2011年1月12日 ~仙台銀行支店巡礼⑪ 長町南支店(前半)~

普段散歩の準備は出発直前に慌ただしく行っているのだが、今回は、前日の夜にある程度済ませておいた。財布、定期券、そして預金通帳… 前回の反省を踏まえてのことだ。そして、私にしては早めとなる11時前に就寝。なんだか気持ちばかりが先走っているような感がなくもない。
今朝は5時半に起床。朝食を済ませ、いつものように、桑折駅発6時29分の下り始発電車で出発し、定刻7時39分に仙台駅着。会社勤めとおぼしき下車客の流れに押し出されるように、ペデストリアンデッキに出る。考えてみれば、7時台に散歩をスタートさせるのは久しぶりのことだ。
さて、今日の目的地は、長町南支店(221)。まずは、前回の散歩のラストでもお世話になったイービーンズ前の階段を降り、愛宕上杉通へと出る。そして、南にちょっと歩き、柳町通との交差点を右折する。
柳町通は、かれこれ20年以上も前の話になるが、私の高校時代の通学路だった。が、沿道の風景は、当時とは一変してしまっている。その中でも最大の変化が、よりによって我が母校。2005年に宮城野区小鶴へと移転し、跡地には37階建、高さ約180メートルの仙台トラストタワーが建ってしまったのだ。
遠目からなら何度も見ている仙台トラストタワーだが、間近で見るのは初めて。とにかくデカイ。上体を反らさなければ、最上階を仰ぐことも不可能だ。眺めているうちに、心の奥の一番柔らかい部分が抉られたような気分になった。母校に対する愛着はあまりなかった私だが、これだけ変貌されると嫌でも感傷的になってしまう。
もういい。視線を地上に移そう。幸いにも仙台トラストタワー以西の柳町通は、大日如来を中心に、高校時代とさして変わらない街並みが残っている。沿道の建物を目に焼き付けながら、心の傷を癒す。
東一番丁(一番町のアーケードの延長路)との交差点を左折。五橋通との交差点を渡って南下すると、東北大学本部に突き当たる。構内は事務棟や研究棟ばかりで講義棟はなく、従ってここに通学する学生や教員はそれほど多くないはずだが、出入りする人の姿が嫌に多い。どう考えても大学に所用があるとは思えない制服姿の高校生が、平気な顔して自転車で構内を出入りしてもいる。門前には警備員が立っていたが、注意する素振りも見せない。ずいぶん大らかだな、と思う。
私もまた、構内を歩いてみる。歴史ある旧帝大であり、この辺りは戦災も免れたこともあって、建築年代の古い洋館が多いのが特徴だ。本部のキャンパスはそう遠くない将来に青葉山の中腹に移転される計画となっているが、移転後もこれらの洋館を保存しようとする動きもあるようだ。結局のところキャンパス移転後のこの地はオフィスビルか高層マンションになってしまうのだろうが、仙台トラストタワーのような施設はできて欲しくないな、と思う。
さて、この東北大学本部であるが、東一番丁側にある門はあくまで通用門であり、正門は広瀬川河岸段丘に面した片平丁の沿道にある。広瀬川の対岸にある伊達政宗の廟所・瑞鳳殿に正対して建てられたものだという。私もまた、この正門を出、片平丁を横断して下町然とした米ヶ袋の街並みを通り抜け、広瀬川に架かる霊屋橋を渡り瑞鳳殿へと向かった。
瑞鳳殿の周辺は経ヶ峯歴史公園となっており、瑞鳳殿への参道もまた、石畳の歩道や石段が整備されるなど、急勾配ではあるけれどそれなりに歩きやすい道であった。瑞鳳殿自体は9時から拝観可能ということで見ることはできなかったのだが、仙台城下町が有する歴史の重みは、公園内を歩いているだけでも十二分に伝わった。
が、公園の敷地内を抜け、太白区向山に入ると、状況は一変する。北向きの斜面に密集する住宅。クネクネと曲がりくねった隘路。スプロール現象そのものと言える状況が、目の前に展開する。迷路そのものと表現してもいい街並みを、当てずっぽうに歩く。路傍に掲げられた住居表示板だけが、現在歩いている地点を指し示す唯一の手がかりだ。
ところが、その住居表示板に示された町名が、向山から八木山香澄町へと変わったものだから、ちょっと混乱してしまう。八木山って、動物公園とかベニーランドがあって、竜ノ口渓谷を挟んで青葉城と対峙している所じゃないか? と、一瞬思う。
