2011年2月19日 ~仙台銀行支店巡礼⑲ 吉岡支店(前半)~

昨年11月にスタートした仙台銀行支店巡礼も、いよいよ仙台ブロック最後の1店舗、大和町に所在する吉岡支店(237)を残すのみとなった。
その点では感慨無量なのだが、さすがはオーラスに残っただけあって、この店舗を訪問するには厄介な問題がある。なんと、周辺10キロ以内に鉄道駅が存在しないのだ。従って、基本的に鉄道駅を起終点とする当散歩において吉岡支店への訪問は長距離行軍覚悟となるし、帰りの足もまたバスを利用せざるを得なくなる。吉岡と仙台とを結ぶバスの時刻表を確認してみたところ、1時間に1本のペースは確保されていたものの、所要時間は1時間10分前後で運賃も980円かかる。仙台からだと福島まで高速バスに乗るのと同程度の時間と運賃を費やさなければならない訳だ。大和町は一応仙台都市圏に包括されているものの、感覚としては仙台とはまた違った遠い街へと訪れるのに等しい。
だからこそ、スタートは見慣れた地点から始めたい。前回の散歩と同じく岩切駅を出発し、県道利府岩切停車場線を北上し、利府街道(主要地方道仙台松島線)との交差点へと進む。前回はここを右折したが、今回は直進。本格的な散歩の第一歩を踏み出す。
交差点を過ぎた先の県道は、4車線の立派なもの。行く先にグランディ21(宮城県総合運動公園)があることに伴ういわゆる国体道路の一種であり、丘陵が続く周囲の景観に比して過剰投資の感が拭えない。ただし、沿道では地域住民がゴミ拾いや街路樹への肥料やりなどの作業に精を出しており、道路環境をできるだけ良くしようとの意図は感じられた。
グランディ21は、緩やかな坂道を登った先にあった。遊歩道が整備され、散歩に励む高齢者やジョギングをする運動部員といった姿も見られる。
園内で最も目につく施設は、やはり、宮城スタジアムであろう。スタジアム本体も、その周辺の広場スペースも、とにかくデカイ。無駄にデカイ。2000年に竣工し、翌年に開催されたみやぎ国体と翌々年に開催されたワールドカップでは活用されたものの、その後は利用価値を失った施設のように見える。アジア大会ユニバーシアードでも招致しないと割に合わなそうだ。前者は広島、後者は福岡で開催実績があるから、同じ地方中枢都市として是非…などと行政関係者が無茶な活動を進めかねないような予感はある。
グランディ21の正門がある東側は住宅地が広がっているが、裏手の西側は木々の茂った丘陵が連なり、人家も田畑も殆どない。昔の利府町内にはこのような風景が至る所で見られたのであろう。確かに住宅地やグランディ21などの開発で利府町内の森林面積は減少の一途をたどっているのだが、その一方で大企業や地元企業が率先して「企業の森」と題して森林整備を進めている箇所もあり、グランディ21の周辺では東北ミサワホーム日本生命などが植林事業を行っていた。面白い試みだと思う。
その日本生命が展開するニッセイ利府の森の脇を通り過ぎると、富谷町へと入る。富谷町内もまた一面の森林であり、仙台のベッドタウンとして単独市制施行も狙おうかという発展著しい姿は微塵も見られない。富谷町内も昔はこんな風景が広がっていたのだろう。1960年代の統計を見ると富谷町(1963年町制施行)の人口は5,000人足らずであり、花山村(現・栗原市)や七ヶ宿町に次いで宮城県内でも最も少ない部類に属していた。
富谷、利府両町のアクセス向上を目的とし1999年に開通した石積(いしづもり)トンネルを通り抜けると、ようやく沿道に田畑や人家が登場する。ただし両側にはまだ丘陵が展開しており、福島県田村地方辺りに似たような風景だ。右手から仙台北部道路の高架橋が近付き、頭上高くを通り抜けて左手へと抜けている。この構図もまた、田村地方を通っている磐越自動車道を彷彿とさせる。
北上するに従って谷は徐々に開け、右手にレインボーヒルゴルフクラブの入口が見えてきた辺りで、主要地方道仙台三本木線へと合流する。三本木は大崎市の地名だ。仙台の影響圏から徐々に離れているんだなと思う。
しばらく鄙びた風景を歩いていると、前方に船形山の姿が見えてくる。仙台市内からだとなかなかお目にかかれない山だ。どうしてかはわからないが「みちのくに来たんだな」との思いが湧いてくる。仙台だって福島だって歴史的に見ればみちのくの一部に相違ないのだが、そう思う理由は私の生活圏が郡山から仙台にかけての範囲にあるからだろうか。いや、田村地方だって私の生活圏から外れた地域なのだが、昨夏に散歩に訪れた時にはみちのく云々の感慨は起きなかった。前回の散歩で多賀城址を訪れたことも相俟って、古代の東北地方に根を下ろしていた蝦夷(えみし)の影響が今なおこの地に残っているのだろうとの先入観があるのかもしれない。