2010年12月8日 ~仙台銀行支店巡礼⑥ 中山支店・将監支店(後半)~

仙台大観音の前を通過し、北東へと進む。件のディベロッパーが造成した住宅地~中山の北西にに位置するのになぜか南中山という町名がついている~が右手、ゴルフ場が左手に、延々と続いている。住宅地は一戸建てばかりだが仙台大観音の建立以降に建てられたものが多いようで、1960年代から70年代にかけて開発された中山支店周辺と比べると装いが若々しい。こちらは新興住宅地の雰囲気が色濃く残り人間に例えると青春真っ只中だが、中山支店周辺は青年の雰囲気こそ残しているもののシワやシミ、白髪が目立ちつつある40代という印象だろうか。
反時計回りに緩やかなカーブを描く下り坂を進んでいくと、前方遠くに泉ヶ岳が見えてきた。標高こそ1,172メートルとさほど高くないが、船形連峰の前衛をなし仙台方面から見ると非常に目立つ山で、泉区の地名の由来ともなっている。
その泉ヶ岳が真正面に見える交差点を右折。泉ヶ岳は泉区の北西端に位置するが、次に目指す将監支店はこの界隈の北東に位置する。意外に個人商店が目立ち小商店街が形成されている一画を通り抜け、杜の都信用金庫泉中山支店の脇を過ぎると、中山とは別の業者が造成した長命ヶ丘に入る。1970年代から80年代にかけて開発が進められ、中山支店周辺ほどの老舗ではなく、仙台大観音周辺ほど新しくないという中途半端なポジションに位置する住宅地だ。
先の小商店街は、長命ヶ丘に入ると愛の鐘通りとの愛称を有するこの地のメインストリートとなる。沿道には七十七銀行の支店もありそれなりの体裁を見せてはいるものの、閉店して廃墟になった商店や長年放置されているとおぼしき広々とした空き地が存在するなど、これまで歩いてきた住宅地と比べると元気のなさを感じる。新規の開発がひと段落し、次のステップへの過渡期に入っていると言えるのだろう。逆説的な表現をすれば、今後どのように姿を変えていくのか、楽しみな部分はあるのかもしれない。
道路名の由来となった愛の鐘を見つけられない(道路から少し北に離れた公園内にあるらしい)ままに長命ヶ丘を通過。荒巻で横断した北四番丁大衡線をここで再度横断し、長命ヶ丘の東隣にある宮城県住宅供給公社が造成した住宅地・加茂へと入る。とは言っても、住宅地を歩くのは北部のごく一部だけで、そこを過ぎると雑木林が展開する。仙台を散歩するようになってから緑に触れる機会が殆どなかったから、有難く感じる。無意識に深々と息を吸っていることに後で気がつく。
そんな一角に、賀茂神社という、住宅地・加茂の名前の由来ともなった神社がある。仙台藩四代藩主伊達綱村によって1696年にこの地に建てられ、初詣や小正月どんと祭の時期には大勢の参拝客で賑わうという。もっとも、今の境内は静まり返っており、賑わいなど想像もできないのだが。
門前町らしい集落も周囲に見当たらないから、賀茂神社は元々地域の氏神様という位置づけだったのだろう。現在の初詣、どんと祭の盛況は、ここ数十年における泉区内の人口急増が背景にありそうだ。なにしろ今から55年前の1955年時点で人口約1万4千人、行政区画としても宮城郡泉村だったのが、現在ではその15倍となる約21万人にまで膨れ上がっているのだから、参拝客が増えるのも当然と言えよう。
まだ村だった頃の泉区。案外それは、住宅地のすぐそばにあったりする。賀茂神社から東に500メートルほど、加茂学校給食センターの先で左に分岐している細道を曲がると、それは唐突に現れる。納屋を備えた農家、竹製の生垣、そして、稲刈りが終わった後の寒々とした田んぼ。こんな風景が、55年前は区内の至る所に広がっていたのだろうかと、推察を巡らせてみる。
程なくして雑木林に入る。その先には七北田川が流れており、幅1メートルほどの細い橋が架かっている。長命橋という名のその橋は、幅もさることながら路面が鉄板敷という今時珍しい構造をしており、渡ると路面が上下に揺れて名前とは裏腹に寿命が三日分ぐらい縮むのではないかと心配になるほどだ。
これまたどうしてこんな橋が架かっているのか疑問に思いながら歩いていると、長命橋の北側500メートルほど、泉区内における東西軸をなしている主要地方道泉塩釜線沿いに、野村小学校という小さな小学校を見つけた。ひょっとしたら、長命橋はこの小学校への通学の便を図るために架けられたのかもしれない。とりあえずそのように解釈しておく。
なお、野村小学校の現時点での児童数は、50人を切るそうだ。学校近辺は農村地帯とはいえ、周囲の丘陵を見渡すと北も南も住宅が建て込んでおり野村小学校よりはるかに多い児童数を誇る小学校がいくつもあることを考えれば、よくぞ今まで統廃合の荒波にさらされずに存続してきたと感心してしまうのだが、仙台市では北西に位置する高森小学校及び高森東小学校との3校統合が検討しているとのこと。つまり5年後、10年後には野村小学校が残っている可能性はあまり高くはない訳で、これが見納めかもしれないと思うと校舎を眺める目にも気合が入る。
