2011年3月2日 ~とりあえず、自宅まで③ 利府から長町まで~

ここしばらく、仙台の街中を歩いていなかった。
仙台銀行支店巡礼で仙台ブロックを歩き終えた後に出掛けた2月22、26両日の散歩はいずれも仙台市域を経由していないし、その直前、仙台ブロックの仕上げとなる利府(235)、高砂(236)、吉岡(237)の3店舗を訪れた2月16、19両日の散歩も、岩切駅付近を除けば仙台市域に足を踏み入れていない。
そして更に、「仙台城下町の枠内」となると、最後に歩いたのはなんと1月30日。福田町駅から八木山支店(232)を目指して二十人町から中央通を経由して青葉城へと至る仙台城下町の東西軸を歩き通したのが最後である。2月には都合6回散歩に出掛けたが、その間仙台城下町を無視する形になってしまった。
その罪滅ぼしという訳ではないが、今日は利府駅から仙台城下町の枠内を経由して長町駅を目指そうかと考えている。一応「仙台ブロック全店制覇しましたよ」ということで、表敬訪問かつ別れの挨拶をしたいのである。そう言えば、昨夏に全店制覇した東邦銀行支店巡礼の郡山ブロックでも、最終訪問店舗のローンプラザ須賀川支店から自宅への帰途へ就く際に郡山市中心部を経由したことを、ここで思い出す。各々の都市に対するリスペクトがなければ、こんなバカな散歩を継続できるはずもない。
いつものように、桑折駅発6時29分の下り始発電車に乗車。3月ともなると6時前には空が明るくなる。花粉も既に飛び交っており花粉症キャリアの私にとっては受難の季節の到来となるが、今日に関して言えば、前夜から雪が舞っており、冬への逆戻りを思わせる天候であった。
7時39分、仙台駅に到着。利府行の電車は8時06分発なので、しばらくホームで並ぶことになる。意外に客が多い。しかも大半が男性だ。4両編成の列車が到着して車内に乗り込むと、何と座席が埋まった。一体どうなっているのだろうと首を傾げる次第だが、岩切駅を出て東北本線と分岐し、次の新利府駅に到着した時、すべてが氷解した。乗客の3分の2が、ここで下車したのだ。どうやら彼らは、駅前に展開している新幹線総合車両センターへの通勤客らしい。
身軽になった電車は、定刻8時21分、利府駅に到着。さて、散歩スタートだ。
前回の散歩の際には気がつかなかったが、利府支店の前を通っている宮スタ通りは、利府駅前から延びている。まずはこの道、正式には県道利府停車場総合運動公園線という長ったらしい名前の道を歩く。以前歩いた道だから特に見どころはなかったが、利府支店の周囲では、行員が清掃活動に励んでいたのが微笑ましかった。
利府街道(主要地方道仙台松島線)との交差点を渡った後も、県道を直進。サッカーボール型の街路灯こそないものの、利府町役場やロードサイドショップが集中する主要道路となっている。ロードサイドショップと書いてしまったが、県道を北端、利府街道を南端として、店舗網が面的に広がっているようにも見える。この辺りの店舗の商圏は、利府町内を飛び越えて塩竈市多賀城市にまで広がっているとも耳にするのだが、現地を見ると納得だ。
東北新幹線をアンダークロスすると田んぼの中へと入り、砂押川を渡って仙台北部道路をアンダークロスする地点にある交差点で左折し、利府街道方面へと向かう。が、利府街道には入らず、このすぐ北側を並行している旧道=かつての石巻街道を歩く。この街道の利府町内における宿場町は利府しかなかったはずなので街道筋らしい風景は期待していなかったのだが、町南部の菅谷地区など意外に旧家が建ち並んでおり、思わぬ役得。このムードをある程度維持したまま、久々の仙台市へと入る。もっとも、岩切駅周辺の住宅街であるが。
石巻街道における利府の次の宿場町は、岩切駅から見て七北田川の対岸に位置する今市となる。今でこそ岩切駅周辺で区画整理が進み都市的な風景が目立つようになったが、そもそも岩切(旧宮城郡岩切村)の中心地はこの今市であり、かつての村役場の後身施設とも言える仙台市の岩切証明発行センターや、岩切駅周辺をも管轄区域としている小中学校が所在している。今市の町並み自体も、旧家と商店とが入り混じり歴史を感じさせる佇まい。歩道が設けられていないのが玉に傷だが、仙台市内でこういった町並みが見られること自体が貴重なように思う。
今市を過ぎると、石巻街道は丘陵を登るようになる。それまでほぼ並行していた利府街道は特段の勾配もなく丘陵の麓を直線的に通り抜けているので奇異な印象すら抱いてしまうのだが、ひょっとしたら、昔のこの一帯は洪水多発地帯であり、低地を歩くことなどもっての他という状況だったのかもしれない。なお、丘陵と言っても今ではびっしりと住宅が建て込んであおり、残念なことに街道らしさは全く見られない。
坂を下ると、仙台市営バスの東仙台営業所が登場。ここで、石巻街道と利府街道とが合流する。クルマがひっきりなしに行き交う4車線の利府街道を歩いても味気ないので、500メートルほど西にある東仙台駅入口の交差点で右折し、仙台東照宮方面へと歩を進める。特に道路名はないが、東仙台営業所と仙台駅方面とを結ぶバス通りになっている他、東北公済病院宮城野分院、光ヶ丘スペルマン病院、青葉病院など、病院がやたらと多いのが特徴だ。一部区間は、昨年12月13日に仙台東口支店(215)から南光台支店(216)を目指す際に歩いている。特段の懐かしさは感じなかったが、あれからもう2ヶ月半が過ぎたのかとも思う。
