2011年2月22日 ~とりあえず、自宅まで① 吉岡から松島まで~

2000年代以降における仙台都市圏の拡大に大きく寄与したツールとして、高速バス網の整備が挙げられると思う。
確かに、これに伴い山形、福島の両県庁所在地はまるで仙台市の一部のような存在と揶揄される始末となってしまったのであるが、実は高速バス網の拡充は宮城県内の交通網にも一定の影響を残していることは、あまり知られていない。
とりあえず仙台発着の路線名だけ示すと、石巻・女川線、一迫線、大船渡線(気仙沼市を経由)、加美線、川崎町線、金成線、気仙沼線、佐沼線、築館・栗駒線、登米(とよま)線、鳴子線、古川線、南三陸線、村田・蔵王町線と二桁を数える系統が、対県内諸地域の高速バス路線として運行されているのだ。これはひとえに、宮城県内、特に北部の鉄道網が総じて貧弱なことが一因であるのだが、それにしても多すぎるように感じる。
前回の散歩中断地点である大和町吉岡に向けても、仙台-大和・大衡線という高速バス路線が存在している。1日わずか6往復と需要はさほど多くはないようだが、大和町を含む黒川郡全体が鉄道の通らない地域であるため、ニッチが存在するのだろう。
今日は、この路線を活用し、吉岡まで出てみようかと思う。
いつものように、桑折駅発6時29分の下り始発電車に乗車。仙台駅に7時39分に着いた後は駅構内のコンビニで立ち読みをしながら時間を潰し、駅前のバスプールから8時25分に出発する大和・大衡線のバスへと乗り込んだ。乗客は私を含めてわずか3人。今後の存続に不安を残す客数であるがバスは委細構わず東北自動車道を飛ばし、大和インターチェンジで一般道路に下りて定刻9時06分には吉岡案内所バス停(バスでのアナウンスは宮城交通吉岡営業所前)に到着した。仙台駅周辺では通勤ラッシュに巻き込まれ定時性が確保できるか不安であったが、東北自動車道で見事に修正したのには感服する。高速バスが流行るのもわかるような気がした。
さて、今日の散歩先は、吉岡から20キロほど当方に位置する松島町である。仙台の近くにせっかく日本三景が控えているのに訪れない手はないと思うのだが、松島町内に仙台銀行の店舗が存在しないので、吉岡からの帰途を利用して訪れる策を選択した次第。大和インターチェンジには「大和 松島」の標識が見られ両町は意外に近接した関係を築いてはいるのだが、クルマでも通った記憶のない区間なだけに、強烈なワクワク感を覚える。
吉岡案内所から北へと進み、奥州街道の宿場町を起源とする吉岡の旧市街へと出る。軽い登り坂になっており何故吉「岡」なのかが多少理解できた。
登った先は、上町(かみまち)の商店街。旧市街はここを中心に、北西方向に中町及び下町(しもまち)、南東方向に志田町(したまち)と続いている。松島方面にまっすぐ進むのであれば上町、志田町と進めばいいのだが、訪れる機会がなかなかない場所だから、旧市街をゆっくり見たいとも思う。結局、下町まで歩いた後同じ道を引き返し、上町、志田町と歩くことにした。宿場町時代の面影はあまり感じられなかったが古い商店が多く、黒川郡の中心地として栄えていた様子が感じられた。ただし、歩道が整備されておらず、やや歩きにくい。
志田町を過ぎると国道4号線との交差点。直進すると主要地方道塩釜吉岡線へと入る。 途端に、歩道が登場。沿道は郊外住宅地の雰囲気だが、市街化の度合いと反比例して道路の整備状況が良くなるのが面白い。
そしてこの傾向は、1キロほど東に歩いた先の主要地方道大和松島線との交差点から先で、より顕著になる。沿道からは宅地が退き田園風景となるのだが、道路は4車線のかなり立派なものになるのである。交差点の東側は塩釜吉岡線と大和松島線との重複区間だし沿道には大和インターチェンジへの出入口や仙台北部中核工業団地への接続道路との交差点も所在するからそれなりに交通量が多いのだろう。
行き交うクルマを見ると、大型車の比率が高いようだ。考えてみると、塩釜吉岡線は仙台塩釜港と黒川郡やその北の大崎市とを結ぶ最短経路であり、貨物、物流のメインルートとして活用されてもいるのだろう。道路自体は大和インターチェンジの東側、吉田川を渡る手前で2車線に減少するのだが、通過する大型車に威圧感を感じる。昨年にせっかく仙台北部道路が開通したのだから、大型車はそちらを通ってくれないかと、一歩行者の私は勝手な要望を夢想する。
吉田川を渡り1キロほど東進すると、塩釜吉岡線と大和松島線は再び枝分かれ、大型車の大半は塩釜吉岡線へと進むので、交通量は激減。ようやく周囲の景色を落ち着いて見られるようになる。大和松島線は吉田川南岸に沿って走り、歩道は堤防上にあるので、見通しは良い。
と言っても、周囲は見渡す限りの田んぼである。南北に丘陵が見えるが、そこまで5キロ前後はありそうだ。また、集落は田んぼと丘陵との境目に集中しており、大和松島線沿いには人家が全くない。なんだか除け者にされたような気がして、ちょっと淋しい。
そんな風景が3キロぐらい続くのだが、吉田川支流の西川を渡った先で、大和松島線は吉田川と別れ、南側の丘陵へと徐々に近づく。東北新幹線の高架橋をアンダークロスししばらく歩くと、大郷町へと入る。人口約9千人、鉄道駅も国道も存在しない、宮城県内きっての地味な町である。
