2011年1月12日 ~仙台銀行支店巡礼⑪ 長町南支店(後半)~

長町南からは、長町の南北軸である奥州街道と県道仙台館腰線とのほぼ中間を一直線に通っている2車線道路を北上する。取り立てて特徴のない住宅地を通り過ぎると再び木流堀に突き当たるので、右折して橋のあるところまで歩く。向こう岸は仙台南高校の敷地となっており、ここを通り過ぎたところでようやく橋が登場。今度は同校の敷地の東縁を歩くことになる。
この道路は広瀬川に架かる宮沢橋の袂まで続いている。橋の向こうは若林区仙台城下町の南端である。誘われるように橋を渡る。霊屋橋では谷を刻み荒々しい姿を垣間見せていた広瀬川であったが、宮沢橋周辺ではゆったりと、穏やかに流れている。河川敷には芝生や遊歩道が整備され、犬の散歩ややサイクリングを楽しむ姿も見える。
宮沢橋を渡ると旧国道4号線と交差し、その先も幅の広い道路が東へと続いているのだが、私はその道路の一本南側を通っている奥州街道沿いに商店街が展開する河原町を歩くことにした。
荒町や南鍛冶町など同じ若林区内の奥州街道に面した商店街と同様に、河原町もまた、1912年に建てられたという重厚な雰囲気の旧仙南堂薬店を中心に下町情緒が漂っていた。ただ、「模型処」を掲げた店舗も見られるなど、商店構成には古臭さを感じない。
余談になるが、仙台近郊には、玩具店は少ないけれどプラモデルその他の模型を扱うホビーショップが、結構多いような気がする。これまで散歩で歩いた地域だと、長町、多賀城七北田で、同種の店舗を見た記憶がある。
商店街を通り抜けると、目の前には東北新幹線の高架橋と東北本線の踏切が現れる。踏切名は、行人塚踏切。11月22日に通った小田原東丁と同様に、この付近には、1933年から1944年までのごく短期間、東北本線の駅が設置されていた。
踏切の先の町名は、古城(ふるじろ)。その町名及び若林区の区名の由来となった伊達政宗の隠居所・若林城址まで、まっすぐに道が続いている。途中で宮城野貨物駅を経て東仙台駅まで至る貨物線をアンダークロスする。今日の散歩の後半戦は、この貨物線に沿って北上することになる。
ところで、若林城址であるが、あろうことか現在宮城刑務所の敷地になっており、一般人は立ち入ることができない。 その点は残念だが、往時の区画はしっかり残っているので、刑務所を移転させた上で史跡公園として再整備してくれると嬉しい。若林区内には都市公園が不足している感があるので、尚更そう思う。
並木越しに高々とした塀が続いている刑務所の敷地を出外れたところで左折し北上。住居表示板で確認すると町名は南小泉となっている。この界隈は太白区長町、宮城野区原町と一緒に1928年に仙台市へと編入された地域であり仙台城下町の枠外に属するが、細い路地や木造家屋が多く見られ、下町っぽい景観が残っているのが特徴だ。地元でもそれを意識しているのか、「DOWNTOWN」と名付けられた美容室が営業したりしている。なお、仙台銀行にも南小泉支店(228)があるが、この界隈から1キロほど北東に離れており、町名的には中倉に所在している。
聖ウルスラ学院英智高校と南小泉中学校との間を通り抜けると、県道荒井荒町線とのT字路に突き当たる。その名の通り、荒町で国道4号線から分岐し、奥州街道沿いの街並みや若林区役所付近を経て地下鉄東西線の建設工事に伴い宅地化が急速に進んでいる荒井へと至る若林区内の東西を結ぶ基幹道路であるが、辛うじて2車線が確保された歩道もない隘路であり、歩くのにはちょっとした度胸を要する。臆病者の私は、この道路を荒町方面に50メートルほど歩いてから、さっさと右折し脇道へと入る。ただし、この脇道は当てずっぽうに入ったものではなく、そのまま直進すると陸奥国分寺薬師堂の境内へとたどり着くのを知っていてのチョイス。ただし、沿道は門前町と言えるほどの街並みは整備されておらず、しかも薬師堂に着く直前で古城にてアンダークロスした貨物線のガードを再びくぐることになる。
しかし、それ以上に驚いたのは、薬師堂の境内。なんと、明後日に開催されるどんと祭の準備が進められていたのだ。境内内に白山神社があるとはいえ、寺院においてどんと祭が行われるというのは、初めて目にした。
そんな状況を見ながら更に北へと進むと、薬師堂の北側に、住宅が立ち退いた跡とおぼしき更地が広がっているのが目につく。仙台市において薬師堂周辺を歴史公園として整備する計画があり、その前段階として、更地の区域内で発掘調査が行われているという。今は殺風景な雰囲気だが、きれいに整備されるのは果たしていつの日になることやら。
更地が尽きて再び住宅街に入ると、新寺通との交差点。ここを渡った先は宮城野区であり、右手には宮城野貨物駅、左手にはKスタ宮城が見えている。その間を通っている比較的広い道路を北上する。この道路は仙石線陸前原ノ町駅の南に位置する銀杏町まで続いている。宮城野貨物駅構内では広々としたヤードをなしていた貨物線はいつの間にやら二本の線路へと逆戻りしており、古ぼけた感のある住宅地の右側を築堤で通り抜けていた。
陸前原ノ町駅の構内を通り抜け、駅北側に設けられた広場から宮城野萩大通へと出る。すぐ北側には、国道45号線と交わる坂下交差点。主要道路同士が平面交差するので、渋滞スポットとして道路交通情報を伝える地元のラジオ放送でもおなじみの交差点である。歩道橋が設けられているので、私は高見の見物。交差点を行き交うクルマを見ると、宮城野萩大通側に右折専用レーンがないため渋滞になりやすいように見受けられた。
歩道橋を下りた後は国道45号線を東進する。本日三度目となる貨物線のガードをくぐると前方に国道を跨ぐ形で設けられた苦竹駅のプラットホームが見えた。不意に、苦竹で散歩を打ち切ろうかなと思いかける。時刻はもう10時半を過ぎており、散歩開始から3時間になろうとしている。が、苦竹駅から今日の目的地である東仙台駅までは、1キロと離れていない。だからここは最後のひと踏ん張り。誘惑を絶ち切るかのように苦竹駅手前の交差点を左折する。
左折した先は、町名こそ「平成」であるが、古びた商店が連なる下町的な街並みが続いている。旧字名の「原町苦竹字中原」の方がしっくりくるように感じる。どうして平成なんて町名にしたのだろうか。ちょっと理解に苦しむ。
しばらく歩くと河原町から古城へと抜けた時と同様に東北新幹線の高架橋と東北本線の踏切が登場。長い付き合いとなっている貨物線も合流しており、4本の線路を跨ぐ長い踏切だ。名前を見ると「松岡街道踏切」とある。聞いたことのない街道名なので、ちょっと気になる。
踏切を渡った先の交差点を左折し、住宅地の中の細道をちょっと歩くと、東仙台駅に到着。時計の針は10時45分を指しており、散歩時間は3時間を少しだけ超過した。
東仙台の駅舎は木造で、1932年の開業と同時に建てられたものと推察される。中に入ってみると、天井が妙に高く、格調めいたものを感じる。仙台近郊で歴史的価値を有しそうな駅舎といえばまず北仙台駅が思い浮かぶのだが、この東仙台駅の駅舎も、もう少しクローズアップされても良いのではなかろうか。変に橋上駅舎などにリニューアルされず、一日でも長く今の姿をとどめて欲しいと思う次第である。