2011年7月5日 ~信達地方の今② 桑折から庭坂まで~

前回の散歩で自宅まで戻り、さて今回はどこを歩こうかと、しばし考える。
前回は奥州街道をひたすら南下したからそのまま南下を続けて福島市中心部まで行こうかとか、放射線のリスクを考えると線量の比較的少ない伊達市梁川町がベターかなとか、複数の案が浮かぶ。
しかし、今回の散歩のテーマは「信達地方の今」。東日本大震災福島第一原発事故の影響が各地域にどのように及んでいるのかをできる限り見たい思いが強い。そこで今回は、原発付近の方々が多く避難している飯坂温泉と信達地方特産の果物の風評被害に苦しむ観光果樹園が建ち並ぶ福島市北西部のフルーツライン(主要地方道上名倉飯坂伊達線)を巡り、庭坂駅まで行くルートにしようかと思う。
 
4時半に起床し、5時に自宅を出発。こんなに早く家を出たのは、庭坂駅を発つ福島駅方面への電車が極端に少ないことに起因する。朝のうちは1時間に1本程度の電車が確保されているものの、9時14分発の電車の次がなんと13時48分発なのだ。並行して走るバスの本数が比較的多いので万が一乗り遅れてもそちらに乗れば良いのだが、運賃が倍近くなってしまうからできる限り電車に乗りたい。従って、9時14分発に間に合わせるためには私の歩く速さから逆算すると5時出発という形にならざるを得ないのだ。
まずは、早朝の桑折町中心部を歩く。前日の雨で路面が微妙に濡れているが、今は雨は降っていない。ただし薄暗い雲が垂れこめており、油断できない天候ではある。
奥州街道に沿った商店街を改めて見渡すと、福島蚕糸の工場跡に仮設住宅が建ち並ぶようになった一方で、街道沿いにあった蔵が地震で被災し取り壊しの憂き目に遭うなど、結構変化が著しい。町のシンボルである旧伊達郡役所もまた内部が大きく損壊し見学者の受け入れが不可能になるなど、観光面でのダメージも見られる。
前回の散歩で訪れた国見町で見られたような幟は、特段掲げられていない。ただ、被災者を励ますためのイベントはちょくちょく行われているので、ハードよりもソフトを優先しているとも言える。
商店街の南西端で、県道飯坂桑折線へと入る。ただし、この道路は一部区間の歩道が地震で崩落したため、その北側を並行して通っている旧道をなるべく歩くようにする。睦合小学校の校舎が、旧道の沿道右手に見えている。校庭の表土処理の結果がどのようになったか確認しようかと思ったが、道路よりも一段高い所に校庭があったため、結局見ずに終わる。
東北自動車道をアンダークロスし、果樹園の中をしばらく歩く。左手遠方には信夫山をはじめ周囲を丘陵に囲まれた福島市の市街地が見えている。信夫山の頂上にかかるかかからないかぐらいのかなり低い位置に雲が垂れこめている。まさかプルームではないだろうが、福島市中心部の放射線量の高さ、そしてその現実に翻弄されている人々の心を暗示しているように感じた。
福島市に入り、ほどなく飯坂の温泉街へと入る。十綱橋から摺上川沿岸のホテル群を見ると、恐らく避難者のものであろうか、ベランダに洗濯物が干されているのが目立つ。自宅を追われここで生活していかなければならない方々のことを思うと、切なくなる。
そんな沈んだ気持ちを盛り上げようとばかりに、温泉街では「飯坂温泉は負けない!!」「やるぞ!! おらが町 飯坂 佐藤B作」(佐藤B作は飯坂出身である)などと書かれた幟が、そこかしこに掲げられている。密度的には、国見町よりもはるかに高い。
温泉街の外れにありホテルと同様に多くの避難者が身を寄せているパルセいいざかの前を通ると、玄関先で避難者がラジオ体操をやっているのに出くわした。「おはようございます」と挨拶を交わす。時刻は6時半ジャスト。体操は始まったばかりであり、「♪新しい朝が来た 希望の朝だ…」と「ラジオ体操の歌」が流れている。避難者の方々にも本当の「希望の朝」が再び来ることを願いつつ、先へと歩を進める。
国道399号線バイパスを経由し、フルーツラインへと入る。国道13号線との交差点を渡ると、沿道に観光果樹園が展開する大笹生(おおざそう)地区へと入る。若干ピークを過ぎた感があるが、今の時期メインで売り出しているのはサクランボ。例年だと多数の観光客がサクランボ狩りに訪れ賑わうのだが、今年の客足は低調を極めているという。ある情報によると、なんと9割減だとか。ある程度覚悟していたこととはいえ、いくらなんでも厳しすぎる。フルーツラインの観光果樹園では今後、桃(7月中旬~9月下旬)、梨(9月上旬~11月下旬)、ブドウ(9月中旬~10月下旬)、リンゴ(9月中旬~12月上旬)と半年近くも収穫期が続くのに、収穫の都度こんな結果が待っているのだとすると、本当に嫌になる。
5年後の開通を目指して工事が進められている東北中央自動車道(ちなみに、フルーツライン沿道にはインターチェンジが設けられる予定とか)の築堤を通り過ぎると、集団登校の小学生の姿を発見。大笹生の小学校は私服通学のようだが、大半の児童が半袖着用かつマスクもしておらず、原発事故の影響が及んでいるようにはちょっと目には感じない。ニュース映像に登場する福島市の小学生というと夏でも長袖長ズボンかつ帽子、マスク着用の厳重装備がなされている場合が多いのだが、同じ福島市でも放射線量の高低によって児童や保護者、教師の認識が異なっているのが現実だ。
子供達が続々と登校してくる小学校の辺りで、フルーツラインはその方向を南西から真南へと変える。と同時に、上空からポツ、ポツと雨が降ってきた。前回同様すぐ止むだろうと軽く考えていたのだが雨脚は強まるばかりで、Tシャツも短パンも完全にびしょ濡れ。近くに駅があるのならば散歩を中断していたのだが、この辺りまで来ると最寄駅が庭坂駅になってしまうので、強引にでも散歩を継続せざるを得ない。
そう言えば、この辺りに毎年11月に開催される東日本女子駅伝の折り返し点があったはずだが、この大会は今年も開催されるのだろうかと、ふと考える。復興支援ということも考えると多分開催するのだろうが、放射線量を心配する中学生選手などは出場辞退する可能性がないとも言えないだろう。
昨晩の雨で増水した松川を渡り、梨畑の中を通り抜けると、いよいよ庭坂の集落。奥羽本線(山形新幹線)の陸橋を渡って庭坂駅に着いたのは、8時25分のことであった。9時14分発の電車に乗れればいいやと思っていたのだが、その一本前に庭坂駅に着く8時42分発の電車に悠々間に合った。
 
