2010年10月27日 ~新たなステージへ② 白石から大河原経由で村田まで~

数日前から、天気予報とニラメッコをしていた。
週間予報によると、散歩実行予定の27日は最低気温が5度前後まで下がるという話であった。
となると、散歩時の服装をどうしようか悩んでしまう。恐らく長袖のジャージだけでは、相当寒いと思われる。上にジャンパーでも羽織るか。たった一ヶ月前まで半袖Tシャツに短パンという出で立ちで歩いていたのに… あまりにも急な季節の変化に、驚かずにはいられない。
散歩当日は、午前4時半に起床。今回以降の散歩ではいつも通勤で利用している桑折駅発6時29分の下り電車に乗ることになるのでそんなに早く起きる必要はないのだが、ついつい習慣で早起きしてしまう。1時間ほど、ネットサーフィンしながらぼんやりと過ごす。
その間に、夜が明けた。直前の天気予報では曇、所によっては小雨と報じられていたはずだが、予想に反して太陽が照っている。ただし、町の西側に聳え立つ半田山を見ると、頂上にはうっすらと雪が積もっている。従って、今の晴天も、いつ何時激変してしまうかわかったものではない。やはり、今日の散歩では、ジャンパーは必須アイテムとなるだろう。
下り電車に乗車。桑折に着いた時点で既に定刻から2分ほど遅れており、そのままの遅れで白石駅に到着したようだ。駅舎を出たのは、6時54分のことだった。今日はここから、蔵造りの建物が連なる町並みを有し「みちのく宮城の小京都」と呼ばれる村田町まで歩く予定を立てている。同町を訪れるのは、2007年2月25日以来、実に3年8カ月ぶりのこととなる。
仙台への通勤通学客が多いのか意外に人通りが見られる駅前広場を過ぎ、駅前通りを歩く。以前は野暮ったいアーケード街だったが、1995年に白石城天守閣が復元されたのと相前後してアーケードを撤去し、開放的な歩道の通りに生まれ変わっている。
途中、仙南信用金庫白石駅前支店の前を通過する。この金融機関は名前の通り仙南宮城県南部が地盤であるが、仙台市内にも3店舗ある他、散歩で訪れたことのない川崎町や七ヶ宿町にも店舗を有しているので、今後の支店巡礼の候補の一つとして考えていた時期があった。結局、店舗数が17ヶ所しかないのがネックとなり候補から外してしまったのだが… 先月まで東邦銀行の店舗を56ヶ所も歩いてきた訳だから、宮城県内でもやはり、これに匹敵する数の店舗の訪問が可能な金融機関を巡礼したいと考える。
その仙南信用金庫のすぐ先の交差点を右折し、白銀通りを北上する。メインストリートの奥州街道から一本東側にある狭い通りだが、裏通り的な雰囲気はあまりなく、飲食店やパチンコ屋などが連なっている。雰囲気としては、二本松の真弓通りや須賀川の馬町通りに近いだろうか。こういった通りの存在そのものが、古くから栄えてきた街なんだなと思わせるような通りだ。
一旦国道113号線に出、延命寺という寺院の前で再び北上。道なりに歩くと、東北本線の脇へと出る。普段の通勤で見慣れた風景が展開するが、電車から見るのと歩行者の目から見るのとでは、微妙に違う気がしなくもない。
しばらく歩くと住宅地が尽き、左手遠方に南蔵王の主峰・不忘山が姿を現す。この山も頂上付近がうっすらと積雪しているようだ。今日も含めて初冬や早春の時期は、近辺の山稜でこの山だけが白いという景観に出くわすことが多い。だから「不忘」山なのだと、個人的には勝手な解釈をしている。
アツギの工場を通過し斎川を渡ると、周辺は農村風景となる。はじめは田んぼの只中であるが、左手から白石川、右手から丘陵が徐々に接近し、行く手がどんどん狭くなっていく。しまいには、崖っぷちの真下を行くようになる。この道路は一応主要地方道白石柴田線なのであるが、歩道はもちろんのことセンターラインすらない隘路。クルマが通過するたびにこちらは崖の真下に退避せざるを得ず、その度に肝を冷やす。崖は護岸工事が十分ではなく、降水量が一定量以上になると崖崩れの危険があるため主要地方道も通行止になるという。この辺り、東北本線もすぐ傍を通っているのだが、電車からだとここまでのスリルは味わえない。
