2010年12月13日 ~仙台銀行支店巡礼⑦ 仙台東口支店・南光台支店(前半)~

前回の散歩で、当初予定していた泉中央駅ではなく、一つ先の八乙女駅まで歩いた。
予定変更は私の気まぐれによるものだが、その結果を受け、今回以降のスケジュールも、一部修正を施すことにしようかと考えている。案を示すと、

【第7回】八乙女駅→仙台東口支店(215)→南光台支店(216)→泉中央駅
【第8回】泉中央駅→泉ヶ丘支店(217)→桜ヶ丘支店(218)→北山駅
【第9回】北山駅→北山支店(219)→宮城町支店(220)→愛子駅

となろうか。宮城町支店や愛子駅へは第10回の散歩で訪れる予定であったのを、第9回に繰り上がる形にしてみた。なお、今年中に歩けるのも、恐らくこの範囲内ではないかと思われる。

という訳で、今回は、八乙女駅から仙台駅近辺まで出た後泉中央駅まで戻るという袋状のルートとなる。今日は午後から雨が降るとのことだから、距離が延びた分ピッチを上げて歩こうかと思う。
いつものように、桑折駅発6時29分の下り始発電車に乗車。仙台駅ではなく長町駅で下車し、地下鉄に乗り換える。この乗り換えもまた、長い距離を地下鉄に揺られてみたいという私の気まぐれによるものだ。
長町から今回の散歩の起点となる八乙女駅までは13駅、21分を要するとのこと。とは言うものの、所詮地下鉄。車窓はトンネルばかりでつまらないの一言に尽きるので、自然と乗降客の流れや駅のホームでの様子に目が向かいがちになる。地下鉄の乗客は仙台駅へと向かうに従って徐々に増え、その先は漸減していくものだとばかり思っていたが、そうではなく、仙台駅まではそれほど混雑しておらず逆に仙台駅から乗ってくる客が多いことにちょっと驚く。むしろその次の広瀬通駅や勾当台公園駅で大量に降りる客がおり一旦車内がガラ空きになるものの、仙山線と接続する北仙台駅あたりから再び込みだし、泉区へと入る。これも予想外だった。
乙女駅は終点の泉中央駅の隣だからか、乗る客より降りる客の方が圧倒的に多い。立ち客もいた車内から半数近くが降りたのではなかろうか。さて、ここから散歩スタート。時計を見ると、8時03分を指していた。
まずはここから、仙台東口支店を目指す。まどろっこしい話だが、青葉区旭ヶ丘辺りまではさっき乗っていた地下鉄の線路にほぼ沿う形で南下することになる。バスプールが設けられた駅前広場を出、駅のすぐ南側にある坂を登る。自動車の通行が不可能な細い坂道だが、このロケーションが幸いしているのか沢山の小学生が我が物顔で歩いている。仙台の小学生は集団登校ではなく個別登校が基本。集団登校が基本の福島県民の目から見ると危なっかしくて心配になるのだが、こういう道があると安心だ。
なお、子供達の通学先は、坂を登った先にある黒松小学校。11月12日、仙台銀行支店巡礼の初回で訪れた黒松支店(202)のある黒松団地の中にある小学校だ。小学生は校門の中へと消えていくが、私は更に南下し、区境を過ぎて青葉区へと入る。
地下鉄の真上を通っている太い道路を南下。右手には台原(だいのはら)森林公園の広大な敷地が見えている。面積0.6平方キロメートルの緑地帯。住宅街の只中によくぞそんな空間が残ったものだと感心する。しかもただ公園があるのではなく、旭ヶ丘駅から公園へと直接出られ付近を走る地下鉄の車窓からも公園の様子が見える構造になっている他、周辺に仙台市科学館仙台市青年文化センターといった文教施設が集中しているのが面白い。また、旭ヶ丘駅にはバスターミナルも併設されており、今日の散歩の後半で訪れる予定の南光台方面へのバスも発着している。仙台市では地下鉄沿線にインフラを集中的に整備させる傾向があり、この旭ヶ丘界隈や、泉中央、長町南などはその度合いが著しい。
私が歩いている道は旭ヶ丘駅以北では台原森林公園よりも高い位置にあったのだが、以南では坂を下り谷底となり、両側の斜面には住宅が建ち並ぶ光景が展開するようになる。町名が旭ヶ丘から台原へと変わる辺りで明治時代の文芸評論家・高山樗牛(ちょぎゅう)が恋に破れて瞑想に耽ったとの言い伝えが残る瞑想の松があるというが、道路からだとどこにあるのか全然わからない。その代わりと言っては何だが、瞑想ヶ丘という住宅地があったりする。地名としてはやや重い響きかもしれない。
その瞑想ヶ丘の南側にある交差点から、一方通行の細道に入る。この道はちょっと変わっていて、7時から12時までが南行きの一方通行、12時から19時までが北行きの一方通行となっている。つまり仙台市中心部への通勤の便宜が図られており、裏道としての利用価値が高い道だったりするのだ。従って、今の時間帯は背後の旭ヶ丘、台原方面からクルマがひっきりなしにやってきて、ちょっとしたスリルを味わう。
ただし、高度経済成長期以前における台原界隈は、別の意味でスリルを味わえたかもしれない。当時以前の台原は雑木林が一面に広がっており、仙台藩第四代藩主の伊達綱村が杉の植林を行ったことから杉山台とも呼ばれていた。恐らく昼間でも薄暗い一帯であったろうと推察される。