東日本大震災以降ちょっと雨が降るとすぐに徐行運転や運転見合わせになってしまうJR東日本なので時刻表通りに電車が来るのかどうか少し心配だったのだが、電車はきちんと定刻通りにやってきた。
乗車してみると、乗車率は3割程度だったか。庭坂駅からも結構乗ったから、車内はそれなりに賑わいを見せていた。山形県との県境を越えて運行される奥羽本線の電車は一日わずか6往復だから閑散路線だと勝手に推測していたが、意外に乗客が多い。福島市山形県との交流は、結構密なのかもしれない。
原発事故の影響により放射線量が高い福島市では福島県の内外に避難をする家庭が少なくないのだが、奥羽本線の電車の本数がもう少し充実していたならば、福島県と境を接する米沢市など格好の避難スポットになるのではなかろうか。福島市近郊に勤務先があるのならばクルマでも電車でも通勤可能だし、教育委員会の許可が出るかどうかはわからないが中学生や高校生ならば電車通学もできなくはないと思う。
米沢市内の放射線量は、福島県境に近い板谷地区を除けば、毎時0.1マイクロシーベルトを下回っているようだ。放射線量の側面だけ見れば、福島県から近い割には被曝の危険性を殆ど感じずに生活することが可能な地域と言えるのかもしれない。