2011年2月16日 ~仙台銀行支店巡礼⑱ 利府支店・高砂支店(後半)~

さて、多賀城の名前が出たので、多賀城址にも、足を運んでみようか。利府町南端にある加瀬沼公園を通り抜けた先の丘陵に史跡が点在しているので、そのうちいくつかを回ってみたいと思う。
本来ならば史跡の中枢となる政庁跡を訪れるべきだったのだが、以前訪れたことがあったので、その東側に展開する外郭東門や北門周辺から史跡に入る。掘立柱式で建てられた大きな屋敷の土台などが残っており、史跡らしさを十二分に感じる。
ただ、それ以上に気になったのは、整備された史跡のすぐ脇で畑が展開する風景が広がっていたことであった。日常と非日常が奇妙に同居し、遊歩道と生活道路との境目もつきかねる。畑の真下にも遺構が眠っているのだろうから全部買い占めて史跡公園化してしまえばいいだろうと思いかけるが、畑の所有者にとっても父祖伝来の土地であるだけに対応が難しいところだ。見方を変えれば「こんな鄙びた場所に古代の城跡が!」との演出効果ももたらす訳で、畑を敢えて残しておくのも面白いかもしれない。
政庁へと至る石段や多賀城の正門となる外郭南門の脇を通り、更に南下。東北本線の踏切を渡る辺りから、住宅地へと入る。左手には2001年に開業した国府多賀城駅や1999年に移転整備された東北歴史博物館が見えている。
これらの施設の建設年代からわかるように、この界隈の住宅地は、ここ十数年の間に開発されたものだ。多賀城址の南側に位置するため町名は「城南」となっているが、現在の多賀城市の市街地の広がりから見ると、北西端に所在する。住宅地そのものは多賀城址をある程度意識した意匠になっているようだが、駅周辺にはヤマザワホーマック、まるまつ、ダルマ薬局といったロードサイドショップが展開する普通の駅前風景で、ちょっとがっかりする。
高砂支店の所在する高橋(という名の地名)は、城南から南西に1キロほど、砂押川、仙台臨海鉄道三陸自動車道を樋の口大橋で一跨ぎにオーバークロスした先に位置する。樋の口大橋を渡った直後には田んぼが広がっており、高橋の住宅地は多賀城市ではなく、仙台市宮城野区高砂地区と一続きになっている。だから、多賀城市に所在するのに高砂支店なのである。仙台銀行ばかりではなく、七十七銀行もみやぎ生協も、高橋に所在する店舗が高砂支店、高砂店と名乗っているから面白い。
なお、高橋の住宅地は東部の四、五丁目と西部の一~三丁目に二分され、開発年代も前者は1990年代、後者は1970年代と、大きく異なっている。先に紹介した高砂支店や高砂店はいずれも二丁目に所在しており、四、五丁目に所在する施設は仙台育英学園高校多賀城キャンパスやヨークベニマル多賀城店といった名称が見られ、高砂との縁はさほど強くない。
高砂支店の周辺は、みやぎ生協を核とした商店街が広がっていた。開発年代が古い故か。微笑ましい風景である。空き店舗となった建物も少なくないが、逆に新しくこの界隈に開店した店舗も見られるようだ。その中の一つに、伊達のからあげ屋がある。この店舗の本社所在地は、仙台市ではなく伊達市梁川町。だから福島市周辺には数多く進出している訳だが、まさかこんな所でお目にかかるとは思ってもみなかった。余談だが、この店舗の名称も、高砂店であった。
高砂支店は、みやぎ生協に隣接して建っていた。店内には地元の人が作ったとおぼしき切り絵が展示されていた。ただの店舗ではなく、サロン的に利用されているのが嬉しい。ATMコーナーもお客さんで塞がっており、後ろで数分待つことになった。
入金終了。次はいよいよ、仙台ブロックの最終店舗となる吉岡支店(237)。ただし、高砂支店から北に20キロほど離れているので、さすがに今日訪れることは不可能だ。とりあえず、スタート地点の岩切駅まで戻り、一旦散歩を打ち切ることにする。
高橋から新田(にいだ)に出、七北田川の東岸に沿って歩く。地図で見る限りでは住居表示整備事業が施されていないようなので地名の通り田んぼが広がる風景なのかなと想像していたのだが、予想に反して住宅地が細長く展開しており、川も田んぼも、あまり目にすることができなかった。
前方に東北新幹線の高架橋が見えてきたところで仙台市に再突入し、10時31分、岩切駅着。10時34分に仙台駅方面への上り電車が発車するなので、辛うじて間に合った格好だ。急ぎ足でホームへと進むと、かなり多くのお客さんが電車を待っていた。大雑把に数えてみたところ、100人以上はいるだろうか。平日の午前中で、この人数は凄い。しかも老若男女幅広い構成だ。今朝見た通勤風景といい、岩切は不思議な要素がいろいろと詰まったスポットのように感じられた。