2010年11月28日 ~仙台銀行支店巡礼⑤ 卸町支店(後半)~

卸町支店を出た後は、萩野町を通過し東北本線貨物線をアンダークロスし、前々回の散歩でも傍を歩いた国立病院機構仙台医療センター宮城野原公園総合運動場仙台育英学園高校宮城野キャンパスなどが所在する宮城野原駅周辺へと出る。この間約15分。卸町と宮城野原駅は意外に近いことを実感する。
2000年に地下化された宮城野原駅への出入口はこれらの施設のほぼ中間に位置しているが、それ以前の地上駅時代は仙台育英学園の西側、現在地よりもやや高いところにあった。跡地は駐車場や住宅地となっており往時を偲べなくなっているのは致し方ないところであるが、旧駅前に展開していたはずの商店街もまた衰退の一途を辿っているようにも思われた。
同様の傾向は隣の榴ヶ岡駅周辺でも見られるが、淋しいことである。加えてこの一帯は、先に歩いた元寺小路福室線の通過予定地となっており、辛うじて残っている商店も、やがてその大半が太い道路に姿を変えてしまう宿命にあるようだ。
そんな商店街だか元商店街だかを通り抜けると、国道45号線に出る。ベタなルート選択だが、ここから青葉区本町までは、この道路を歩くことにする。1976年まで市電が通っていたこともあり、沿道には個人商店や低層の雑居ビルが多い。ただし、すぐ南側には大規模な更地となってしまった鉄砲町、二十人町があり、建物の隙間や交差点から延びる道路越しに、殺風景極まりない風景を眺めることができる。
一方、前方を眺めると、国道沿道にある23階建ての花京院スクエアと28階建てのエナジースクエアとが、重なり合うように建っているのが見える。かつて東京・南千住にあったおばけ煙突を彷彿とさせる風景かもしれない。
というか、これらのビルもそうであるが、仙台の高層ビルは、総じて煙突のように細いものが多いような気がする。仙台人には「仙台の○○は北関東以北で最大、最高」という事柄をやたらと目指したがる傾向がある。高層ビルなどはその典型的事例であって今年竣工した仙台トラストタワーも札幌のJRタワーを抜いて北関東以北で最も高いビルとなったのであるが、札幌のビルは総じて敷地面積が広くどっしりとしており、高さばかりに目が行き「浮足立っている」感がある仙台のビルと比べると「地に足がついている」印象が強い。そしてこの傾向は、仙台、札幌両都市の政令指定都市としての性質をも、端的に示しているように思われて仕方がない。
高架を走る東北新幹線と地平を走る東北本線仙山線との間を通り抜け、青葉区に入る。駅前通との交差点の前後に位置する二つの高層ビルの前を通過してしばらく歩くと、愛宕上杉通との交差点。前々々回の散歩で通った錦町公園が、目の前に見える。前々々回といってもわずか10日前の話だから、感慨めいたものは特に湧いてこない。というか、今月は8回あった公休日のうち7回も散歩日に充ててしまったから、ちょっと歩き過ぎかもしれない。
錦町公園から北仙台駅付近までは愛宕上杉通を北上しようかと当初は考えていたのだが、ここまで国道45号線を歩いてきたこともあり、幹線道路にはやや食傷気味になっていた。そこで一計を案じ、定禅寺通のすぐ先で北西方向へと分岐し宮城県庁の東側を南北に通っている脇道へと入った。城下町内だけあってこの脇道にも外記丁(げきちょう)という名前がある。伊達政宗の家臣であった齋藤外記永門(ながかど)の屋敷があったことから名付けられたという。屋敷は現在県庁の東入口付近にあったそうだ。通りに名前を残した家臣とはどんな人物だろうという興味関心を抱きながら、県庁の本庁舎を見る。なお、仙台市中央卸売市場と同様に県庁内にも、また県庁と勾当台通を隔てて対峙する仙台市役所内にも、七十七銀行の支店はあるが仙台銀行の支店は進出していない。
県庁の北縁を東西に通っている北一番丁から先も道路は続いているが、その方向は愛宕上杉通と並行する形に改められる。通り名もここを境に外記丁から外記丁通へと変わる。仙台城下町における「○○通」という町名、通り名は「○○に通じる通り」という意味であり、仙台駅周辺から東西方向に延びている南町通、柳町通、北目町通もまた、奥州街道沿道の南町、柳町、北目町に通じる通りという意味であり、通りそのものが南町という訳ではない。
外記丁と外記丁通は、沿道の雰囲気も異なっている。良くも悪くも県庁の存在が目立っている外記丁に対し、外記丁通は閑静な住宅街。繁華街のすぐ近くなのによくそんな一角が残っているものだと感心するぐらいだ。
外記丁通は北六番丁に面した東北大学農学部の正門前で途切れる。喧騒から隔絶された大学のキャンパスは散策にはもってこいのスポットであり、そこを通過するのが近道であり関係者以外立入禁止でなければ、結構積極的に構内に入っている。今回もまた、堂々と正門から、キャンパスに入ってみた。
東北大学といえば日本でも屈指の歴史ある大学なのだが、キャンパス内部の建物もまた、歴史を感じさせるものが多いように思う。ただし、文化財的価値は殆どなく、ただ古いだけ。仙台市内五ヶ所に散らばっているキャンパスを青葉山へ統合させようと十何年も議論しているうちに、建物がどんどん老朽化している印象だ。
農学部だけあって、キャンパス内にはビニールハウスが整備されている。ただし、この一角は、関係者以外立入禁止。中で育てている植物は貴重な研究対象だけに、当然の措置だろう。私だってそこまでは立ち入らない。また、別の一角からは、堆肥のような臭いが漂ってくる。どうやらキャンパス内のどこかで家畜を飼育しているようなのだが、厳重に管理されているのか、これらの姿もまた、目にすることができなかった。
キャンパスの北端から一般道路に出、少し西へ進むと堤通に出る。仙台城下町の北端、奥州街道沿いの堤町に至る道であり、北へとまっすぐ進むと今日の終点である北仙台駅のすぐそばに出られる。農学部近辺は一戸建住宅が結構多いが、北仙台駅に近づくにつれて、マンションが目立って増えてくる。
しかし、そんな一角に、その名も仙台浅草という、下町情緒の漂う横町があったりする。「○○銀座」の類は全国で多く見られるが、浅草とは珍しい。ちょっと覗いてみると、本家の浅草よろしく観音様を中心に飲食店などの個人商店が軒を連ね、それなりに活気を感じる通りだ。繁華街でなく、北仙台という、旧市街と近郊との境界に位置する一角にこのような横町があるところに、仙台の奥深さを感じる。
終点の北仙台駅もまた、周囲の高層マンションに惑わされることなく、昔から今に至るまで洋館風の木造駅舎のままである。ただし、外観の化粧直しは行われているようで、以前よりは色調が明るくなっただろうか。北仙台駅を経由する仙山線は仙台~山形間の都市間輸送、あるいは仙台都市圏内の近郊電車としての性格が強い路線だが、北仙台をはじめ愛子(あやし)、作並、山寺といった同線内の主要駅は近年になっていずれも趣深い改装がなされており、観光面でももう少し注目を浴びていい路線だと思う次第である。