2010年11月25日 ~仙台銀行支店巡礼④ 苦竹支店・多賀城支店(前半)~

三日前に歩いたばかりだというのに、今日もまた、散歩に出掛けることにする。
それにしても、11月12日に仙台銀行支店巡礼を始めてから、ずいぶんなハイペースで出掛けているように思う。東邦銀行支店巡礼をしていた頃と比較してみると、そのハイペースぶりがよくわかる。

東邦銀行(福島ブロック)】
初回1月13日、2回目1月20日、3回目1月30日、4回目2月6日
東邦銀行(郡山ブロック)】
初回5月13日、2回目5月18日、3回目5月26日、4回目6月4日
仙台銀行
初回11月12日、2回目11月18日、3回目11月22日、4回目11月25日

福島、郡山とも初回から4回目まで1ヶ月近い期間を要しているのに、仙台では2週間でもう4回目なのだ。
また、訪問店舗数も同様に、ハイペースだったりする。3回目までに既に9店舗を巡っており、今日訪れる予定の苦竹支店(210)で早くも二桁の大台に乗ってしまう。東邦銀行の場合は、福島ブロックが5回目の2月12日で、郡山ブロックが7回目の7月6日で、10店舗目を訪問していたから、ハイペースに輪がかかった形になっている。
早くも二桁達成を記念してという訳ではないのだが、今日は苦竹支店を訪問した後初めて仙台市の外に出て、多賀城支店(211)も訪問する予定を立てている。なお、市外への脱出という点では、東邦銀行では福島ブロック、郡山ブロックともに2回目の散歩で達成しているので、これよりは遅いペースとなる。
前回とは打って変わって、今日は、桑折駅発6時29分の下り始発電車で出発し、7時34分に長町駅に到着。ここから苦竹支店までは1時間前後の所要時間を見込んでいる。ATMコーナーが開く8時45分より前に到着してしまうかもしれない。
まずは、奥州街道(旧国道4号線)に沿って南北に長く続いている長町の商店街を北上し、苦竹方面へと向かう。
長町界隈は散歩に限らず年に数回は訪れているが、その度に高層マンションが増えているような気がする。「長町」ではなく「高町」の様相を呈しているかのようだ。その一方で、商店街から見て東北新幹線東北本線の東に位置し副都心の期待も高く再開発されたあすと長町は、未だ更地ばかりの「無町」だ。
広瀬橋を渡って若林区に入り、橋の北詰にある交差点を右折。150メートルほど歩いた後、東北新幹線東北本線の高架橋の直前にあるT字路を今度は左折し、高架橋沿いの道を北上する。裏道として利用されているようで、クルマの通行量が意外に多い道だ。自転車通学の高校生や徒歩通学の中学生の姿も目立つ。
住所的には河原町二丁目の北端に位置する東(あづま)街道踏切で、線路の反対側に出る。幅5メートルもない隘路でクルマも北行きの一方通行であるが、ここもまたクルマの通行量が多い。通勤、通学時間帯にここを歩くのは多少危険が伴うように思うが、そんな中を自転車がスイスイ通過していくのには驚かされる。
ところで、この「東街道」という名前であるが、古代から中世にかけて都から太白区郡山にあった官衙(現・郡山遺跡)、若林区木ノ下にある陸奥国分寺を経由して陸奥国府のあった多賀城に至る基幹交通路として推定されていることが由来だという。つまり、非常に長い歴史を有している訳で、今日の目的地、多賀城へ向かう際に利用するには最適ではないかと個人的には思う。
が、現在の沿道はというと、木造家屋が延々と続く古ぼけた住宅街。ただし、仙台城下町の東南端に位置しており、六十人町、五十人町、三百人町と、同数の足軽が住んでいたことに由来する城下町時代の町名が続いているのが趣深い。各町のメインストリートが東街道と直交しているが、六十人町、五十人町もまた一方通行の隘路であり、三百人町は県道荒井荒町線に指定されておりバスも頻繁に通行するものの歩道は全く整備されておらず幹線道路としては貧弱である。