青葉区に入り、小松島小学校の脇を通っている細道へと分け入る。ちょっと歩くと仙山線東照宮駅があり、細道はホームの真下を通過していく。妙なアプローチになるが、これで、仙台城下町の枠内へと入る。なお、この細道は、1956年に廃止された仙台鉄道(北仙台~中新田(現・西古川)間)の線路跡でもある。この鉄道が今も現役で走っていてくれたならば、泉ヶ丘(217)、大富(224)、そして吉岡の各支店を訪れるのも楽だったろうにと思う。事実、人口増加や企業進出が相次いでいる富谷町や大和町では軌道系交通機関の建設を熱望する声もあるという。これに対する宮城県仙台市の対応はつれないものなのだが、鉄道や新交通システムではなく、名古屋ガイドウェイバスのような路線だったら整備可能のような気がしないでもない。
線路跡の細道は北仙台駅の近くまで残っているのだが、辿るのは宮町の商店街との交差点までとし、ここから先は商店街を南下する。宮町支店(208)の所在地でもあり、仙台銀行支店巡礼の初期ではお世話になる機会が多かった商店街でもある。仙台城下町再訪の初っ端がこの街で正解だったな…と感じる。
北一番丁との交差点で、右折。宮町寄りは商店街とも住宅街ともつかない下町チックな風景なのだが、愛宕上杉通を渡る辺りから、NHK仙台放送局やドコモ東北ビルなど企業の社屋が目立ち始め、外記丁・外記丁通との交差点から先は、宮城県庁の裏手を進むようになる。正面ではなくて裏手というのがちと情けないが、北一番丁の向かい側に青葉区役所の建物があるので、致し方ない。これまでの仙台銀行支店巡礼で宮城野、太白、泉、若林の各区役所の前を通過していたので、ここでどうしても青葉区役所の前を通りたかったのである。
これで仙台市内すべての区役所前を通過したぞと自己満足に浸っていると、現前には勾当台通との交差点。そしてその先には、仙台市役所の本庁舎が見えている。8階建ての大きな建物であるが、竣工が1965年というから築46年。老朽化は確実に進んでおり、近い将来の建て替えは必至だ。現在地での建て替えになるのか、はたまた移転することになるのか。できることなら前者を希望したいが、思い切ってあすと長町辺りに移転するのもアリかもしれない。
その市役所から南に向かって延びているのが、一番町のアーケード街。昨年11月12日、仙台銀行支店巡礼の初っ端にここを通ったので、最後のお別れでも通りたいと思う。時計を見ると、間もなく11時。通りは賑やかさを増し始めた時間帯といったところであろうか。一番町買物公園、ぶらんどーむ一番町、サンモール一番町と、性格の異なる商店街を一気に南下する。
アーケードは南町通との交差点で尽きるが、もう少し一番町を南下し、奥州街道との交差点で左折。古くから続く商店が連なる沿道で思いっきり異彩を放っているのが、仙台トラストタワー。個人的感傷も相俟って、この建物はどうも好きになれない。なるべく上を見上げないように注意しながら、柳町、北目町、上染師町、田町と南下する。東北大学の本部や東北学院大学が近いせいか、学生らしき通行人と何度かすれ違う。彼らはもう春休みに入っているのだろうか。表情に余裕が感じられるようにも見える。
奥州街道は田町から先若林区に入って荒町、南鍛冶町、穀町、南材木町、河原町仙台城下町を南下するのだが、私は薄情にも田町と荒町との間にある国道4号線(愛宕上杉通)との交差点を右折し、愛宕大橋で一気に広瀬川を渡り、太白区へと入ってしまう。なお、愛宕大橋南詰に所在する越路(こえじ)までが、仙台城下町の枠内となる。
その越路で広瀬河畔通と名前を変えた国道4号線を1キロちょっと看過すると、長町の商店街に入る。奥州街道の長町宿をルーツとする太白区の中心商店街であり南西の長町南、東のあすと長町に囲まれて副都心化も進みつつある一角だが、仙台銀行支店巡礼に際しては長町支店(209)を訪れる前後での訪問にとどまってしまった。だから罪滅ぼしの意味でも、今日の散歩では外せないルートであった。
長町商店街の現在の売りは、店頭に店主の似顔絵が貼られていること。いつの頃からスタートしたのかは失念したが、当初は商店街北部の地下鉄長町一丁目駅周辺でのみ行われていた。が、現在では商店街の南端に位置する長町駅周辺の店舗にも貼られるなど、商店街全体に広がっているようだ。商店街のほぼ真ん中に位置する長町支店の店頭にも、支店長の似顔絵が掲げられていた。似顔絵自体に経済効果があるのかどうかは不明だが、店舗との距離が縮まったような気はする。山形県最上町の商店有志など、この試みを模倣する地域もあるようだ。
そんな感じでウィンドーショッピング(?)していると、左手前方に長町駅の高架駅舎が見えてきた。今日はここで散歩を打ち切ることにする。散歩時間は、3時間21分であった。
次回の散歩は、長町駅から一気に柴田郡の東端にある槻木駅を目指す。槻木といえば東北本線阿武隈急行との分岐駅。「福島県への帰還」。そんなフレーズが似合う駅名のようにも感じられた。