2010年12月17日 ~仙台銀行支店巡礼⑧ 泉ヶ丘支店・桜ヶ丘支店(後半)~

泉パークタウン工業流通団地の中を1.5キロほど南下すると、県道泉ヶ丘熊ヶ根線との交差点。地図で確認したところによるとこの交差点はT字路になっていたため、事前のルート検討においては、この交差点を右折して泉パークタウンの中心部に位置する高森へと入ることを考えていた。
ところが現地を見ると、T字路ではなく十字路になっているではないか。地図に載っていなかった道が南へとまっすぐに延びており、そちらへ進むと泉中央、野村方面に出られるとの表示もなされている。
当初の予定通り右折するか、それとも新しい道を南下するか、しばし考えた。逡巡すること30秒ほど。結果、思い切って直進してみよう! ということにした。地図で何度も確認し確実に目的地に着けるルートを破棄してまで、その地図に載っていない道を行くなんて、無謀だとも思う。が、好奇心が先に立つのは私の性分でもあるから、仕方ない。
余談だが、小学三年になる我が家の上の子は、「好奇心が強くてあっちこっちに目移りしてしまう傾向があり、その結果整理整頓がおろそかになっている」と、担任の先生から指摘を受けたことがあるそうだ。息子よ。申し訳ない。それは私の遺伝だ。
交差点を進んだ先は、オナーズヒル北高森という小住宅地があるものの、丘陵の谷間に位置する田園地帯。住宅地中心の風景に飽き始めていたところだったので喜ぶが、道路は陸橋で谷を大跨ぎに渡ってしまうので、惣村風景はただ俯瞰するのみで糠喜びに終わる。そしてこの陸橋はその高さのままで東北自動車道もオーバークロスし、前方の丘陵に展開している別の住宅地へと突入する。
ここはどこだ? 住宅地内に掲げられた地図を見ると、泉パークタウンの東端に位置する桂のようだ。前々回の散歩で高層住宅が林立する桂の様子を遠巻きに見ているが、今通っている一帯は広い区画の一戸建住宅が建て込んでいる。街路樹や緑道が整備され、家々の境界もブロック塀ではなく生垣になっているなど、緑豊かな佇まいで、同じ丘陵上の住宅地でも先ほど訪れた泉ヶ丘・富ヶ丘とはかなりの違いを感じる。
しかし、桂の街並みを、特に素晴らしいと個人的には思わなかった。何と言うか、同じ泉パークタウン内の工業流通団地と同様に、生活感が希薄な雰囲気がする。散歩開始から2時間近くが経過している。喉が渇いてきたので水分補給といきたいところなのだが、桂には商店が殆どなく、自動販売機に至っては全く見当たらないのだ。見かけは瀟洒だが、案外暮しにくい街なのではなかろうかと推察してしまう。
また余談になるが、これまでの散歩で見てきた1960年代から70年代にかけて開発された住宅地を振り返ってみると、旭ヶ丘、中山、南光台、泉ヶ丘・富ヶ丘のように商店街が組織された所の方が、商店街が存在しない将監や鶴ヶ谷に比べて活気めいたものを感じることが多い。上手く表現できないけれど、商店街が地域の中核であり、また応援団でもあるように思うのだ。桂もそうだが、開発年代が新しくなるにつれて、住宅地の商店は中央にスーパーがデンと居座る形が主流となっている感がある。が、同様の形態であった将監や鶴ヶ谷でスーパー自体が撤退の憂き目に遭っていることを考えると、果たしてこの方向が良いのかどうか、正直首をひねってしまうのだ。
桂小学校の先で右折し、南西方向に緩やかにカーブした道路を進む。将監寄りの高層住宅とは異なり低層の集合住宅が集中する一角を通り抜けるとT字路に突き当たるので、ここも右折。ほどなくすると東北自動車道を再びオーバークロスする陸橋を渡り、当初訪問予定であった高森へと入る。泉パークタウンの中では最も古く1970年代半ばに開発された地区だが、チラッと見るだけにとどめ、みやぎ生協高森店前の交差点を今度は左折し、丘陵を下りる。
下りた先は、野村の田園地帯。桂の手前の陸橋付近とは異なり、田畑に直に触れられる位置を歩けるのが嬉しい。この時点でまだ飲料水にありつけていなかったのだが、喉の渇きなどどうでもよくなってしまった。泉中央付近とは打って変わってただの田舎道と化してしまっている主要地方道泉塩釜線や、その左手に流れる七北田川の流れもまた良い。これら単体を見ただけでは別にどうと言うことはなかっただろうが、人工的なものばかりを見せつけられた後で訪れてみると、本当に心が落ち着くのだ。
ところが、安寧の時はそう長くは続かない。七北田川に架かる長淵橋という細い橋を渡った後は、都市計画道路北四番丁大衡線(県道大衡仙台線)へと入らざるを得なくなる。北山付近でまだ工事中であるものの泉パークタウンと仙台市中心部とのメインルートでありクルマがひっきりなしに通っているこの道路を南下し、東北自動車道を三度目のオーバークロス。その先には、前々回の散歩で訪れた長命ヶ丘や加茂といった住宅地が展開している。