往時の面影は台原森林公園にしか偲べなくなってしまったが、仙山線の踏切を渡って仙台城下町の範囲内に入ると、杉山通という道路が残っている。そこを歩いてみようかと思う。なお、仙台城下町内で杉山台(台原)へ至る道は、東から順に杉山通、中杉山通、上杉山通と三本通っている。このうち上杉山通は小学校や中学校の名前に使われている他、1970年に実施された住居表示整備事業において上杉という新町名に活かされている。仙台において上杉が「うえすぎ」ではなく「かみすぎ」と訓まれているのはこのような事情によるものであり、伊達家とはことごとく対立する関係に遭った上杉家とは一切関係がない。
北六番丁から南へと延びている杉山通は11月18日に歩いた宮町商店街から200メートルしか西側に離れていないが、沿道は閑静な住宅街であった。藩政時代は侍屋敷が建ち並んでいたという。宮町は当時も仙台東照宮門前町として栄えていたから、往時を偲ばせるような建物こそ残っていないものの、両者の沿道の性質は昔も今も変わっていないことになる。
杉山通は北一番丁とのT字路にて終了。ここから先は北一番丁を東進し一旦宮町まで出、100メートルほど南下した先の交差点を左折する。この通りにも一応名前がついていて小田原北一番丁通という。北一番丁の名がつく二つの通りを軸と見立てれば宮町がクランクの役割を果たしており一直線に繋がっていない点に、城下町らしさを感じる。宮町寄りの200メートルほどは、下町の雰囲気が漂う商店街になっている。今となっては影も形も残っていないが通りの北側にはかつて遊郭が展開していたという。往時はもっと賑わいを見せていたのだろう。
その商店街の東端で右折し、小田原車通へと入る。国道45号線の南側、二十人町や鉄砲町の北側に位置する車町に通ずる通りである。なお、車町を更に南下すると、仙台駅東口に面した東七番丁へと繋がっている。沿道の町名は現在小田原と宮町に分割されており若干の味気なさを感じてしまうのだが、国道45号線の少し北側に、車通りの名を冠した踏切があり、昔日を偲ばせてくれる。11月22日に通った小田原東丁踏切もそうだが、小田原界隈は旧町名を冠した踏切が数ヶ所残っている。
その点は嬉しく思うのだが、小田原界隈の踏切は東北本線仙山線が並行している上に両線の分岐点のすぐ北側にある車両基地への回送列車も通るから、とかく開かずの踏切になりがちだ。東北本線の上下列車と仙山線の下り列車が通過する場面にものの見事にバッティングしてしまい、4分も待ちぼうけを食らってしまう。ついでに言えば、国道45号線でも信号待ちで2分ほどロスしてしまった。
国道45号線以南は区画整理が進む一帯。古びた建物が狭苦しく建ち並んでいた二十人町の商店街も幅員40メートルを越える都市計画道路元寺小路福室線と変貌してしまい、青信号だったが横断に30秒ほどを要した。以前だったら5秒もあれば悠々横断できたはずである。
東七番丁に入り駅前広場の一角を掠め、代々木ゼミナール仙台校の敷地北側を通っている細道を東進。これまた都市計画道路東八番丁中江線と呼んだ方がしっくりきそうな雰囲気の東八番丁との交差点を渡った先に、仙台東口支店の建物が見える。多賀城支店(210)と同様に、1997年に経営破綻した德陽シティ銀行の支店があった場所に仙台銀行の旧支店が移転統合した経緯を有する店舗である。ちなみに、旧店舗は現店舗から50メートルほど南側にある東八番丁と宮城野大通との交差点に面していた。現在は駐車場になっている。
ATMで1,000円を入金し、次の南光台支店へと歩を進める。仙台駅東口とを一直線に結ぶ道路が存在しないのでルート選定に難儀したのだが、逆にそういった区間の方が歩き甲斐があるのかなとも思う。クルマでの通行を含めて初めて通る場所も多いので、沿道を見る目にも気合が入る。
まずは、区画整理事業の施行区域の南端を東進し、榴岡天満宮の脇を通過する。私の住む桑折町では町域南部のつつじヶ丘に所在していた天神社が伊達氏の遷移と共にこの地へと移ったような伝が残っているが、榴岡天満宮側に残る資料では平安時代中期に平将春が京都から天満宮を現在の相馬市へと勧請し、その後柴田郡川崎町→仙台へと移ったとされている。
この例に見られるように、福島県信達地方では当地に所在する寺社や地名が伊達氏の遷移と共に仙台へと移ったとする伝がしばしば見受けられるが、仙台側に残っている記録と齟齬をきたしているものが非常に多い。中には「仙台を流れる広瀬川の名は伊達政宗が仙台に城下町を築いた際に伊達氏発祥の地である伊達市内を流れる広瀬川を偲んで名付けられた」という明らかな付会(仙台の広瀬川は「吾妻鏡」にも見られ、政宗命名によるものではない)もある。伝承は大事かもしれないが、嘘は退けられるべきだと思う。