町内には「望遠鏡を片手に持ち船に乗った武士」のイラストが、やたらと目につく。町境にも街頭にも、掲げられていた。町のシンボルキャラクターなのだろうが、海もない所なのにどうして船なのだろうと疑問に思いながら歩く。その間、大和松島線は完全に丘陵の中へと入り、軽いアップダウンを繰り返す。
しばらく歩くと前方左手に、道の駅おおさとの新しくて大きな建物が見えてくる。仙台銀行のATMも入居している施設だが、ここにも例の武士のイラストが…と思った矢先、その隣に書かれている文言が、私の疑問を氷解させる。大郷町は、伊達政宗の命でローマへ渡り法王にも謁見した支倉常長ゆかりの地であったのだ。ローマからの帰国後、幕府の鎖国令やキリシタン禁教の影響で表舞台に立つことを許されなかった常長は、この地での隠棲を余儀なくされ、失意のうちに亡くなったという。
なお、道の駅おおさとの周囲は、町役場も所在する大郷町の中心地と言っても良い地域だ。が、規模はかなり小ぶり。どうやら大郷町は各大字の単位で集落が散在しているらしく、明確な中心集落が存在しない町らしい。
町役場を過ぎて更に東進。松島に近づいているはずなのに丘陵のアップダウンは激しくなりつつあるようだ。考えてみれば松島自体が丘陵が沈降してできた多島海だから、納得のいく話ではある。沿道の看板も、松島のホテルを宣伝するものが増えているし、松島国際カントリークラブというゴルフ場が登場したりする。更に進むと、三陸自動車道の松島大郷インターチェンジへの案内表示が登場。このインターチェンジの少し手前で、松島町の町域へと入る。
インターチェンジから先は、周囲は丘陵ながらも道路自体は谷底を行くようになる。前方には主要地方道仙台松島線が見えており大和松島線はそこへと合流するのだが、合流点の少し手前に、仙台松島線とほぼ並行する形で一本の細い道が通じている。仙台松島線に比べて緩やかなカーブを描くこの道、実は東北本線の線路跡だったりする。東北本線は元々岩切から利府まで通っている枝線のルートで開業した経緯を有しており、利府から先も松島町内(町内に松島駅があった)を経て品井沼に至り、小牛田、一ノ関方面へと延びていた。なお、塩釜、松島を結ぶ現行の東北本線のルートは1944年に開通し、現在の松島駅は1956年の開業(当時の駅名は新松島)である。
今はただの農道然としている細道を、列車に乗った気分になって歩く。ちょうど無線放送から、正午の時報が聞こえてきた。チャイムではなく、「エーデルワイス」が流れている。ちょっと優雅な雰囲気が漂う。
しばらく歩くと、住宅地に入る。線路跡がどこだかわからなくなるのが残念だが、この界隈には旧松島駅の駅舎が現存し、松島町健康館という施設として第二の人生を送っているから嬉しい。駅舎は函館本線大沼公園駅と瓜二つの洋風建築。日本三景の玄関口であり急行停車の実績もある主要駅だったから、それなりの風格を感じる。
松島駅の駅前広場は仙台松島線に面している。ここから先は線路跡を追うのはやめて、おとなしく仙台松島線を歩くことにする。沿道には、住宅地が細長く連なっている。周辺風景には不釣り合いだが、かなり大きなマンションも建っていたりする。そして前方には東北本線の高架橋が登場。仙台松島線との交点には愛宕駅が所在する。旧松島駅の廃止に伴って新設された駅だが、ホームのみで駅舎も待合室もない至って簡素な構造だ。ただし、駅前には先ほどのマンションを始め結構住宅が立て込んでいるし、町内唯一の中学校である松島中学校も所在するから、利用客はさほど少なくはないようだ。
この愛宕駅で散歩を切り上げようかと、構内の時刻表を確認する。今現在の時刻が12時21分。12時台の仙台方面への電車は10分に行ったばかりで、次は13時15分発までない。吉岡の街をうろつかなければひょっとしたら12時10分発に間に合ったかもしれないが、特に後悔はしていない。愛宕から2キロほど南にある松島駅まで行けば、同駅発の区間列車が発着しているかもしれないので、一縷の望みを託して更に先へと進む。
愛宕駅から南下すると、ほどなく高城川のほとりに出る。周囲に丘陵が展開する周囲の景観に比して幅が広い川で、河口に近いこともあってか河畔には小船が何艘も繋留されている。繋留自体は河川法違反なのだが、海が近いな…との思いが湧く。気のせいか、潮の香りも漂っているようだ。
更に進むと、国道45号線に合流。松島町役場が所在する松島町の行政の中心地である高城の町を左手、高城川の対岸に見ながら南下する。そう言えば、高城の東側には、仙石線高城町駅もあった。そちらまで歩くのも一興だったかなと思いかけるが、我慢する。高城は次回の散歩の初っ端で訪れるつもりだ。更に、高城から仙石線松島海岸駅付近までは海岸伝いに歩き、松島の風景を堪能したいと考えている。
国道から200メートルほど西へ入った所にある松島駅に着いたのは、12時42分のことであった。予想通り、この駅を12時53分に発つ区間列車があったので、一安心。テスト期間中であろうか、ずいぶん早い帰宅となる高校生の一群に混じって、ホームで待機している列車に乗り込む。実は、この列車の車窓からでも、松島の景色はある程度眺められる。が、散歩に訪れる前に電車で松島見物という仕儀は間尺に合わない感がなくもない。