2010年11月2日 ~新たなステージへ③ 村田から愛島経由で館腰まで~

朝5時前に起床したら、雨が降っていた。しかも、時間が経つにつれて強くなってきている。
「今日は散歩に行くの?」と妻。
「どうしようか検討中。」と私。今日の散歩先はここではなく、宮城県南部の村田町が起点。従って、自宅付近で土砂降りであっても現地では雨が降っていない可能性もある。ネットで天気予報を何度も確認すると、少なくとも仙台では雨が降らないらしい。ただし、白石では午前中は雨との予報。仙台と白石の中間に位置する村田の天気は如何。こういうのが、判断に一番迷う。
「行くことにするよ。もし現地が雨だったらとっとと引き返すから。」6時少し前に最終判断。これを耳にした妻は窓に目をやりながら呆れ顔である。それもごもっとも。桑折駅発6時29分の下り始発電車に乗るために自宅を出発する頃には、豪雨に近い状況になっていたからだ。ただし、東の空を見ると、朝日が昇ってくるのがハッキリと確認できる。暗雲垂れこめる上空に射し込んだ一条の光に、一縷の望みを託す。
それがある程度は通じたのであろうか。電車が北上するごとに、陽射しが強くなってきた。雨脚も弱まっているようだ。ただし、完全に止んだ訳ではなく、7時過ぎに大河原の駅前広場に出た際も、駅前広場を行き交う人の大半が傘を傘をさしていた。
村田方面へのバスは、大河原駅前を7時25分に発つ。多少時間に余裕があるので、先のバス停まで歩きたいと思う。少しでも村田に近いバス停から乗ることによってバス代を浮かせたいという実利的な理由もあったが、もう一点、大河原駅前からバスに乗ってしまうと仙台銀行七十七銀行の店舗の前を通ってしまうのが嫌だというのもあった。実は前回の散歩帰りの際も大河原駅前から1キロほど北に位置する大河原学校前バス停で降りていたのだが、今日はそこより更に500メートルほど北側、国道4号線主要地方道亘理大河原川崎線との交差点近くに位置する県南青果市場前バス停まで、小雨そぼ降る街を銀行前を避けながら歩いた。
バスが県南青果市場前を通過するのは7時29分とのことだったが、到着は2分ほど遅れた。車内は立ち客こそいないものの、高校生が占拠しており空席は殆どない状況。高校生は、村田町内にある村田高校への通学途中と思われる。この高校は確か男女共学のはずだが、バスに乗っていたのは大半が女子。だからであろうか、車内は彼女たちの話し声で賑やかだ。人によってはやかましいと感じるかもしれないが、いつぞやの磐越東線のように公害めいた感じではない。
村田南町バス停で彼女たちが降り車内が静かになったのを見届けてから、次の願勝寺前バス停で下車。前回の散歩では次の村田中央バス停まで歩いたので本来ならばそこまで行くべきなのであるが、願勝寺前と村田中央の間に展開している蔵の町並みを再度歩いてみたかったのだ。なお、県南青果市場前から願勝寺前までの運賃は、370円。大河原駅前から乗れば420円だから、大河原の街歩きは50円分の価値があったという訳だ。
雨は止んでいた。胸を撫で下ろす。が、それも束の間。雨上がりで一層漆黒が映えている旧家の家並みを過ぎると、目の前には七十七銀行村田支店の看板が見えている。通過すべきか否か。仙台に着いたら「七十七銀行支店巡礼」を行うかどうか。迫り来る分岐点。私の出した結論は…
迷わず支店の前を通過! である。
従って、「七十七銀行支店巡礼」は行わない。
理由は、同行の店舗数が「多すぎる」ことに尽きる。仮に、青葉通りと東二番丁通りの交差点にある本店から出発し、店舗コード順に回ったとすると、本店→JR仙台出張所→南町通支店→仙台駅前支店→新伝馬町(しんてんまち)支店→芭蕉の辻支店→一番町支店→県庁支店→仙台市役所支店→二日町支店と、中心街の狭い範囲内だけで何店舗も訪れなければならないという事態を強いられるのだ。加えて、いちいち実例を示さないが、郊外にある店舗を行き来するために中心街を何度も通過しなければならない。つまり、店舗訪問に軸足を置いてしまうと、ルート選定や沿道風景を堪能する楽しみが減殺されてしまうのだ。
