ると「高子二十境」と書かれた看板や幟が目立つ。高子沼近辺でそんなにたくさん景勝地があるとも思えないが、観光資源に乏しい保原町だけに、こういったスポットをクローズアップさせて町を盛り上げていこうとの意図は感じられる。
ただし、個人的には、保原町福島市ベッドタウン的存在として1970年代から90年代にかけて急速に発展した街というイメージがまだまだ強い。高子沼のすぐ東側には高子ハイタウンという住宅地があるし、保原街道の沿道にも、新しい住宅がチラホラと見られる。阿武隈急行の線路をアンダークロスし、伊達広域農道と交差する上保原の交差点に差し掛かる辺りからはロードサイドショップも進出しており、保原の市街地にほぼ取り込まれたと言っていい状況だ。
実はこの辺り、個人的には興味がある一帯である。というのも、古川を渡った先の街道沿いに、ヨークベニマルが進出するとの話を耳にしたからだ。ヨークベニマルから阿武隈急行の線路を挟んで500メートルしか離れていない場所に一昨年リオン・ドールが進出しているし、また、やはり1キロと離れていない保原の中心商店街には西友(かつてのエンドーチェーン)やコープマートが営業しているから、保原界隈はスーパー激戦区の様相を呈しつつある次第。しかも、ヨークベニマルに関して言えば、保原から5キロほどしか離れていない伊達市内の旧伊達町や梁川町にも店舗があり下手すると「共食い」になる恐れがあるのに、よくもまあ出店を決断したものだと思う。
ヨークベニマルをはじめセブン&アイホールディングスに所属するスーパーやコンビニは、こういったドミナント出店スタイルを多用する。それは経営戦略としては正当なものの一つと考えて良いのだろうが、集中的な出店によって同業他社を締めだすことが目的の一つでもあるから、えげつなさを感じてしまう。この事態が住民の望むものでないのならば、条例などで規制する訳にはいかないのだろうか。奇しくも伊達市では旧伊達町の住民がイオンの進出を希望しているのに対し県が「まちづくりの観点から」ストップをかけた状態となっているのだが、住民が主体となるべき「まちづくり」本来の観点から言えば、相手が違うのではないかと思うのだ。
基礎工事が進んでいたヨークベニマルを横目に、古川沿いを南下。阿武隈急行のガードをくぐるとすぐに、リオン・ドールがあった。裏手では、商品納入の真っ最中。福島駅を出てからかれこれ2時間以上が経過していたが、出発が早かったので、まだ8時を過ぎたばかりである。
リオン・ドールから西に戻る進路を一旦とり、上保原駅前で伊達広域農道と合流。保原街道との交差点を横断して、北へと進む。農道は、保原街道の他、国道399号線や県道保原桑折線と交差する。これらの交差点の付近では住宅が見られるものの、沿道の大半は農道らしく農地、しかも果樹園が目立つ。特に多いのは収穫が終わって久しい桃畑で勢いを失くした葉っぱが印象的だったが、これから収穫を迎えるリンゴや柿の畑も見られる。伊達地方における果物の季節は、まだ終わりそうにない。
そんな一帯を30分ぐらいは歩いた頃、前方に昭和大橋が見えてきた。この橋を渡るといよいよ桑折町…と思いきや、橋から300メートルほど手前で桑折町との境界の標識が立っている。実はこの傾向、下流に架かる伊達崎(だんざき)橋や徳江大橋でも見られ、地元では「川西」と通称される桑折町国見町の町域が、阿武隈川の東側に広がっている。逆に、昭和大橋と伊達崎橋の中間では伊達市域が阿武隈川の西岸に広がっている箇所があり、昭和大橋の右手川向こうに見えている伊達地方衛生処理組合清掃センターの建物も、住所は伊達市保原町となっているからややこしい。
橋を渡ったすぐ先の交差点で左折し、桑折ピーチラインという農道に入る。この道路は、伊達市との境界に近い国道4号線から分岐して阿武隈川沿いを伊達崎橋の袂まで通っており、昭和大橋以東の区間は昨年3月22日に歩いたことがあるが、以西については散歩どころかクルマで通った経験すらない。舗装を見る限りでは新しそうな道なのに細かいカーブが多いなど難点もあるにはあるが、両側は一面の桃畑、しかも右手遠方には丘陵を登っていく国道4号線の様子が良く見え、普段とは違った視点で桑折を眺めることができるのは面白い。
国道4号線との交差点を右折。先ほど目にした丘陵を登る途中にある仮屋の交差点で左折し、旧伊達郡役所の前を通って桑折の中心商店街に出る。相変わらずひっそりとした佇まいだが、明後日17日に奥州・羽州街道まつりを宣伝する幟が目立っている。住んでいてつくづく思うのだが、桑折町は、イベントやお祭りが多い町だと思う。先月にはサイクルフェスティバルが開催されたし、先々月には竹灯籠まつり、更にその前の月には諏訪神社例大祭が開催された。町民の大半が、これらのイベントのいずれかに何らかの形で関わっていると思う。
今回の街道まつりに関して言えば、奥州街道沿いに建ち並ぶ商店のウィンドーに町内の小学生が描いた桑折町の自然、文化、建築物などの絵が飾られており、お祭りムードの演出に一役買っている。我が家の子供達の絵もどこかにあるかなと思い探すが、なかなか見つからない。しかも折悪く、探しているうちに雨が降ってきた。早朝の雨とは違い、本格的な降りっぷりだ。結局、後ろ髪を引かれる思いで絵画探索を諦め、慌ただしく自宅へと向かわざるを得なかった。