仙台藩内の桃生郡成田村(現・石巻市)、柴田郡からそれぞれ移住した足軽が住んでいたという成田町、表柴田町、中に空洞(ごら)のある木が生えていたことが由来という椌木通(ごうらぎどおり)を過ぎるとクランクが登場。直前までは何とかクルマが流れていたものの、この辺りからクルマが数珠つなぎの渋滞となっている。その原因は、クランクの先にあるT字路の信号機と思われる。東街道の東側に向かってこの辺りでは珍しく両側に歩道が整備された2車線道路が分岐しており、ここから流入するクルマが渋滞を誘発しているように見受けられた。この澱んだクルマの流れに逆らうかのように、交差点を左折する。
なお、この2車線の道路の名前は、都市計画道路の名称で言うと狐小路尼寺線。地元では経由する町名を採って木ノ下通りという人もいるようだ。沿道は陸奥国分寺を中心とした閑静な住宅街であり、聖ウルスラ学院英智小・中学校や聖和学園高校の校舎も所在する文教地区だったのだが、2015年開通予定の地下鉄東西線がこの界隈を通ることになったため、今は工事の槌音がけたたましい。特に陸奥国分寺の東側、東北本線貨物線のガードを潜ったすぐ先では、薬師堂というバスターミナル併設の新駅が設置される予定であり、開業の暁には、街並みも大きな変化を遂げることになる可能性があるし、ひょっとしたら先ほど目にした渋滞も、多少は緩和されるのかもしれない。
薬師堂駅の予定地を過ぎると道幅がにわかに広くなり、宮城野萩大通りとの交差点を過ぎると、完全に4車線となる。この辺りは仙台城下町ではなく、昔は「在郷」と呼ばれた地域。だからこそきちんと整備された道ができたのであろうが、これに呼応するかのように沿道に商店街が形成されているのがまた面白い。なお、沿道の町名は、大和町。「やまとまち」と訓むが、仙台市の北20キロほどの所に大和町と書いて「たいわちょう」と訓む自治体があるために、誤読の被害に遭うことが少なくない町でもある。
1キロほど進むと、11月8日の散歩でも通った大和町三丁目の三叉路に差し掛かる。ここを左折し、北上すると、程なくして新寺通との交差点だ。
実はここから更に500メートルほど北上すると、卸町支店(212)がある。多賀城支店の直後に訪れる店舗ということになる。欲を言えば店舗コードが卸町支店→多賀城支店→苦竹支店の順だったらコース選択もしやすかったのだが、これもまた順打ちの妙味と割り切るしかなかろう。
そんな訳で、卸町をじっくり訪問するのは次回の楽しみにとっておくことにし、今回は、仙台市民の胃袋とも言える仙台市中央卸売市場の広い敷地の西側を北上するにとどめ、苦竹支店が所在する宮城野区日の出町へと速やかに立ち去る。なお、卸町から日の出町、更に多賀城支店へと向かう際に経由する宮城野区扇町は、事業所や工場ばかりが建ち並んでおり、定住人口は皆無に近い。旧い町名が溢れるほど残っていた東街道沿いとはあまりにも対照的だ。
日の出町に入ってしばらく北上すると、国道45号線との交差点。仙石線苦竹駅へ行くにはここを左折するのだが、苦竹支店は逆に右折し、300メートルほど国道を東進した所にある。時計を見ると既に9時を回っており、当初の見込みよりも所要時間がかかっていた。
ATMで1,000円を入金し、次の多賀城支店へと急ぎ足で進む。ミヤギテレビの本社前を通過すると、目の前には仙台バイパスの高架橋。国道45号線との交差部分は仙台近郊では珍しくインターチェンジ状の立体交差となっているが、歩行者は国道の南側に架かる一本の歩道橋に集約され、仙台バイパスの車道のすぐ下を通ることになる。