2010年12月26日 ~仙台銀行支店巡礼⑨ 北山支店・宮城町支店(前半)~

今年も残すところあと一週間を切った。
年内の休日は今日26日と大晦日の二回残っているが、今年の散歩は今日で打ち上げにしたいと思う。大晦日ぐらいは自宅でゆっくりしたい。
だから今日は思いっきり歩きに徹したいと思うのだが、そこに文字通り暗雲が垂れこめている。一昨日から断続的に雪が降り続いているのだ。昨日までの通勤電車から外を覗いた限りでは仙台市中心部では舞う程度であり積雪もなかったのだが、今日の散歩予定地は、その仙台市中心部から見て西寄りに位置する北山支店(219)と宮城町支店(220)。両支店の中間で丘陵越えを予定している。仙台市中心部が好天でも丘陵では雪というケースはしばしばみられるケースだし、現地で積雪がどの程度あるのか心配になる。
北山支店は今回の散歩の起点となる北山駅から1キロも離れていないので、いつもの桑折駅発6時29分の始発電車ではなく、7時16分発の二番電車に乗車し、8時27分に仙台駅に到着。
ここで8時32分発の仙山線の電車に乗り換えるのだが、車内に入ったところ「ただいま雪のため上り列車が遅れており、この列車の発車も5分ほど遅れる見込みです」とのアナウンス。仙山線は単線だから、一本の電車がトラブルを起こすと上下列車すべてに影響が波及するし、その回復も、複線の路線に比べると遅れがちになってしまう。幸いアナウンス以上の遅れはなく仙台駅を出発したが、やや前途多難気味な立ち上がりではある。
ダイヤ通りに走っていれば北山駅には8時42分に着けたのだが、結局駅舎を出たのは8時48分のことであった。
まずは、駅から南東方向へと延びている根白石街道を進む。緩やかな下り坂だが、沿道には住宅が立て込んでおりあまり眺望はきかない。もっとも、路面には軽く雪が積もっていたし、スリップやクルマの通行にも注意しなければならないから、周囲を眺める余裕はあまりなかった。
やがて勾配が緩やかになり、羽黒神社の前を通過する辺りから、仙台城下町の枠内へと入る。この界隈の旧町名は「北山町」。現在の町名は「北山」であり、「町」が抜けた形になっている。同様の事例には北山の南西、大崎八幡宮門前町として今も賑わう「八幡(町)」があるが、八幡が現在も八幡町の呼称で十分通用しているのに対し、北山町の呼称はすっかり廃れてしまった感がある。
北側に丘陵を背負った北山町は仙台城下町の北辺の守りを固める要衝の地であり、沿道の北側、丘陵の麓から中腹にかけては、輪王寺、資福寺、覚範寺といった寺院が展開している。いずれも伊達氏の遷移に伴い福島県伊達地方から米沢、岩出山、仙台と移ってきた経緯を有する古寺である。伊達地方が起源というのが、この地域の住民としては何となく嬉しい。
北山支店はそんな一角、資福寺の門前近くにあった。到着時刻は8時58分。北山駅を出てからまだ10分しか経っていない。今日は日曜日なので、ATMコーナーは9時に開く。周囲をウロウロしながら待っていると、9時ジャストにシャッターが開いた。12月8日に中山支店(213)でATMコーナーが開くのが2分遅れるという事態に遭遇したが、ここでは定刻通りで、安心する。早速、1,000円を入金。これで訪問店舗数は19となり、店舗コード200番台の仙台ブロック(ブロック名は私の独断で命名)の総店舗数36ヶ所の過半数となった。
そして、次に目指すのは宮城町支店。これまた区切りとなる20店舗目の訪問となる。
北山町を輪王寺前まで戻り、北四番丁からここまで整備が進んでいる都市計画道路北四番丁大衡線(県道大衡仙台線)を南下した後、北八番丁との交差点を右折する。沿道は一戸建やアパート、低層のマンションが建ち並ぶ閑静な住宅街だが、時折寺院も見られる点が、近年開発された住宅地とは異なり伝統、風格を感じさせる。
その寺院の一つに、満勝寺がある。ここもまた伊達地方にルーツを持ち伊達氏に従って仙台まで移ってきた経緯を有する古刹だ。なお、満勝寺の原初は桑折町万正寺、伊達氏の始祖である伊達朝宗(ともむね)のものと伝えられる墓所の至近にあったということだ。
「微笑院」という曰くありげな山号を持つ江巖寺(こうがんじ)の前を通過してほどなく、四つ角に差し掛かる。ただの交差点ではなく、ここへ通じているすべての道路に別々の名称がついているから面白い。各々の名前を挙げると、東からは今私が歩いている北八番丁、南からは土橋通、北からは半子町、そして北からは江戸時代後期に「海国兵談」を著した林子平墓所がある龍雲院の参道となっている。私はこの交差点を直進し、半子町へと入る。この地名も住居表示整備事業の実施により現在は消滅しており、町域の大半は林子平墓所があることに因んで子平町という名前に変更されている。
半子町はバス通りでもあり、クルマの通行量も多くなる。が、歩道が整備されていないので、通過するクルマがあるたびに、溶けかかった雪が積もる路肩への退避を余儀なくされる。町名が子平町から国見に変わった所に位置する壽徳寺の前で、ようやく歩道が登場。この辺りが、仙台城下町の西端になるようだ。
寺の敷地を過ぎると急な登り坂に差し掛かり、500メートルほど上ると東北福祉大前駅の近くへと出る。東北福祉大前駅はその名の通り東北福祉大学のキャンパスの真ん前に位置している2007年に開業した駅で、今日の出発地点である北山駅からは一区間、わずか1.0キロしか離れていない。電車で行けばわずか2分で着けるのに、エッチラオッチラと遠回りして40分以上もかけて歩いているのだから、間が抜けているったらありゃしない。
その東北福祉大前駅の西側に、芋沢街道踏切という名の歩行者専用の踏切がある。北山駅前の根白石街道同様、耳にしたことのない名前だ。なお、街道名に冠せられた芋沢は、青葉区北西部の地名。1987年までは宮城町の町域に含まれており、今回の散歩ではその区域内をかなり長い時間歩く予定になっている。踏切を渡り、坂道を更に10分ほど登り続け、仙台高校の脇を通り過ぎると、国見ヶ丘という名の住宅地に入る。その名の通り先ほど歩いた仙台城下町北部一帯が展望できる高台なのだが、ここはもう芋沢の範囲内である。