2011年1月26日 ~仙台銀行支店巡礼⑭ 南小泉支店・沖野支店・東部工場団地支店(後半)~

沖野支店を出た後は、一気に北上して宮城野区との境界に近い東部工場団地支店へと歩を進める。仙台バイパスまで戻ることも考えたが、沖野の東側、太平洋岸付近まで広がる田んぼの真ん中を歩いた方が距離的には近いので、そちらを行くことにする。
1キロ弱ほど東へと進み、沖野東小学校の敷地を通り抜けると、広々とした田んぼが広がっている。もっとも、今は稲など植わっておらず、荒野同然の風景が広がっていて寒々しさを倍加させる役割しか果たしていないような気がする。
東に向いて、遠方を眺めてみる。以前は貞山堀沿いに広がる防風林まで見渡せたのであろうが、現在はそのずっと手前を南北に縦貫している仙台東部道路の築堤で視界が遮られた形になっている。また、更にその手前には、仙台東高校の校舎も見えている。1987年の開校で、一期生は私と同学齢になる。
その仙台東高校の前まで歩き、今度は西側を眺めてみる。するとどうだろう。仙台の街がきれいに見えているではないか。田んぼの先の住宅群、更にその先の高層ビル群、そしてその背後に控える住宅で埋め尽くされた丘陵に、泉ヶ岳などの山岳… なかなか良い眺めだと思うが、仙台嫌いの人の中には街からさほど離れていない場所に田んぼがあることをバカにする向きもあったりするようだ。確かに田んぼじゃ冴えないかもしれない。チューリップや菜の花といった花卉栽培に転換すれば、多少はマシなイメージになるのかもしれない。
仙台東高校からは北に向きを変え、まっすぐな2車線道路をひたすら歩く。近くに建物がないから距離感覚がマヒする。左手に広がる仙台の街の見え具合が微妙に変化するので、前に歩いていることを辛うじて認識できる感じであろうか。ちょうど霞目飛行場から飛び立ったばかりとおぼしきヘリコプターが、田んぼと住宅街との境目付近をゆっくりと飛んでいたのが、妙に印象に残った。
そんな風景を30分近く歩いたろうか。県道荒浜原町線との交差点を境に、周囲は住宅地へと突然変貌する。ここは、荒井。地下鉄東西線の終点に予定されていることも相俟ってか、ここ10年ほどで一気に宅地化が進んだ地域である。宅地開発は土地区画整理事業として行われたので、沖野ほどのゴミゴミ感はない。
なお、荒井には、従前から仙台市立七郷小学校が所在しているが、ここ数年は児童数が急増しておりなんと1,000人の大台を突破したそうだ。学校の敷地を眺めると、プレハブ校舎が建っているのが目につく。団塊ジュニア世代である私の小学生時代には各地で見られた光景であるが、少子化進行中の現在においてその姿を見られるのはある意味貴重かもしれない。もっとも、プレハブ校舎で学ばなければならない子供達はかわいそうだと思うし、早いところ校舎の増築か新しい小学校の開校に踏み切ってくれると嬉しいのだが。
住宅街を通り抜け、主要地方道仙台塩釜線(産業道路)へと向かう。この道路の沿道は70年代には市街化が進んでいたから、先へと進むごとに住宅が古くなる。まるで樹木の中を外側から中心に向かって歩いているような気分になる。ここにもまたみやぎ生協が進出しており、看板がチラリと見えた。
仙台塩釜線は、これまでの閑静な住宅街とは打って変わって、ロードサイドショップや飲食店が連なる道路であった。雰囲気としては扇町国道45号線に似ている。その扇町と仙台塩釜線との中間は工場密集地帯になっているから、先ほどの樹木の話の続きをすると、工場密集地帯が中心にあり、その周囲がロードサイドショップ街、古い住宅街、新しい住宅街の順でコーティングされているような感じだろうか。