でも、今私が思い浮かべた八木山のイメージが指し示す八木山本町(ほんちょう)近辺と、香澄町近辺とは、実は1キロほど離れており、小中学校の学区も異なっている。一口に八木山と言っても、前者と後者とでは、開発年代も街並みの雰囲気も違うのだ。香澄町をはじめ、緑町、弥生町、松波町といった八木山東部の一帯は、八木山本町と比べると住宅地としての開発年代が古く、バス通り沿いに商店街が形成されているのが特徴で、商品を店頭に威勢良く並べた八百屋など見かけると、リゾートスポットのイメージとは程遠い感じがする。なお、八木山本町は八木山支店(231)の所在地であり、同店を訪問する際にじっくり回る予定を立てている。
そんな八木山東部の商店街は、今の時間帯、すぐ近くにある東北工業大学高校へと通学する生徒の往来で賑わっている。私もまた、彼らの集団に混じって、同校方面へと歩いてみる。
その途中、南側に、丘陵いっぱいに住宅が広がる風景が見渡せる。同種の風景は12月13日に南光台支店(216)付近でも目にしたが、尾根も谷間も関係なく丘陵を埋め尽くした住宅群は、11月22の散歩の際も表現したが「家並」ではなく「家波」という雰囲気で、その荒波に揉まれる小舟のように、長町南方面へと歩を進める。
荒波に揉まれるとは我ながら言い得て妙の表現であって、できるだけ幅の広そうな道路を選んで歩いてみると、商店街から東北工業大学高校を経てしばらくの区間は下り坂となるが、再び急峻な登り坂へと差し掛かる。再び住居表示板で所在地を確認すると、青山一丁目と二丁目との境界にあたるようだ。響きは優しいが周囲は住宅で埋め尽くされており、緑地や公園、あるいは東京の青山通りのような街路樹は、全く目にすることができない。そんな勾配、隘路が続く一帯では、小回りのきく原付バイクが必需品のようで、何度も遭遇する。
坂を登りきると、路線バスも走っている2車線の通りに突き当たる。これまで歩いてきた北側はもちろんのこと、南側もまた下り坂であり、主要道路が尾根に敷かれているのに驚く。所々で分岐している脇道を介して、北側は先ほど通った仙台トラストタワーや11月22日の散歩で訪れた大年寺山、南側は国道286号線沿いに展開する西多賀方面の住宅地や太白山が見渡せる。
恵和町、大塒(おおとや)町といった地元の太白区民でさえも町名の聞き覚えがなさそうな一帯を通過すると、緑ヶ丘に差し掛かる。ここもまた青山と同様、町名に反して緑地や公園らしきものを少なくとも私が歩いているバス通りからは目にすることができない。
緑ヶ丘の面白い点は、そのバス通りが城下町の街路のようにクランクの連続になっていること。開発年代が新しい住宅地であれば法面として緑化されるような場所にも道路が敷かれ住宅が建った結果、そうなってしまったようだ。そんな際どい場所を造成してしまった結果、1978年に発生した宮城県沖地震では、大規模な土砂崩れを起こしてもいる。その教訓からか、住宅の周囲に時折見られる崖が、かなり強固にブロックなり石垣なりで補強されている。
坂を下りきると、久しぶりの平坦地へと入る。ここから先は太白区の中心地・長町のテリトリーに入ったと言っていいだろう。木流堀を渡った先にある鹿野小学校の敷地が、嫌に広々と感じる。その脇を通り抜け、新旧の国道286号線を横断すると、今度は長町南小学校の脇を通過。500メートルほどしか離れていないはずだが小学校が近接している点に、長町界隈の人口密度の高さを感じる。
その長町南小学校の校庭越しに、ララガーデン長町やザ・モール仙台長町など、長町、いや太白区を代表する商業施設が見えた。これらの南側を通っている4車線道路を渡った先に地下鉄の長町南駅や太白区役所があり、そのすぐ近くに長町南支店がある。
ところで、今「4車線道路」と書いたが、この道路は、あすと長町、長町駅周辺、今歩いている長町南、そして国道286号線とを結ぶ東西の重要路である。都市計画道路名としては長町八木山線といい、将来的には八木山動物公園方面まで繋がる計画があるという。ところが、それにふさわしい愛称が、まだ存在しない。ちょっと不憫に思う。
長町南支店は、濃い目のベージュというかカーキ色というか、落ち着いた色調の壁面を有する建物であった。12月26日に訪れた宮城町支店(220)も薄緑色の壁面だったが、開店年代が比較的新しいと推察されるこれらの店舗は、建物から個性がにじみ出ているように感じる。次の訪問先である松陵支店(223)はどんな建物なのだろうと楽しみになってくるが、松陵支店は長町南支店から10キロ以上離れているため、今回の散歩での訪問は非常に厳しい。今日は松陵支店から5キロほど南に位置する東仙台駅で、散歩を打ち切る予定だ。長町南支店を出た私は、北へと歩を進めた。