2011年2月16日 ~仙台銀行支店巡礼⑱ 利府支店・高砂支店(前半)~

前回の散歩で仙台市内にある店舗はすべて始末したが、仙台ブロックの枠組では、利府(235)、高砂(236)、吉岡(237)の3支店が未訪問で残っている。
今日はこのうち、利府、高砂の両支店を、訪問したいと思う。いずれも仙台市の北東部に位置するので、まとめて訪れても散歩時間はさほど長くはならないと思われる。
いつものように、桑折駅発6時29分の下り始発電車に乗車。仙台駅で乗り換えて起点となる岩切駅に着いたのは、7時55分のことであった。岩切駅の周辺には企業や高校の集積はないから降りる客は少ないと思っていたのだが、コートを羽織った勤め人らしき降車客が意外に多い。彼らはどこに向かうのだろう。ストーカーのようにいちいち確認する訳にもいかないから、余計に気になる。
雑念を振り払うかのように、県道利府岩切停車場線を北上する。沿道は、2000年代に入ってから区画整理で新しく整備された住宅地。岩切駅周辺は仙台近郊にしては田舎っぽさが漂うイメージがあったのだが、完全に払拭された格好だ。一軒だけ、錆びついたトタンを屋根に乗せた平屋の建物がある。あ、これこそがかつての岩切のイメージに相応しい建物じゃないかと思って近づいてみると、わざとそういう装飾を施した上で近年開店したラーメン屋であった。
県道を更に進むと、利府街道(主要地方道仙台松島線)との交差点に差し掛かる。ここを右折。なお、交差点の手前で、行政区画が仙台市から利府町へと変わる。
利府街道の沿道は、ロードサイドショップ街。さすがに仙台近郊を代表する幹線道路だけある。ただし、利府町に関して言えば、1970年代までは人口1万人前後の小さな町であり、仙台都市圏の拡大に伴って急激に人口が増加した経緯を有している。なお、現在の利府町の人口は、約3万4千人である。
人口が少なかった頃の名残は、時折見られる市外局番「022356」(1986年まで使用)を掲げた商店や、沿道に点在する観光梨園などに一応見られる。しかし、頭上高くを通っている仙台北部道路東北新幹線、更に左手の丘陵に展開する住宅地群が、これらを上書きするかのように立体的に広がっている。右手には新幹線総合車両センターのドデカイ建物が広がっている。1982年の東北新幹線開業と同時に稼働したこの施設が、利府町快進撃の端緒となったようにも思う。
新幹線車両センターが視界から消えると、利府町の中心街。イオン利府ショッピングセンターやMOVIX利府といった施設を中核とし、利府街道沿いにロードサイドショップが広がっている。旧来の市街地はこの東側、東北本線利府枝線の利府駅周辺に展開しており、両地域の中間には「中央」の町名を冠し区画整理が施行された住宅地が広がる構図となっている。利府支店は、その住宅地の真ん中に所在している。
支店前の道路は、町内に所在するグランディ21(宮城県総合運動公園)の中核施設である宮城スタジアムに因み「宮スタ通り」と命名されている。宮城スタジアムが2002年にワールドカップの会場となったこともあってか、歩道にはサッカーボールを象った街路灯が整備されている。あの大会では地元開催ということもあり日本代表が健闘し、決勝トーナメント進出を果たすという快挙を成し遂げたことを思い出す。宮城スタジアムは日本代表の決勝トーナメント初戦の会場となり、当日はサポーターが押し寄せて大騒ぎになったんだっけ…
ワールドカップに関してはラッキーな要素が重なった結果と言えるが、宮城県には時折こうしたバブル的イベントが起こるような気がする。どういう訳か利府町はその現場に居合わせる確率が高く、特にスポーツ関係においては、ワールドカップ以降も、2006年のトリノ五輪で町内の中学校を卒業した荒川静香が金メダルを獲得したり、2009年のセンバツ高校野球利府高校がベスト4に進出したりしている。
利府支店には、8時36分についた。ATMは8時45分に開くから、少し時間を持て余す形になる。区画整理地の近くに広がる旧来の市街地も、ちょっと歩いてみた。元々は石巻街道の宿場町であり、意外に旧家が多い。利府町の表情は、見る方向によって表情が変わる。
ATMで入金を済ませた後は、高砂支店に向かって南下。東北本線利府枝線をアンダークロスすると、住宅地は尽き、田んぼの只中となる。先ほど目にした新幹線総合車両センターを反対側から眺める形になり、その頭上を主要地方道塩釜吉岡線の高架橋が大きくオーバークロスしている。
左手からは細々とした川が近づいてくる。勿来(なこそ)川という。勿来といえば福島県いわき市勿来関に因んだ茨城県境の地名で あるが、実は本来の勿来関(名古曽関)は利府町内にあるという言い伝えが残っていたりする。勿来関は朝廷側から見て北方に住む蝦夷(えみし)に対して「来る勿れ」という意味で名付けられたという意味合いで考えると陸奥国府が所在した多賀城のすぐ北に位置する利府町に方がこの名前に適しているように感じられるが、今のところ歴史的な根拠は存在しない。