2010年12月13日 ~仙台銀行支店巡礼⑦ 仙台東口支店・南光台支店(後半)~

榴岡天満宮から先は、東から北へと向きを変える。国道45号線以南は区画整理の影響で従来の町割が破壊されているが、小田原牛小屋丁という名の仙台城下町の北東端に位置する道路を歩く。この道路には泉丁という通称もあり、仙山線東北本線の踏切(なお、両者の位置は若干離れている)には泉丁の名前が使われている。踏切を渡ろうとした瞬間に、警報が鳴り出した。また待ちぼうけになるのは嫌なので、小走りで渡りきる。
東北本線の踏切を渡り終えると仙台城下町の枠から出ることになるが、道路自体はほぼまっすぐ北へと続いている。梅田川に架かる中江橋を渡ると町名もまた中江となり、更に北上すると4車線の道路へと突き当たる。この道路を西へ進むと北四番丁、毎年1月14日にはどんと祭で賑わう大崎八幡宮、更には国道48号線となって山形県へと通じ、東へ進むと利府街道の通称を有する主要地方道仙台松島線へと通じる。が、中江及びその東側に位置する幸町の区間仙台城下町の枠外だし主要道地方道にも指定されていないから、北四番丁とも利府街道とも呼びづらい。
一応、梅田川の南岸に位置する原町を通る石巻街道に対する名前として、新石巻街道という名前はあるらしい。一応、中江と幸町の境界(青葉区宮城野区の境界でもある)を通っている仙山線の踏切の名前に残っているものの、そう呼ぶ人は多くないようだ。なお、新石巻街道踏切であるが、現在の仙台都市圏においては4車線道路を跨ぐ唯一の踏切であり、通行上のボトルネックとなっている。仙山線の高架化も検討されているようだ。
踏切を渡った先の幸町はかつて工場が建ち並ぶ地域であったが、これらの移転や閉鎖に伴い、レンゴーの工場跡地にみやぎ生協を核としたセラビ幸町、東罐興業(東洋製罐の子会社)の工場跡地にイオン仙台幸町SCがオープンするなど、近年ではロードサイドショップ街に変貌を遂げつつある。また昨年には、幸町の1キロほど東、住所的には東仙台になるが、JTの工場跡地にヨークベニマルケーズデンキなどを核店舗としたフォレオせんだい宮の杜がオープンし、この界隈の商戦は激化の一途にある。
が、幹線道路から少し離れると、工場が建ち並んでいた頃の面影を残す古ぼけた雰囲気の集合住宅が残っていたりするのが、幸町の面白いところ。幸町南小学校の校庭を通り過ぎた先の交差点で左折し、再び北へと進路を撮る。ちなみに、幸町南小学校の敷地はちょっと変わっていて、校舎と校庭とが私の歩いている道路を挟んで対峙しており両者が歩道橋で結ばれるという構造をしている。
なお、この道路は600メートルほどでT字路に突き当たるのだが、そのT字路の直前に、宮町支店(208)が管轄する仙台銀行のATMが設けられている。以前この付近に德陽シティ銀行の幸町支店があり、同行の経営破綻及び仙台銀行への営業譲渡に伴い店舗は閉鎖されたものの、周辺住民への便宜を図るためにATMコーナーだけが残されたようだ。
T字路を右折して300メートルほど東進した後、東北農政局土地改良技術事務所前の交差点で左折し再び北上。交差点の先から1キロほどは、登り坂となる。ただ登り一辺倒なのではなく時折下り坂となり、下りきったところには与兵衛沼などの水辺空間が見られる。かつては灌漑用のため池であったが周辺が宅地化されきってしまった現在ではその役割を終え、公園、緑地帯という憩いの空間として第二の人生を過ごしている。
いずみ養護学校の敷地を過ぎると最後のアップダウンがあり、これを越えると鶴ヶ谷団地へと入る。1960年代から70年代にかけて仙台市が造成したニュータウンだが、同時期に造成された旭ヶ丘や将監などと同様に、特に集合住宅の老朽化や住民の高齢化といった問題を抱えているらしい。ただ、団地内にある仙台三高の校舎は昨年実施された共学化(以前は男子校)に伴い建て替えられた真新しいものであり、このような流れが団地全体に浸透していけば再生は十二分に可能なように思われた。
幸町と同様鶴ヶ谷にもかつて德陽シティ銀行の支店が所在していたが、こちらも経営破綻云々の事情で南光台支店に統合の上閉鎖されてしまった。現在は減少傾向にあるとはいえまだまだ人口10,000人以上を擁する鶴ヶ谷から仙台銀行が撤退した背景には、ひょっとしたら、南光台支店が、メインストリートの四条通り沿いではなく鶴ヶ谷との境界(宮城野区泉区の境界でもある)に程近い場所にあるからかもしれない。なにせ、仙台三高から4車線の太い通りを700メートルほど歩くともう着いてしまうのである。「南光台鶴ヶ谷支店」と改称した方が、より多くの顧客を獲得できるのではないかと思うぐらいだ。
ATMで1,000円を入金した後は、泉中央駅を目指す。