東部工場団地支店は、仙台塩釜線から700メートルほど北側の、樹木の中心の中の中心と呼んで良い一画にあった。元々この一帯が仙台市の都市計画に伴い仙台市中心部に点在する工場を集団移転させた仙台東部工場団地と呼ばれる地域であり、そのせいかどら焼き製造のこだま、笹かまぼこ製造の鐘崎など、地元で知名度の高い企業も進出しているのが特徴だ。
区域内には会議室、簡易郵便局、歯科医院、そば屋といった施設を館内に有する仙台東部工場団地会館という2階建の建物があり、東部工場団地支店もその隣接地に建っている。つまり、東部工場団地支店は周辺の工場の従業員の福利厚生施設的な色彩が強く、玄関周りには身障者用のスロープが設けられるなど、訪れる人への配慮という点では行内随一の店舗となっている。建物自体は平屋の小規模なものだが、宮城町支店(220)同様、外壁が薄緑色に塗られている。この点でも、この店舗に対する仙台銀行の気合の入れ具合の強さを感じてしまう。
ATMで1,000円を入金。これで残高は29,000円とあと一店舗で30,000円に乗るところまで漕ぎつけた。ところが次の訪問先は仙台駅を挟んで真逆の方角にある八木山支店(231)なので、さすがに今日中に訪問するのは不可能だ。と言うか、東部工場団地支店を訪れた時点でスタートから既に2時間半が経過していたので、今日はここから北に30分ほど歩いた先にある仙石線福田町駅で散歩を終わらせたいと思う。福田町駅宮城野区の所在。若林区内で散歩を終わらせられれば良かったのだが、地下鉄東西線が開通していない現時点ではやむを得ないチョイスである。
適当な道を適当に歩き、梅田川を渡って福田町の商店街へと進む。いや、元商店街と呼んだ方がいいだろうか。藩政時代に足軽町として形成された古い歴史を有し、かつては仙台市役所高砂支所や地元資本のスーパー・モリヤ(福田町が創業地である)を中核施設としてそれなりの賑わいを見せていたのだが、高砂支所はその名もズバリ「証明発行センター」という名の施設に格下げとなってしまったし、モリヤに至っては昨年7月に経営破綻。会社自体は新たなスポンサーを得て再出発を図ることになったが、そのあおりで福田町の店舗は閉店となってしまった。
福田町駅は、その元商店街を通り抜け、国道45号線を渡った先にある。私はこの辺りに土地勘があるからスムーズに着くことができたのだが、国道を渡った先の道(一応県道今市福田線に指定されているが隘路である)を200メートルほど進み、雲洞院という寺院の敷地を過ぎた先で左に分岐する道に分け入った先のドン詰まりに出入り口があるから、初めて訪れる人にとっては非常に分かりづらい位置である。周囲は古びた住宅地で、駅前広場もない。橋上駅舎になっており線路の南北から入構可能となっているのが、唯一の救いと言えるだろうか。
記録によると、福田町駅は1925年の開業とのことである。その頃の駅周辺は一面の田んぼだっただろうし、駅周辺のインフラ整備だっていくらでも手をつけられたと思う。仙山線にも東照宮、北山、東北福祉大前、国見と似たような雰囲気の駅がいくつかあるが、あちらは周囲が市街化されきった後に駅が設けられた経緯があるから致し方ない部分はある。が、福田町の場合は、やれるチャンスがあったにもかかわらずそれをしなかったことに対し、腹立たしさを感じてしまうのだ。
改札を通りホームに立つと、その思いは一層強いものとなる。西側にいくらでも直線区間があるのにわざわざカーブした位置にホームが設けられていることや、近接する駅の多くが相対式ホームなのにこの駅だけが島式ホームであること、すぐ西側に仙石線車両基地があるにも関わらず駅と車両基地とが一体になっていないことなど、不満が湧いて出てしまう。車両基地は1991年に陸前原ノ町駅から移転したものであるが、その際に福田町駅も移転して車両基地と一体化した形態にしておけば、すべては解決したはずなのに…