崖が道路から多少遠ざかると、東白石駅の前を通過する。駅前には人家が全くなく1990年代の後半までは普通列車過半数が通過していたほどの東北本線屈指の小駅(当然無人駅)であるが、プラットホームのすぐ北側を流れる白石川の対岸には、大工場や病院、新興住宅地が見られる。また、この辺りの白石川は、白鳥の飛来地としても知られる。今の時期はまだ殆ど見られないが、この寒さが続けば、近々大挙して飛来するのであろう。
3年前に村田を訪れた時はこの東白石駅から出発し、白石川を渡河して蔵王町宮に出、永野、円田、平沢と蔵王町内の主要集落を経て村田へと入ったのだが、今回は東北本線に沿ってもう少し北上する。
いや、北上ではなかった。白石川の蛇行に従って、北東ないしは真東の方向へと向かっている。だから、朝日が真正面に見え眩しくて仕方がない。沿道には農地が広がり道幅が広がる個所もあるが、東北新幹線のガードをくぐり北白川駅周辺の集落に入る頃にはクルマのすれ違いすら難しそうな狭さに逆戻り。こんな道、本当に主要地方道でいいにだろうかと疑問が湧くほどだ。
その北白川の集落。中学校こそあるものの実に小ぢんまりしたもので北白川駅も無人駅であるが、集落内に2001年に建てられた宮城県立白石高等技術専門校の建物が、妙に目を引く。斬新で周囲の景観とミスマッチな感のある外観もさることながら、ちょうど今はここで学ぶ生徒が校門へと入っていく時間帯で、農村風景を若者が歩く姿が見られるのも面白い。
北白川から先も主要地方道を歩いて大河原まで行こうか少し悩んだが、結局、ここで白石川を渡り、対岸を通っている国道4号線に出ることにした。国道の歩道は川岸の反対側にしかないので、国道との合流点にある篭石交差点で長時間の信号待ちを強いられる。この交差点で国道を横断しようとすると、最低でも2分は待たされるような気がする。ちょっとイライラするが、国道サイドに立ってみると、4車線化が進む国道4号線の中でこの交差点を中心とした約4キロの区間だけが未だ2車線のままであり、通行上のボトルネックになっているという事情があるから仕方ない。国道を東進し大河原町金ヶ瀬に入ると、国道の拡張工事が行われていた。徐々にではあるが改善は進んでいるようなので、篭石交差点での理不尽な信号待ちもまた、いずれは解消されるであろうと期待する。
奥州街道の金ヶ瀬宿を左手に見ながら国道を歩く。奥州街道は過去2度歩いているが、考えてみたらこの辺りの国道を歩くのは初めてであった。宿場町の東端にある交差点付近から4車線になると、沿道にはロードサイドショップが2キロ以上にわたって大々的に展開するようになる。大河原町の人口は約2万3千人に過ぎないが、宮城県南部の交通、行政の要衝という地の利もあってか、その集積ぶりはすさまじいものがある。規模的には、白石よりは間違いなく上であり、須賀川や白河にも匹敵するのではなかろうか。まるでロードサイドショップの見本市のようで、ある意味「現代の宿場町」を象徴する風景とも言えよう。もっとも、国道沿いにはお二人様専用のものも含めて宿泊施設は全く存在しないのであるが。
クルマで通過するばかりだとこういった表面上の事象しか目に入らないのであるが、徒歩でゆっくり通ってみると、面白いことに気がつく。国道を横断する地下歩道が、何ヶ所か整備されているのだ。山形、福島など近隣県に比べ、宮城県は高規格道路の車歩分離が進んでいない(仙台バイパスと4車線道路とが交差する六丁目(ろくちょうのめ)、箱提、卸町の各交差点に地下歩道や歩道橋が設置されていないのはその代表例)イメージがあるのだが、大河原においてはそうでないことを好ましく感じる。