が、気まぐれによる終点変更だったので、泉中央駅までの具体的なルートは、特に考えてはいなかった。一応大枠としては、北東方向に歩いて仙台バイパスに出、七北田川を渡河した後泉ヶ岳通り(主要地方道泉塩釜線)に入って泉中央駅に着くつもりではいたのだが、南光台から仙台バイパスまでのルートは、とりあえず北東を目指せば何とかなるさという、行き当たりばったり、出たとこ勝負という状況なのだ。
まずは北へ行こう…そう考えたのだが、スッと入れる道がなかなか見つからず、泉中央とは真逆の西へと進んでしまう。住所で言うと、泉区南光台南と宮城野区自由ヶ丘との境界にあたる、緩いカーブが連続する細道だ。
500メートルほど進むと、T字路に突き当たる。ここを右折すればとりあえず何とかなるだろうなと思うが、曲がる前に、西側の風景に見入ってしまうことになる。この一帯は、青葉区北部から泉区南部にかけての住宅街が、一望のもと見渡せるスポットだったのである。目に入る範囲の南限は、北仙台駅付近だろうか。前回の散歩ではここを起点に中山支店(213)を経由して仙台大観音まで坂を上り続けたが、T字路付近からは、そのルートの殆どを俯瞰することができるのだ。もう少し手前に視点を移すと、今日の散歩の前半で脇を通過した台原森林公園が見える。ここまでの今日の散歩のハイライトが、頭の中でフラッシュバックする。
それにしても、こんな展望スポットがあるとは知らなかった。目に入る風景全体を俯瞰すると、梅田川、仙台川といった七北田川水系の小河川が刻んだ谷を北山、中山、水の森といった丘陵が包むように取り巻いており、その大半を住宅が埋め尽くしている。夜景なども、きっと見応えがあるのではなかろうか。
進路を北に変えた後は、四条通りまでは比較的すんなりと出ることができた。商店街と呼ぶにしては商店の密度がまばらだが、山形銀行北日本銀行宮城県外に本拠を置く金融機関が進出しているのが特徴の商店街である。ここを西進すれば15分程度で旭ヶ丘駅にたどり着けるが、今日は横断するだけで通過。
さて、これで行程の目処がつくなとおもったのも束の間。突然、真新しい4車線道路が目の前に現れ、私を困惑させる。都市計画道路鶴ヶ谷国見線と言うらしいが、こんな道路、地図には載っていなかったように思う。しかも、周囲の住宅から若干高い位置を通っており、横断の可能な交差点が限られているのが憎たらしい。交差点を見つけるまでの間に、更に西へと歩いてしまったようだ。一抹の不安を感じる。
横断後は北東へと軌道修正したつもりであったが、不安はものの見事に的中する。南光台の住宅街が尽きる辺りで小学校の前を通過したのだが、その小学校の名前が「仙台市立八乙女小学校」だったのである。八乙女!? 今日の起点のすぐ近くじゃん!! 多少の落胆。更に北上すると下り坂となり、仙台北環状線との交差点へと出る。左手に、ヨークベニマルの看板が見えた。八乙女駅からも見える看板だ。
台北環状線の沿道には、マンションが林立している。しかも、マンションの大半が八乙女と名のつくもののようで、搭屋は八乙女のオンパレードとなっている。八乙女駅まで戻りなさいよと言われているような気分になるが、それを断ち切るかのように駅とは反対の方向へと歩を進める。1キロ近く歩いてようやく、仙台バイパスへと出る。交差点のを左折するとすぐに、七北田川に架かる泉大橋を渡る。川の対岸右手には宮城県運転免許センターの大きな建物があり、その背後の丘陵に展開する住宅地には、松陵支店(223)、鶴が丘出張所(234)と仙台銀行の店舗が所在する。この地をじっくり歩くのは年明けのことになる。今は遠景だけを、目に焼き付けておく。
泉大橋を渡った直後に「東京から360キロ」というキリ良い表示の距離標識があり、更に300メートルほど歩くと泉ヶ岳通りとの交差点。ここを左折し2キロほど一直線に歩けば、やっと泉中央駅だ。
泉ヶ岳通りの沿道は、特にどうと言うことのないロードサイドショップ街。だからであろうか、沿道を見る目にも気合が入らない。その代わり、歩道の路面が街路樹の根が張った影響で凹凸していたりとか、車道の轍がひどかったりとか、それなりの経年劣化が目についてしまったりもする。
このこととは全く関係がないのだが、泉ヶ岳通りでは、救急車を3台も見かけた。うち2台は、泉中央駅方面から仙台バイパス方面へとサイレンを鳴らしながら足早に駆け抜けていったのだが、もう1台は、なんとガソリンスタンドで給油中というシチュエーションであった。そりゃ救急車だってクルマだから給油も洗車もタイヤ交換も当然している訳だが、その現場を目の当たりにすると、なんだか見てはいけないものを見てしまった気分になる。
そんなどうでもいいものばかり眺めながら泉ヶ岳通りを進み、ヒューモススウィングという大きな駅ビルと一体になっている泉中央駅に着いたのは、11時15分のことであった。散歩時間は3時間12分で、仙台銀行支店巡礼では初めて、3時間を突破した。