2011年4月25日 ~散歩は当分封印~

今日は、4月分の給与の支給日であった。
私の勤務先では、震災による待機期間中の給与は通常時の6割の支給率。私は3月31日まで自宅待機だったから、今月の給与支給額が大幅に減少するのは明白であった。
当然、私に分配される小遣いも皆無。
従って、少なくとも今月は、過去の小遣いからストックしておいたお金で、遣り繰りするしかない。すなわち、昨年から今年にかけての東邦、仙台両銀行の支店巡礼にてコツコツと貯めていたお金を、引き出さざるを得ない状況になってしまったのだ。
このお金は、もう少し殖やしてから、家族旅行その他の資金として活用する腹積もりでいたのだが、非常時故、致し方ない。今朝、東邦銀行にて、ある程度まとまった金額をおろす。
それにしても、散歩道楽がこんな所で役に立つとは思わなかった。話が大きくなるが、個人でも企業でも、内部留保のあるなしが、震災後の行く末を大きく左右するような気がしてならない。
 
ところで、今後の散歩であるが、当分の間、封印せざるを得ないと考えている。
震災の被害もさることながら、福島第一原発事故の影響が、あまりにも大きすぎる。
自宅周辺の放射線量自体は落ち着きをみせる傾向になりつつあるようだが、自宅に近い福島市伊達市の学校で屋外活動の制限が行われているというのに私が散歩道楽を継続するというのも、子供達に示しがつかない話だ。
かと言って、放射能の影響が軽微な宮城県内で散歩を行うのも、公共交通機関網が完全に復旧していない現状では、リスクがありすぎる。白石支店で中断する形となってしまった仙台銀行支店巡礼を再開するにしても、阿武隈急行の福島~瀬上間及び梁川~角田間、常磐線の亘理以南が現時点で運休中であることを考えると、目処など立てようがない状況と言えよう。
封印期間をいつまでにするのかは、現時点では決まっていない。
ただ、少なくとも我が家の子供達が屋外で普通に体育の授業ができ、スポ少や地域クラブの活動にも参加できるようになるまでは、無暗に出歩くべきではないと考えている。梅雨の影響も考慮すると、再開は7月下旬以降だろうか。
 
ただ、これとは別に、震災の区切りとなる日において、何か大がかりなことをしたいとも考えている。
前の記事にも書いたように震災翌日の3月12日に仙台から桑折まで14時間かけて歩いた訳だが、来年の3月、震災から1周年を迎える時期に、丸一日かけての長距離散歩を決行しようかと思うのだ。震災の記憶を、自分の中で風化させないためにも…
が、そうは思うけれども、現時点ではどうしたものか気持ちの整理がまだついていない。それぐらい、今回の震災、特に原発事故は、我々に大きな傷跡を残したのだと痛感する。