2010年11月22日 ~仙台銀行支店巡礼③ 宮城野支店・宮町支店・長町支店(後半)~

さて、次は一気に南下して太白区の長町支店。本来ならば前回の散歩で歩いた東照宮門前町愛宕上杉通をもう一度歩きたいところであるが、同じ道を二回歩くのはいささかワンパターンな気もするので、今回は裏道を敢えてチョイスする。
まずは、門前町との交差点を渡って東六番丁を500メートルほど西進した後、視覚支援学校前のバス停を過ぎた先の交差点を左折する。この道も一方通行の隘路だが、仙台駅のすぐ北にある高層ビル・アエルの前までまっすぐ延びており、北から二本杉通、空堀丁、末無掃部丁(すえなしかもんちょう)と名前もついている。つまり、歩行者にとっては実用性が高く、かつ伝統も有する道なのだ。
沿道は住宅地。旧家と呼べそうな建物はないけれど皆ある程度年季が入っており、福島市の宮下町辺りに似たような雰囲気を感じる。ただ、住宅街の先には特徴的なアンテナタワーを有するドコモ東北ビルや東北電力の本社が入居するエナジースクエアなどの高層ビルが見えており、仙台を歩いていることを実感させられる。
国道45号線(花京院通)を渡り、通り名が末無掃部丁、現在の町名で表現すると花京院一丁目となった辺りから、沿道は高層ビルばかりとなる。この辺りは20年ほど前まで子供が容易に近寄れない雰囲気を有する雑然とした歓楽街であったのだが、すっかり様変わりしてしまった。
その象徴的存在とも言えるアエルの手前からペデストリアンデッキが延びている。仙台駅前の象徴とも言えるペデストリアンデッキもまた昨今は北の方向に延びつつあり、アエルの北側にあり大塚家具が入居するソララプラザや、アエルの西側、広瀬通に面し東北地方の諸都市をはじめ各地への高速バスが発着するターミナルが入居する東京建物仙台ビルにも、出入口が設けられるようになった。
私もまた、ソララプラザの近くから階段を登り、ペデストリアンデッキを歩く。アエルの2階の渕を取り巻くように通じているデッキを進むと、仙台駅の東西を結ぶ仙台駅北部名掛丁自由通路へと出る。以前は仙台駅の東西を結ぶ通路といえば小汚くて薄暗い地下通路しかなかった(現在もある)が、一昨年に開通したこの通路の周辺には、アエルの他パルコやエスパル兇眇塀个掘¬世襪な薫狼い砲覆辰討い襦
通路を出た先は、本日三度目の宮城野区。ただし町名は名掛丁で、元々は仙台駅の西側、中央通のハピナ名掛丁にもその名を残す一帯と同じ町であった。線路の敷設と同時に町が分断され、華やかなアーケード街へと変貌した西側とは対照的に駅裏の暗いイメージそのままの古い住宅が建ち並んだまま現在に至った次第であるのだが、ここ10年程の間に区画整理が行われ様相が一変している。特に飲食店の進出が目立ち、かつての花京院に成り代わる形で歓楽街へと変貌する可能性すらある。
ただし地元では、明治時代中期に島崎藤村が英語教師として1年間ほど仙台に赴任していた際当地に居住していたこと、その間処女詩集「若菜集」の大半を書きあげていたことを、積極的にアピールしたいようだ。この界隈には「若菜集」中の詩「草枕」や日本近代詩発祥の地の石碑が建つ藤村広場、同じく詩「初恋」に因んだ初恋通りといったスポットが新しく設けられている。
名掛丁を過ぎ少し南に歩いて仙台駅東口の駅前広場に出、更に東七番丁を南下する。商業施設こそ少ないが、オフィスビルや予備校、専門学校などの学習施設、ビジネスホテルに高層マンションなどが建ち並んでいるせいか、人通りは少なくない。ただし、二度目の若林区へと入り、新寺通との交差点、東北本線の踏切と相次いで渡った後、連坊小路との交差点に差し掛かる頃には、すっかり下町的な風景に姿を変えている。先ほど歩いた二本杉通、空堀丁と同じ旧来からの仙台市街ではあるが、邸宅街っぽい雰囲気も漂っていた前者とは何となく匂いが違う。連坊小路、荒町といった近隣の商店街から影響を受けているのであろうか。
前回の散歩の際も少し触れたが、東七番丁の南端が荒町の商店街。ここを少しだけ西進した後荒町小学校の手前にあるT字路で左折し、細い路地へと入る。城下町時代の仙台は恐ろしいものでこんな路地にも名前がついていて、姉歯横町と言うらしい。姉歯といえば数年前に世間を賑わせた建築士の名前が思い出されてしまうのだが、彼もまた宮城県大崎市の出身。栗原市金成(かんなり)にも姉歯という地名があるし、宮城県に多少なりとも縁があれば姉歯という固有名詞に遭遇する機会は結構あったりする。
緩やかな下り坂となっている姉歯横町を南下。かつて市電が通っていた旧国道4号線との交差点を渡ってしばらく進むと、広瀬川に架かる愛宕橋に差し掛かる。愛宕橋といえば地下鉄の駅名にもある名前だし広瀬川に架かる橋の中では比較的知名度が高いと思われるが、1975年に100メートルほど上流に6車線の幅員を誇る愛宕大橋が架けられた結果、通行量は少なくなった。私にとっても、この橋を渡るのはクルマでの往来を含めて生まれて初めてのことであるかもしれない。
愛宕橋を渡った先は太白区になるが、ここでもまた、区境を示す標識の類は見当たらなかった。今日の散歩では宮城野区を出発して若林区宮城野区青葉区宮城野区若林区太白区と区境を6回も横切っているのだが、標識に一度も出会わなかったというのはどういうことだろう。一応フォローしておくと愛宕大橋には区境を示す看板が掲げられているのだが、こういった主要道路ではなく、わかりやすさの観点から言えば、脇道、細道にもまた、積極的に標識を設けるべきだと思う。
