2011年1月30日 ~仙台銀行支店巡礼⑮ 八木山支店(後半)~

大橋を渡る。この時点で、散歩開始から2時間が過ぎようかというところであった。
青葉城を前衛とする丘陵が眼前に迫り、これまでと比べて積雪量も多くなっているようだ。あまり酷いようだったら、この辺で散歩を切り上げるという選択肢もありかなと思いかける。
それでも、せっかく仙台城下町の東西軸を歩き通したのだから、少なくとも青葉城までは行ってみたいという欲はある。丘の上にある天守閣を目指し、仙台市博物館の先、かつて大手門があった(戦災で焼失)地点で左折し、つづら折りの山道を行く。この道には遊歩道が整備されており、路面を見ると私の前にも何人か通ったとおぼしき足跡が見られた。これに勇気づけられながら、丘を登っていく。
近年復元された石垣が見えてくると、青葉城に到着。入口には、城内に所在する宮城縣護國神社の大きな鳥居が建っている。個人的には、ものすごく違和感が残る構造物だ。伊達政宗が城下町を築いたことが仙台の街の発展の大本となっていることを考えると、青葉城政宗に対するリスペクトの場とならなければいけないはずだ。が、大鳥居は、それを根底から否定する存在のように見えてしまう。同社が明治維新以降の青葉城を護ってきた功績に対しては一定の理解を示すけれども、あまり出しゃばった行為はとって欲しくない。あの大鳥居は、一刻も早く撤去すべきである。
同様のことは、城内に設けられた展望台にも言える。仙台市街を俯瞰できるスポットとして紹介される機会の多いこの展望台であるが、昨今の高層ビル建築ブームの結果、展望台から見上げなければ全容を拝めないビルが続出しているのである。展望台に建っている政宗の騎馬像は仙台市街を見下ろす格好なので、ここでもまた、政宗へのリスペクトがなされない形になってしまっている。「北関東以北で最も高い」云々というフレーズはもう聞き飽きた。仙台はもっと中身の充実に力を注がなければならないのではないかと思うのだが…
青葉城を通り抜けた後は、竜ノ口渓谷に架けられた八木山橋を渡って太白区に入り、いよいよ八木山へと出る。ここもまた、歩道に足跡がいくつかついており、私のモチベーションを上げてくれる。
が、八木山橋は、何度通っても嫌な橋である。眼下を流れる竜ノ口渓谷との標高差は約70メートル。そのため自殺の名所と呼ばれ、事実自殺防止用のフェンスが正倉院のネズミ返しのごとく厳重に張り巡らされている。仙台の地下鉄でも採用されている駅のホームドアについても同様のことが言えるのだが、人間が動物のごとく扱われているような違和感を覚える。もっとも、人間ほど不従順な動物も他になかろうかとは思う。
リゾート地としての八木山の中核をなす二つの施設、八木山動物公園とベニーランドの間を通って八木山へ。もっとも、今は真冬だから両施設とも閉園中であり、周辺は閑静な住宅街である。なお、西公園で工事風景を見かけた地下鉄東西線は、青葉城の西側を大きく迂回しながら高度を上げていき、八木山動物公園のすぐ近くまで伸びる予定である。開通後は街も姿を変えているだろうかといろいろ想像してみる。
八木山支店は、動物公園の正門から南に500メートルほど歩いた地点にある。八木山支店も動物公園も同じ八木山本町一丁目に所在するのだが、道程は一方的な下り坂であり、同じ町内なのに標高差はかなりあるように思われた。
ATMで1,000円を入金。これで、訪問店舗数は区切り良く30となった。
次の訪問先は初の「出張所」となる太白出張所であるが、八木山支店を訪問した時点で散歩開始から3時間近くが経過しているので次回の訪問に回すことにし、今日は坂を下って太子堂駅まで歩くことにする。同じ太白区とは言え標高差は100メートル以上で一方的な下り坂。スリップに要注意だろうと警戒していたのだが、斜面が日当たりのよい南向きであったことや南中時刻が近付いていることなど好条件が揃っていたお陰もあり、そのこと自体は杞憂に終わった。ただし、溶けかかった雪が路肩に寄せ集まっていたせいで、靴をだいぶ汚す羽目になってしまったのだが。
そんな一帯を通り抜け、坂を下りきると、旧国道286号線に沿って展開している西多賀の商店街。中核となっているのはここでもみやぎ生協である。今回の散歩では詳述を避けたが、新田東や八木山にも、みやぎ生協の店舗が存在する。一回の散歩につき2、3店舗は見かける計算だ。仙台銀行より頻度が高い。
旧、新の順で国道286号線を渡り、地下鉄の南の終点・富沢駅方面へと歩を進める。途中で多賀神社への案内板を何度か見る。この神社は西多賀(旧名取郡西多賀村)の地名の起源となった神社であり、現在の町名で言うと西多賀と富沢との境界を流れる木流堀沿いに鎮座している。地名がただの「多賀」ではなく「西多賀」なのは、旧名取郡内には「東多賀村」もあったことに由来しており、当該村の由来となった多賀神社は名取市高柳に鎮座している。なお、東多賀村は1928年に町制施行した際に閖上(ゆりあげ)町と改称してしまったため、現在この地域を東多賀と呼ぶ慣習は残っていない。
西多賀の成立過程とは微妙に異なるが、仙台近辺には、かなり離れた個所に「北」と「南」、「西」と「東」を冠した対になる地名が置かれるケースがしばしば見られる。いずれも同一郡内における同一名称を避けるための措置だという。例えば前回の散歩で訪れた南小泉支店(228)の所在地である南小泉と対になるのは松島町北小泉であり、松島町の方は現在もそうであるが南小泉もまた仙台市に編集される以前は宮城郡に属していた。
その多賀神社の鎮守の森をチラリと掠め、富沢へと入る。仙台市体育館や高架駅となっている富沢駅を中心に1980年代から90年代にかけて開発が進んだ住宅地だが、ここ数年は富沢駅の南西で新たな宅地開発が進んでいるとのこと。人口が急増しなんと昨春には小学校が新設されている。この辺りは、次回の散歩で歩く予定を立てている。
地下鉄の高架橋(妙な表現だが…)を過ぎ、旧笊川を渡ると、これまでとは打って変わって、二十人町と同様従前の住宅が撤去されきった後の更地が広がっていた。そう言えば、かつてこの辺りに住んでいた勤務先の大先輩が、土地区画整理事業の影響で転居を余儀なくされたと話していたことを思い出した。それにしても、富沢駅の周辺は各年代でロプノール湖のように変転しながら絶えず開発が行われているものだなと驚かされてしまう。この辺りは、果たしてどんな街に生まれ変わるのだろうか。くどいようだが、転居した大先輩のためにも、魅力ある空間の創出に、是非とも力を傾注して欲しいところである。
終点の太子堂駅は、この界隈を東へと500メートルほど進んだ先にある。到着時刻は、11時47分であった。