それでは、仙台ではどの金融機関を訪れるのか。これについては、まだ明らかにしないでおこう。
さて、七十七銀行を通過すると、蔵の町並みは終了。ここから仙台方面に向かって歩く訳だが、また一つ問題点が生じている。当初は主要地方道仙台村田線を経由して仙台市内に入り、太白区茂庭から国道286号線などを通って太子堂駅までの約26キロを歩く予定を立てていたのだが、今日の午後に所用が入ってしまい正午過ぎには帰宅しなければならなくなったため、太子堂駅まで歩くのが難しい状況なのだ。幸い茂庭を経由するバスは1時間に2本程度のスパンで走っているので一旦茂庭で散歩を打ち切ることも考えたのだが、次回以降の散歩予定地をバスで通過してしまうことになる。それはあまりしたくない。
それではどうするか。数日前から地図とニラメッコした結果決めたコースは、村田から主要地方道岩沼蔵王線を東進し、名取市内の駅に出るというもの。距離検索してみたところ、館腰駅まで約18キロ、名取駅まで約20キロと出た。これなら何とかなりそうだ。
ただし、ついさっきまで降っていた雨が、どのように影響するのかは気がかりなところ。というのも、岩沼蔵王線には約4キロにわたって隘路が続く区間があり、土砂崩れなどの懸念がつきまとうからだ。行ってみなけりゃわからない、一か八かの散歩である。
町の北端にあるT字路を右折し、その岩沼蔵王線に入る。しばらくは、歩道がきちんと整備された区間を歩く。緩やかな上り坂ではあるものの、蔵の町を意識したのか瓦屋根を載せた集合住宅などもあり、特段険しい道路という雰囲気はない。ただし、路傍には、この先隘路につき大型車の通り抜けを自粛して欲しい旨の看板が立っていたりする。
やがて住宅が尽き、雑木林の中に入る。これで村田の町ともお別れだ。見納めにと後を振り返ると、上空には大きな虹。慰められたような気がした。
軽い峠越えを経て坂を下りきると、姥ヶ懐の集落に入る。「酒呑童子」で知られる渡辺綱にまつわる伝承が残る地であり、岩沼蔵王線も「民話のみち」と銘打ち整備されている。沿道もまた、「雪の広場」「月の広場」「花の広場」とどこかの歌劇団のような名前の広場が展開している他、月の広場と花の広場の中間には茅葺屋根の民話伝承館が設けられ、囲炉裏端でお婆さんの人形が伝承を語るという仕掛けがなされている。
花の広場を過ぎるとにわかに登り勾配となり、道が二股に分かれる。右が岩沼蔵王線、左が全国的に知られるモータースポーツのメッカ・スポーツランドSUGOへと至る道であるが、どう考えても左の道の方がセンターラインも歩道も整備された立派な道であり、一方の岩沼蔵王線は幅4メートルほどの隘路。一抹の不安を覚えるが、そんな道路から三叉路へと出てくる車両があったので、多分歩けるだろうと楽観的に判断し、予定通り先へと進む。
とは言うものの、いざ歩いてみると、なるほど険しい道である。排水設備が不備なのかつい先ほどまで降っていた雨が地表を伝って路面を流れ覆っているし、枯葉や落ち葉も散乱している。加えて道路自体の勾配もきつくなる一方で、沿道には人家はおろか田畑すら見当たらず、一面の雑木林である。
それでも通過するクルマはあり、その度に道路脇への退避を余儀なくされる。通行自粛が要請されているはずのトラックも、何台か見かけた。
しばらく歩くと、行政区域が村田町から柴田町へと変わる。町境を示す標識は特になく。県道(主要地方道)を指し示す六角形の標識の下に、「柴田町入間田」の住所表記を見るのみである。その標識を通過してさほど歩かない地点に分水嶺があり、ここから岩沼市へと入る。つづら折りの下り坂を進むと、突如として目の前が開け、丘陵に挟まれた谷底にいかにも農山村といった風情の集落が登場する。岩沼市西端にある志賀の集落だ。