ところで、愛宕橋を渡った時点で時計を見ると、10時40分を指している。当初の予定ではここから広瀬河畔通、奥州街道と歩いて奥州街道に面した長町支店に立ち寄り11時前に長町駅に到着して散歩終了と考えていたのだが、朝の電車が遅れた影響で難しい状況になっている。長町駅発11時01分の上り電車に乗れたならば名取で快速に乗り換えて正午過ぎには桑折に帰ることができたのだが、これに間に合わないとなると、次の福島方面への列車は12時05分発の白石行(白石で福島行に乗り換え)となり、帰宅が1時過ぎになってしまうのだ。
が、ここは逆転の発想で、12時までに長町駅に着けばいいのだと考えることにしよう。つまり、時間が余分に確保できた分だけ寄り道ができるではないかと。ちょうどいい塩梅に、愛宕橋の前方に大年寺山が聳え立っている。頂上付近にテレビ局のアンテナが3本立っており太白区のランドマーク的存在でもあるこの山は、仙台市野草園や伊達家の墓所、また伊達家の庇護のもとで栄えた大年寺の遺構がが所在するなど観光スポットとしてもそれなりの存在感を示しているのだが、私自身はまだこの山を訪れたことがなかったのだ。いい機会だから登ってみようかと思う。頂上部の標高は120メートルほどだから、それほど苦しい行程でもないだろう。
そうと決まれば話は早い。まずは、愛宕神社への参道を右手に見ながら姉歯横町(厳密にはその延長路)と広瀬河畔通が合流する越路(こえじ)の交差点を右折し、向山、八木山方面へと歩を進める。この道は仙台駅と東北工業大学八木山動物公園とを結ぶバス路線が通り、仙台市における主要道路のひとつのはずだが、センターラインこそあるもののクネクネとした細道で、歩道がない個所もある。どうにかして欲しいと思うものの、八木山動物公園付近では仙台市中心部と直結する地下鉄の建設工事が進められているので、前回歩いた旭ヶ丘のケースと同様、改修される可能性は殆どないだろう。
野草園入口の看板が見える交差点を左折すると、いきなり急な登り坂。センターラインすらない道だが通行量はそこそこあり、上から下からクルマがちょくちょく通過していく。野草園までの路線バスも走っており、羊腸とした坂道を喘ぎながら登っていた。
沿道は、頂上近くまで住宅地が続いている。「家並」ではなく「家波」の文字を連想させるほどの丘陵を占拠する郊外の住宅群はある意味仙台の象徴的風景であり、今後の支店巡礼でもしばしばお目にかかる機会があるだけに、ここで慣れておかねばなるまい。とは言うものの、山の中腹にある愛宕中学校の校舎など、どうしてこんな所に中学校を建てたのかと疑問に思わなくもない。
萩ヶ丘のバス停を過ぎた辺りからようやく、周囲の風景が雑木林へと変わった。ほどなく見えてくるのが、仙台放送テレビ塔。以前はその足許に仙台放送の本社も建っていたのだが、同社が2004年に青葉区上杉に移転してからは、大年寺山ジェロントピアという特養老人ホームが進出している。
そこから200メートルほど進むと今度はNHK、東北放送東日本放送の3社共同アンテナ、そして野草園の入口がある。休日ならば多少の人出はあるのだろうが、平日の今日は実にひっそりとしたもので、野草園の行く末が若干心配になる。
そこから道なりにしばらく歩くと、麓へ向かって長い石段が続いているのが見える。これは、現在残っている大年寺の数少ない遺構の一つである。せっかく来たからには、ここもまた、歩かねばなるまい。従って、大年寺山にもう一つあるミヤギテレビのアンテナを訪れずに、大年寺山を去ることになってしまった。
私が訪れたことのある宮城県内の石段で最長のものは鹽竈神社の石段であったが、大年寺の石段は、それよりも幅が広く、かつ長さも長いように思われた。散策中とおぼしき来訪者も数人おりそれだけでも歩き甲斐を感じさせるのだが、段差の儲け方にも特徴があり、一段の幅が大人の足で大体一歩半分。だから、大股で一段一段歩き通すか、あるいは小股で一段に二歩を要しながらチョコチョコ進むか、非常に迷うのである。手摺りがないだけに、慎重を期した私は大股を基本としながらも時折小股を混ぜて進んだのだが、そんな私を大股で追い越していく初老の男性がいたのには驚いた。
石段を下りきりこれまた大年寺の遺構である立派な惣門を潜り抜けると、国道286号線の前に出る。ここを地下歩道で渡り、長町へと向かう。長町支店は、奥州街道沿い、真下を通っている地下鉄の長町駅と長町一丁目駅との中間に位置する。大年寺の惣門から1キロも離れていないのだが、間には隘路だらけの住宅街が続いており、どこをどのように進めば長町支店にたどり着けるのか、よくわからない。とりあえず、勘だけを頼りにして、適当に歩いてみる。
そんな行為をすると大抵の場合迷子になってしまうのがオチであり過去にも何度か経験があるのだが、今回に関しては、なんとドンピシャで、長町支店の目の前にある交差点に出ることができた。出来すぎの結果に、雨が降るんじゃなかろうかと少し心配になる。
これは決して杞憂ではない。実際に午後から夕方にかけて雨が降るという予報が出ており、今現在も、太陽は厚い雲に隠れてしまっている。長町駅まではあと500メートルほど。散歩を締めくくるにはちょうど良い頃合いだと思った。