2010年11月25日 ~仙台銀行支店巡礼④ 苦竹支店・多賀城支店(後半)~

歩道橋の階段を降りて地上に戻ると、扇町に入る。商社や流通業者が多い卸町に対し、工場や倉庫が多い町だ。カーディーラーの店舗も目立ちどことなく油臭さを感じる一帯でもあるが、国道の沿道に限って言えば、飲食店やコンビニも結構多かったりするのが特徴だ。考えてみれば、扇町の事業所には社員食堂の設けられていない零細企業も少なくないから、朝昼晩を問わず従業員の腹を満たす店は必要不可欠な存在と言える。こういった、商工の両業種が渾然一体となったロードサイドは、若林区六丁の目界隈の主要地方道仙台塩釜線(新寺通の延長路。産業道路の通称もある)でも見ることができる。
そんな一帯を1.5キロほど歩くと高架橋に差し掛かり、梅田川を渡河して福田町へと入る。江戸時代より足軽町として発展し現在でも小規模な商店街を有する地域であるが、国道はというとそんな町には付き合いきれんわとばかりに高架のまま福田町を突っ切り、七北田(ななきた)川に架かる福田大橋へと続いている。
七北田川は二級河川ではあるが、川幅は広い。河口からの距離は確か5キロほどであろうか。「シオ」の匂いをかすかに感じる。黒「潮」と親「潮」が出会う仙台湾に近づくと同時に、仙台の外港として長年機能してきた「塩」竈市にも近づいているということでもある。そう言えば、かつて国道45号線は仙塩街道とも呼ばれていた。この地域における二大都市の名を冠した「仙塩」という広域名称は20年ほど前までは頻繁に目にする機会があったが、塩釜港仙台塩釜港塩釜港区と改称されるなど塩竈の地位低下が著しい現在は、死語に近い状態となっている。
その仙台と塩竈、松島、石巻とを結ぶ仙石線の鉄橋が、福田大橋の左手に見える。国道45号線仙石線、共に仙塩の大動脈である両インフラは、福田大橋の先から約3キロの間、運命共同体のごとく寄り添っている。
仙石線は福田大橋を渡るとすぐに陸前高砂駅のホームに滑り込むが、国道もまた、これに呼応するかのように駅前の市街地を通過する。20年ほど前までは木造住宅と町工場とが雑然と建ち並ぶ一帯であったが、現在では駅周辺に高層マンションが数棟建ち、国道の南側では土地区画整理事業が施行されるなど、著しい変貌を遂げている。JAの倉庫が建っていた野暮ったい駅前広場もJAの敷地が縮小されその跡地にロータリーが整備されるに至っているが、どういう訳か駅舎だけは、以前のままの小さい木造駅舎。これもそう遠くない将来には、改装されてしまうのかもしれない。
仙台市から多賀城市を経て塩釜市までの仙石線の駅舎といえば、昔は陸前高砂駅のように木造平屋のボロっちいものばかりであったが、現在では地下駅、高架駅、橋上駅舎が連続してかなり近代化されているように思う。その先鞭をつけたのが、次に登場する中野栄駅である。東北地方初の橋上駅(という話だが、福島交通泉駅の方が橋上駅としての歴史は古いような気がする)として1981年に開業した同駅の周辺は、宅地開発の進捗や至近に位置する仙台港(仙台塩釜港仙台港区)への産業、流通機能の集積、更には駅から500メートル離れた場所に仙台育英学園高校多賀城キャンパスが進出するなど、発展の一途をたどっているように感じる。ただ、開業から30年を経ようとしている駅舎を見ると、錆が浮き出ている箇所もあり多少の経年劣化を感じなくもない。駅に歩調を合わせてせっかく形成された街並みまでもが経年劣化しないよう、今後が踏ん張り時と言える地域でもあるだろう。
中野栄駅から300メートルほど歩くと、右手から仙台東部道路が近づいてきて仙台港インターチェンジで国道とアクセスし、三陸自動車道と名前を変えて高架橋で大跨ぎに利府町方向へと去っていく。その高架橋をアンダークロスすると、いよいよ多賀城市に入る。