ロードサイドショップ街の北端に位置する主要地方道亘理大河原川崎線との交差点を左折する。この道路も、大河原町内の区間に関して言えば4車線の高規格道路であり、沿道には、宮城県南部で唯一の映画館を有するショッピングモールのフォルテ、みやぎ仙南中核病院、仙南広域消防本部、大河原警察署など、広域的な中核を担っている施設が目立つ。
その中で一際目立っているのは、仙南芸術文化センター、通称えずこホールの建物であろうか。「えずこ」とは漢字で「嬰児籠」と書き東北地方一帯でかつて乳児の育児に用いられていた円筒状の籠のことであるのだが、このホールの外観がえずこそっくりなのである。「地域文化を創造するゆりかごに」との思いが込められているとのこと。
しばらく歩くと、いよいよ、村田町へと入る。と同時に、車線が2車線へと減員され、沿道の風景も田んぼが広がるものとなる。ものすごい格差だと思う。大河原町と村田町、そしてこれらの東隣にある柴田町の三町は、何度となく合併協議を繰り返しては破談するという経緯を有している。市町村合併には対象地域の一体感が何より必要だと思うのだが、これほどの格差を見せつけられると、まとまるべきものもまとまらないのではなかろうか。
再び東北新幹線のガードをくぐり、沼辺という比較的大きな集落を通り過ぎると、荒川という名前の川が村田までの間終始寄り添うようになる。この川が村田の町の東端を貫流している点を、京都の鴨川になぞらえる人もいるようだ。
しかし、荒川の存在は、主要地方道を行く歩行者にとっては、やや邪魔に感じるかもしれない。特に本関場という集落に架かる荒川の橋の近辺は、道自体が微妙にカーブしており見通しが悪くなる上に歩道が消え失せてしまうから嫌になってしまう。宮城県には早急な整備を望みたいところであり、こういった事業の積み重ねが、ひいては大河原町との格差を埋めていくのではないかと思うのだが。
小泉という集落を過ぎると、いよいよ村田町の中心部。蔵はどこかな…と目を凝らすが、なかなか見当たらない。沿道に時折表示される案内板を見ると、まだまだ先にあるようだ。
そうこうしているうちに、ちょっとまずいことになってきた。今回の散歩の帰路は村田からバスで大河原まで出る予定を立てていたのだが、その時刻が迫りつつあるのだ。村田南町のバス停で時刻を確認すると、時計が10時24分を指しているのに対し、バスの通過時刻は10時34分。ヤバイぞ、急がねば。そう言えば、3年前に村田を訪れた時も、バスの到着2分前にバス停に着くという慌ただしい行程だったことを思い出す。どうやら村田絡みの散歩では、急かされる宿命にあるようだ。
次の願勝前のバス停でも、再度時刻を確認。時計が10時27分で、バスが10時33分。あと6分。もう少し歩ける。ここを過ぎるとようやく、蔵造りの建物が連なる町並みへと入る。個々の建物は確かに立派だし年季と伝統を感じさせてくれるがその絶対数は少なく、率直なところ「小京都」とは誇張が過ぎる表現のように思う。個人的には「「みちのくの小京都」と称される秋田県仙北市角館ぐらいの規模が欲しいところだが、村田にそれを求めるのは酷だろう。
その蔵造りの建物の中心に、村田中央という、言い得て妙なネーミングのバス停がある。時計は10時29分、バスの通過時刻は10時32分となっているので、さすがにこれ以上は歩けない。今日はここで、散歩を打ち切ることにする。
バス停の傍にある蔵造りの公衆トイレで小用を済ませてからバス停に戻ると、次回の散歩で歩く予定の北の方角からバスがやってきた。いや、歩くかどうかはわからない。バスが向かってくる通りの沿道に、宮城県全体で128ヶ所、仙台市内に限っても57ヶ所もの店舗網を有する七十七銀行の村田支店があったのだ。この通りの通過を避け、仙台から「七十七銀行支店巡礼」に踏み切るかどうか… 結論は、次回の散歩まで持ち越しとしたい。