岩沼市といえば阿武隈川の河口に位置し海岸平野が広がるイメージがあるのだが、志賀の雰囲気は阿武隈高地に抱かれた丸森町の耕野や筆甫(ひっぽ)辺りに似ている感じがする。唯一違っている点は、東北新幹線が通っていることぐらいである。名取市南部から柴田町東北新幹線は大半の区間がトンネルなのだが、志賀の谷底でひょっこり顔を出し、高架橋で集落を大跨ぎに通過しているのである。鄙びた風景を切り裂くかのように、車両が次から次へと高速で通過していく。通過音そのものもかなりの騒音だが、それ以上に、俗にトンネルドンと呼ばれる発破音にも似た音に驚かされる。住民はよく耐えているなと思う。
新幹線の高架を少し過ぎた所にあるT字路を左折。曲がった先の道は地図上では細道の表記であったが、実際に歩いた道は歩道こそなかったものの幅はそれなりに確保されており、また整備されてからさほど年月を経ていないようだ。実は、志賀の北側の丘陵には、愛島台(めでしまだい)という新興住宅地が造成されているのだ。なお、愛島とは旧名取郡愛島村に端を発する名取市の地名であり、愛島台もまた、名取市域に所在する。
再びつづら折りの登り坂に臨み、登りきったところが愛島台となるが、風景を見てしばし絶句した。
造成された区画の西側一帯が、ススキが生い茂る荒れ地同然の状態になっているのだ。
名取市では特にバブル期以降に宅地開発が進み北西部の高舘地区で那智ヶ丘、ゆりが丘、相互台、南東部の仙台空港アクセス鉄道沿線でなとりりんくうタウンなどが造成されているのだが、愛島台に関しては、住宅の建設が捗っていないるようだ。仙台市中心部からかなり離れた山奥にあるのが原因だろうか。結果、学校や病院などの公共施設も設置されず、商店もプレハブ造りの仮設めいたものが一軒あるばかりだ。果たして愛島台に明るい未来は訪れるのだろうか。とても不安になる。家一軒建っていない造成地にそそり立っている電柱の群れが、枯木か卒塔婆を連想させるほどだ。
と、愛島台の暗い面ばかりを書いてしまったが、造成地の東側に目を転じると、多少の光明も見受けられる。こちらには愛島西部工業団地と名付けられた事業用地が造成されており、地元で名の知れた企業がいくつか進出しているのだ。愛島台が職住接近型都市空間を志向しているのかどうかはよくわからないが、事業用地を併設した新興住宅地は、泉パークタウン(仙台市泉区)、しらかし台(利府町)、新富谷ガーデンシティ(富谷町)と、仙台近郊で何例か見られる傾向ではある。
その工業団地を歩いていると、チャイムが鳴り響く音が聞こえた。時計を見ると、10時ジャスト。ちょっとまずいことになっている。正午過ぎに帰宅するには、その1時間前、すなわち11時過ぎには東北本線の電車に乗っていなければならない。できれば名取駅まで歩きたかったが、今回は館腰駅を終点にせざるを得ない。
愛島台から館腰駅付近を経て仙台空港までは、幅の広い一本道が通じている。仙台空港カントリークラブや仙台カントリー倶楽部名取コースといったゴルフ場の近くを通り抜けながら丘陵を下りると、名取市愛島の中心集落であり小学校も所在する笠島。愛島台の小学生はここまでバス通学をしているという。
主要地方道仙台岩沼線との交差点を渡ると、道路の幅はさらに太くなり4車線となる。空港アクセスの役割を担う道路だからだろうが、沿道にはロードサイドショップなどなく一面の田んぼなので、過剰整備の感は否めない。
歩道もまた立派なもので、岩沼蔵王線の峠道区間よりも間違いなく幅が広い。この道路につぎ込んだお金を愛島台のインフラ整備に幾分かでも回せばいいのになと思いながら館腰駅を目指して早足で歩いていると、上空で飛行機の轟音が鳴り響く。この音も、耳慣れない者にとっては脅威以外の何物でもない。住民はよく耐えているなと思う。