2011年2月19日 ~仙台銀行支店巡礼⑲ 吉岡支店(後半)~

蝦夷の名前が出たところで古代の東北地方に思いを馳せようかと思いかけたのであるが、仙台三本木線から県道西成田宮床線へと入った辺りから、沿道に住宅が増え始めてくる。しかも新しい住宅が多い。どうやら、富谷町の中心部へと近づいているようだ。かつての富谷町中心部は奥州街道の宿場町を起源とした小ぢんまりとした集落だったが、1980年代以降その周辺で宅地開発が進んだ結果、しっかりとした街並みへと変貌を遂げつつあるようだ。
が、宿場町の面影は意外にも結構残っており、旧本陣の内ヶ崎家住宅が現在も造り酒屋として往時の雰囲気を色濃く残しながら建っている他、同家の別邸など蔵造りの旧家が何軒か並んでいる。
ただし、観光資源として活用しようという考えは、あまりないようだ。富谷と同じく奥州街道の宿場町を起源とする私の住む桑折町では今の時期だと中心部の商店街に雛人形を飾り、町に少しでも賑わいを呼び込もうとする意識がある。宮城県内でも、蔵造りの商家が建ち並ぶ村田町中心部において、旧暦の雛祭りに同様のイベントが開催されるという。
桑折町や村田町の取り組みを見知った上で富谷の宿場町を目にすると、ずいぶん淡白なようにも感じる。定住人口が順調に増えているから交流人口を増やすことに躍起にならなくてもいいのかなと、皮肉めいた感想が湧いて出てきてしまう。
現在の奥州街道とも言える国道4号線は、宿場町の西側、丘陵を突っ切るかのように通っていた。丘陵上は宅地開発が進んでおり、ロードサイドショップも展開している。
その只中で、「東京から370キロ」の標識を目にする。300キロの標識が白石市南部の斎川にあったはずだから、同じ宮城県内でもずいぶんと離れているなとの印象を強くする。前方を見ると、丘陵の先に広々とした平地が展開しており、吉岡の街も遠くに見えている。さながら「吉岡盆地」、あるいは吉岡が黒川郡全体の中心地であることを考えると「黒川盆地」と呼びたくなるような光景であるが、そのような表現は寡聞にして知らない。仙台平野の一部として認識されていることが多いようだ。平野という概念は地形ではなく、帰属意識によって決定するものなのだろうかと感じる。
独自の名前がないとは言え、平地はかなり広い。歩けども歩けども、吉岡の街が全然近づいてこない。右も左も一面の田んぼだから、前に歩いているのかどうかの感覚も掴みかねる。唯一、左手遠方に見える七ツ森の山の配列だけが刻々と変化しているので、辛うじて前進していると認識できる程度だ。
そんな風景が30分ほど続いたろうか。吉田川を渡り、やっと大和町へと入る。町境を超えると、プロローグなく吉岡の街へと入る。黒川郡内唯一の警察署である大和警察署や黒川消防本部、公立黒川病院など、黒川郡を代表する施設群が、まずはお出迎え。その他、国道沿道には、ロードサイドショップやアパートが目立つ。吉岡は富谷同様奥州街道の宿場町を起源としているが、1990年代に北隣の大衡村との境界に仙台北部中核工業団地が造成されたこともあり、近年では工場通勤者のベッドタウンとしての顔も併せ持っている。国道沿道もそうだが、その西側に展開している宿場町の南側にも土地区画整理事業に伴い住宅地が造成されており、吉岡支店もその一角に所在している。
吉岡道下の交差点を左折し、住宅地の中を歩く。ただ住宅があるだけではなく、吉岡郵便局や宮城交通及び黒川郡内の各町村のバスターミナルとして活用されている吉岡案内所、まほろばホール(大和町ふれあい文化センター)など、街の中核となる施設もいくつか進出している。吉岡支店は、吉岡案内所とまほろばホールとの中間に建っていた。塔屋に「仙台銀行」と書かれた縦長の看板が掲げらておりその点は野暮ったさを感じたが、建物自体は新しかった。
ATMで1,000円を入金。これで仙台ブロック全店舗制覇である。嬉しいが、たどり着いてみるとまだまだ歩き足りないなという気分や、若干の寂寥感が湧いてくるから不思議なものだ。これは、東邦銀行支店巡礼で福島ブロックや郡山ブロックを歩き通した時にも感じたことである。
ただ、次回の散歩からはこの吉岡から仙台を経て一旦福島県まで帰る訳で、仙台銀行支店巡礼で見落とした箇所やもう一度歩いてみたい箇所を辿るチャンスはある訳だ。次回は早速、吉岡から松島町を目指そうかと考えている。両者の関わりは一見薄そうに思われるが、距離は約20キロと私にとってそんなに遠いものではない。そもそも、大和町に入った際に渡った吉田川は松島町の北部に通じているし、大和町内にある東北自動車道大和インターチェンジは「大和 松島」の標識を掲げており、三陸自動車道が開通する以前は松島の玄関口としての機能も果たしていたのだ。足を運んでみれば、両地域を結び付ける何かが、いろいろと見つかるのではなかろうかと思う次第である。