長命ヶ丘の南側で右折し泉館山高校の脇を通った後、仙台北環状線との交差点を渡る。交差点の先を少し行くと、青葉区に入る。町名的には右手が川平、左手が桜ヶ丘ということになるが、どちらも多少古びた感のある住宅地である。
しかも桜ヶ丘側には、丘陵の傾斜がきつい部分に無理をして建てた住宅が目立つ。玄関こそ道路に面しているものの建物自体は階段を登った先の高い位置にあり、階下を掘り込んでガレージが設けられているといった具合。脇から分岐する道には坂道ではなく石段になっているものもあった。桜ヶ丘といえば東端に地元ではお嬢様学校として知られる宮城学院(中学・高校・大学)のキャンパスがあり学園町としてのイメージを抱いていたのだが、街の雰囲気はどうもそれとはかけ離れている感じだ。
明成高校前の交差点を左折し、桜ヶ丘の中心地へ入っていくと、更に学園町らしからぬ風景が展開する。ロータリーの周囲に小さな商店街があるのだが、居酒屋、寿司屋、焼肉屋などの飲食店をはじめ、指圧院、鍼灸院、薬局といったどちらかといえば中高年向けの店舗が目立つのだ。電気屋の前を通ると、店内からド演歌が流れてくる。こりゃ、どう考えてもシルバータウンじゃないか。
しかし、それはそれで、今後避けられない高齢化時代に対する桜ヶ丘の適応力の高さを示していると言えるのではないだろうか、とも思う。特に(若者向けではない)飲食店の多さは先に列挙した商店街を有する住宅地にも共通した特徴であり、むしろこのような止まり木的な存在が、住宅地の住民が団結し、落ち着いて暮らすための源泉となっているようにも感じる。
桂には…カフェやイタリアンレストランはあるが、楽しく酒が飲めそうなスポットはないようだ。ここの住民は日頃の憂さをどこで晴らしているのだろうか。わざわざ国分町あたりまで出向くのだろうか。いや、公共交通機関がバスしかないこの地域からでは、深夜まで国分町で飲み歩くのは至難の業に近いだろう。やはり、身近な所に飲み屋ぐらいは欲しいものである。なお、桂のように飲み屋もなく仙台の繁華街からも距離がある住宅地に対応したのかどうかはわからないが、泉中央駅の西側に、近年飲み屋街が形成されつつあるという。年明けに松陵支店(223)か大富支店を訪れる際に、通過する機会があるかもしれない。
話がだいぶそれてしまったが、桜ヶ丘支店は、そんなシルバー商店街の一角にあった。店内は泉ヶ丘支店ほどの賑わいはなかったものの、2、3人のお年寄りが、ソファーに座って待っていた。
ATMで1,000円を入金し、あとは北山駅へと向かうだけ。ところが桜ヶ丘から北山駅までスッと向かえる道路は存在せず、東の荒巻か西の中山を迂回しなければならない。どちらにしようか迷ったが、なかやま商店街の様子をもう一度見たいと思い、中山経由をチョイス。ただし、このルートは勾配がきつい。桜ヶ丘から一度坂を下り、名前は失念したが小河川を渡った後、再び急な登り坂に挑む。散歩というよりトレッキングに近いコースだ。
なかやま商店街を一瞥した後は、再び下り坂。中山ドライブスクール前の交差点を南進し、梅田川を渡る。地図上ではこのすぐ近くに北山駅があるはずなのだが、ここでまたまた登り坂に出っくわす。もういい加減にして欲しいと思った矢先、左へ分かれる細道の先に北山駅の表示。これまたどうしてそんなウナギの寝床みたいな場所に駅があるのかと疑問を感じてしまうが、駅自体が沿線が都市化しきった後の1984年に開設されたから、致し方なかろう。私がこの駅から列車に乗るのは、実に23年ぶりのこと。当時はホーム一本に小さな待合室があるのみだったが、現在は小ぶりながらも駅舎が建てられている。駅構内には、駅の南側にある寺院群への案内図が掲げられていた。次の訪問先である北山支店(219)共々ちょっと歩けば行ける距離にあるのだが、楽しみは次回の散歩にとっておくことにしよう。
北山駅の入口付近には、クルマの通行が不可能な小さな踏切がある。名前を見ると、根白石(ねのしろいし)街道踏切とある。仙台城下町の北端近く、奥州街道沿いの通町(とおりちょう)を起点に北山、中山を経て現在の泉区根白石へと通じる街道が、江戸時代よりこの界隈を通っていたらしい。
ここで私が思い出してしまったのは、2004年に放送された仙台が舞台のNHK朝ドラ「天花」。確かあのドラマでは、ヒロイン・天花とその友人とで根白石にある祖父宅から定禅寺通まで七夕用の竹を担いで歩くというシーンがあったように記憶している。ずいぶん無茶苦茶な設定をするものだと放送当時は苦笑を禁じ得なかったのであるが、今現在の私は、竹こそ担いでいないものの、根白石から定禅寺通程度の距離だったら平気で歩き通して楽しんでいるから、ある意味彼女に匹敵する変人と言えるのかもしれない。今度は、自分自身に苦笑してしまうのであった。