多賀城市に入ってすぐの一帯は、アミューズメント地帯。従前より一兆というパチンコ屋兼ボーリング場が営業していたが、現在はその周囲にパチンコ屋、ゲームセンター、バッティングセンター、スーパー銭湯、ネットカフェなどが続々と進出している。飲食店も数軒見られ、なんとビジネスホテルまで建っているから、日がな一日のんべんだらりと過ごすにはうってつけの地域かもしれない。不健康、不衛生極まりない感がなくもないが。
アミューズメントエリアは、500メートルほど先にある、仙台臨海鉄道の高架橋の辺りまで続く。この辺りから、それまでつかず離れずの関係で進んでいた仙石線が離れていき、代わりに砂押川が近づいてくる。余談だが、三陸自動車道仙台臨海鉄道、砂押川は、この界隈の北1キロほどの場所で、しばらく並行している。
高架橋をくぐった先は多賀城駅周辺に展開する市街地となる。が、これといった核店舗や商店街がなく、漠とした印象がある。宿場町や門前町といった起源を有していないからであろうか。多賀城の発展の直接的ルーツは、1943年に設けられた多賀城海軍工廠。この施設は現在においても陸上自衛隊多賀城駐屯地として市東部の丸山に所在しており、市の中核をなす施設となっている。従って、多賀城は軍都・軍郷的性質を持っていると言えよう。同様の経緯で発展した地域は、柴田町船岡、東松島市矢本など、仙台周辺にいくつか見られる。
多賀城支店は、砂押川に架かる多賀城橋の袂にある。支店の建物は、かつて德陽シティ銀行の多賀城支店として利用されていた。それ以前の多賀城支店は市北端の下馬にあり、1997年に德陽シティ銀行が経営破綻し仙台銀行が経営を引き継いだ際に、双方の店舗を統合した上で旧德陽の店舗の建物を利用して改めて営業をスタートさせている。同様の経緯をたどった店舗には、他に仙台東口支店(215)がある。
ATMで1,000円を入金。国道を少し戻って全長わずか200メートルという県道多賀城停車場線に入り、砂押川を渡って、多賀城駅に到着。この駅は2007年より高架化工事が進められており、昨年11月に上り線のみ完成し、現在は下り線で槌音が鳴り響いている。
駅舎に入ると、高架ホームから10時27分発の上り電車がちょうど出発したところ。次の電車は10時49分発の快速で、更にその次が11時55分発の普通列車となっている。ずいぶんバランスを欠いた運行形態だと思う。こんなダイヤになってしまうのは、仙石線の快速の大半が多賀城~仙台間をノンストップで走っているため仙台までの到着時間が快速11分、鈍行22分と大きな差がついてしまっていることと、同区間に快速の通過待ちが可能なスペースが存在しないことが原因だ。このせいで、今22分も待たされている訳だし、快速が停車しない仙台市内の駅などは28分も待たされる羽目になっているのだ。福田町駅の近くにある車両基地の側線を一本拝借し、退避線として何とか活用できないものだろうかと思う。
そんな考えを巡らせながら高架の上りホームで電車を待っていたら、携帯にメールが入った。多分帰宅時刻を問う妻からのメールだろうと思って画面を見ると、なんと発信元は長町に住んでいる元上司だった。宮城野区内の高校に通っているご子息を送迎している途中、広瀬橋から河原町方面へと歩いている私の姿を見たのだという。ありゃりゃ。前回に引き続き、会社の人間に散歩中の姿を見られてしまった訳だ。恥ずかしいったらありゃしない。
次回の散歩は多賀城から引き返す形で卸町支店に立ち寄り、北仙台駅までの行程を予定している。また誰かに遭遇するんじゃなかろうか。沿道に住んでいるのは誰だっけ… 散歩本来の目的から外れた部分で、いろいろと想像を巡らせてしまうのであった。