ところが、野村小学校のすぐ北側には、気合を入れなくても目に入って仕方がない構造物があったりするから話が厄介になる。2000年に竣工した屋内型運動場のシェルコムせんだいが、それ。オープン当初は「仙台にもドーム球場ができた」と話題となったものの、観客席が極端に少なくプロスポーツの興業が不可能なことや2007年に10,000人の観客が収容可能な仙台市民球場仙石線小鶴新田駅付近に出来たことも相俟って、ここ数年は影が薄い印象がある。周辺は陸上競技場や体育館、テニスコートが揃う総合運動場となっているものの、12月の平日というせいもあってか、周辺には人気が全然ない。無駄な施設だったのではなかろうかと、首をひねってしまいたくもなる。
そのシェルコムせんだいから北側はにわかに登り勾配となり、西側は三菱地所が造成した泉パークタウン、東側は加茂と同様に宮城県住宅供給公社が造成した住宅地・将監となる。生垣に「IZUMI PARK TOWN」と描かれた洒落た看板が出迎え真新しいマンションが建ち並ぶ泉パークタウンに心惹かれる部分は大きかいのだが、目的地が将監支店なので、将監へと入らざるを得ない。なお、泉パークタウンは人口2万5千人を誇る仙台都市圏最大の住宅地であるが、仙台銀行の支店は存在しない。
さて、将監であるが、ここもまた、人口1万4千人を数える仙台都市圏屈指の大規模住宅地である。特筆すべきは、住宅地全体がなんと十三丁目まであるという将監という町名で統一されていること。いわゆる条丁目制が施行されている北海道では十三丁目どころか二十丁目、三十丁目も見られるのだが、本州以南でとなると、かなり珍しい事例になるのではなかろうか。少なくとも宮城県内においては、将監以外に十丁目を越える区画を有する町名は存在しない。
開発年代は1970年代で中山支店周辺とほぼ同時期。従って、ややくたびれた感じの一戸建住宅や集合住宅が目立つ。住民の高齢化が進み、地域内で営業していた店舗が閉店に追い込まれる事例もあるようだ。幹線道路も通過していないので、ロードサイドショップはおろかコンビニすら進出していない。そう言えば、これまで見てきた住宅地では、コンビニが極端に少なかったような気がする。大規模な造成によってなまじ区画を固定してしまうと、街は流動性を失い結果として発展を妨げられる傾向にあるのかもしれない。
将監支店は、住宅地のほぼ中央。仙台市ガス局泉営業所を挟んで七十七銀行将監支店と並びの位置にあった。既に10時20分を過ぎておりATMコーナーは当然開いている。通算14回目の1,000円入金。「201」から「214」までの店舗コードがズラリと並ぶ記帳欄を見て、一人ニンマリする。
さて、あとは帰るだけ。ここから泉中央駅までは1キロもないので10分あれば到着すると思われる。が、野村小学校付近の農村風景を挟んだとはいえ住宅地ばかりを歩いてきた今日のコースには、どうにも納得がいかないものがある。前回の散歩まで仙台城下町の範囲内を必ず通過していたこともあり、歴史ある街並み~というものは仙台市内には存在しないので、厳密に言えば歴史ある道路区画か~を身体が欲しているように感じるのだ。とは言え今から仙台城下町まで歩くのも時間がかかりすぎるので、次善の策として、泉中央駅の東側を南北に縦貫している奥州街道まで出ることにした。ちょうどこの一帯は仙台城下から北上して一つ目の宿場町である七北田宿が展開していたから、宿場町の南端に位置する地下鉄の八乙女駅まで歩けば、程好いクーリングダウンにもなるだろう。
行き当たりばったりで臨んだ七北田宿であったが、意外に旧家が多く、宿場町の景観をそこそこ残していたのが嬉しかった。特に宿場町の北側にその傾向が強く、南側は低層マンションを含む商店街となっている。南側で目立つ歴史的スポットは、縁結びの神様としてここ数年知名度を上げつつある二柱(ふたはしら)神社ぐらいだろうか。やり手の神主か禰宜でもいるのだろうか、参道には初詣やどんと祭を告知する赤い幟が何本も掲げられていた。賀茂神社にはそんなものはなかったからずいぶん積極的にアピールしているように感じる。
その二柱神社から少し北に戻った位置になるが、泉中央からこの界隈にかけては泉ヶ岳通りの愛称を持つ主要地方道泉塩釜線との交差点を渡った先に、七十七銀行の泉支店があった。今回の散歩で七十七銀行の支店前をいくつ通った? 荒巻にあった。あと中山の研修所前にもあったし、長命ヶ丘、将監、そして泉支店で五つか。七十七銀行仙台銀行との規模の差を否が応にも感じてしまうのだが、3時間に満たない散歩時間で5店舗は多すぎる。この点では、七十七銀行ではなく仙台銀行を巡礼先として選んだことを、正解だったなと感じた次第。
七北田川を再度渡河し、来年のJ1残留を最終戦で際どく決めたベガルタ仙台の本拠地・ユアテックスタジアム仙台を右手後方に見ながら、10時59分、八乙女駅着。