2011年7月12日 ~信達地方の今③ 庭坂から南福島まで~
昨日、福島県でも梅雨明けが宣言された。
折からの電力不足、節電を強要されている現状を考えると猛暑の時期が長引くのは勘弁して欲しい面があったのだが、開けてしまったものは仕方ない。それにしても、4ヶ月前の東日本大震災発生当日は小雪が舞い散る天候だったのに、季節の流れるのは早いものだと思う。
さて、1週間ぶりの散歩となった今日は、前回の終点・庭坂駅から、原発周辺からの避難者が多く身を寄せているあづま総合運動公園を経由し南福島駅まで、前回に引き続き、福島市内では比較的線量の低い地域を歩こうかと考えている。あづま総合運動公園を訪れるのは2年ぶりのこと。あの時と今とでどのような変化が見られるのか、気になるところではある。
ところが、散歩を始めるにあたっては、少々厄介なことがある。と言うのも、福島駅から庭坂駅方面への下り始発電車の発車時刻が、7時11分なのである。この電車に乗るためには、桑折駅5時41分発、福島駅5時54分着の上り始発電車に乗らざるを得ない。つまり、1時間以上も福島駅で待つ必要があるという訳。「早起きは三文の得」とは言うけれど、早起きした揚句福島駅で長時間待ちぼうけとなると、逆に数百円分損をしたのではないかと思ってしまうほどだ。
福島駅構内では、跨線橋でパンスレット類を読みながら暇を潰していた。青森県と群馬県でデスティネーションキャンペーンが開催されている関係で、両県絡みのパンフレットやパネルがかなりのスペースを占めていた。現実を忘れ、しばし旅行気分に浸る。
そんな感じでまったりと待っていると、奥羽本線の列車が発着する5番線ホームに、電車がやってきた。2両編成だが車内は高校生で満員。普通列車が1日11往復しか走っていない閑散路線とはいえ、それなりの活況を呈しているのが嬉しい。
高校生が降りた後の電車に乗車。座席は3分の1程度しか埋まらなかった。住宅地や果樹園の中を8分ほど走って、庭坂駅に到着。乗客の大半は庭坂駅までの区間では降りず、板谷峠の登り坂へと消えて行った。前回の散歩の際も少し触れたが、福島市と米沢市との間にはそれなりの交流需要があるようだ。普通列車を増発してくれると嬉しいのだが。
無人の改札口を通り抜け、庭坂の集落を歩く。ちょうど小中学生の通学時間帯にあたっており、何人もの子供達と遭遇する。小学生は半袖半ズボンといかにも夏らしい服装なのだが、学校から指示が出ているのかほぼ全員がマスクを着用していた。一方、中学生はマスクをしていたりしていなかったり。学校によって対応が異なる典型例と言えそうだが、夏本番なのにマスクを着用している子供達を見ていると、原発事故が残した爪跡のように思えてならない。
集落のはずれでフルーツラインに出、南下。前回、前々回と雨に祟られた散歩だが、今日は青空が広がっている。西側の吾妻連峰もよく見えている。山頂付近まで登山やトレッキングに出掛けたくなるような陽気であるが、淡水魚や山菜、キノコなどは出荷制限が続いている品目があるし、沢水だって飲んでいいものかどうか不安が残る。
とは思うものの、吾妻連峰周辺の放射線量は、今現在毎時0.1~0.3マイクロシーベルト程度だったはずだ。平時における我が国の年間被曝限度は自然放射線や医療用放射線を除いて年間1ミリシーベルト、福島市周辺における自然放射線量は毎時0.04マイクロシーベルトだから、常時屋外にいたとしても年間1ミリシーベルト(=1000マイクロシーベルト)÷365日÷24時間+0.04マイクロシーベルト=毎時0.15マイクロシーベルト以下ならばとりあえず年間被曝限度を下回る計算にはなるのだが、そんな所の食品が出荷制限をかけられているというのは、食品の種類によって放射性物質の吸収度が異なるのか、それとも国の基準が厳しいということになるのか、私にはよくわからない。
天戸川を渡り、高湯街道(主要地方道福島吾妻裏磐梯線)との交差点に差し掛かる辺りから、フルーツラインの幅は4車線へと広がる。1995年にあづま総合運動公園をメイン会場としたふくしま国体の開催に伴って拡張されたいわゆる「国体道路」で、クルマの通行量が少ない現状を目の当たりにすると、いささか過剰投資の感がなくもない。沿道の風景もまた、果樹園よりも田んぼの比率が高い。天戸川、須川、鍛冶屋川と小河川を立て続けに渡ったので、水利が良い地域なのかもしれない。余談だが、この辺りはかつて、信夫郡水保村と呼ばれていた。どういう経緯でこの地名がつけられたのかは詳しく知らないが、言い得て妙の気がしなくもない。
その水保地区を流れる最大の河川である荒川を渡る直前、右手にあづま総合運動公園の入口を示す看板が見えるので、そちらへと入る。公園へと延びる道路は桜並木のトンネルのようになっており、4月はきれいな花模様が展開されるのだが、盛夏の今日も、涼やかな木陰を形作ってくれる。歩いていて気持ちが良い。
そう思う人が少なくないのか、年配の男女と何度かすれ違う。「おはようございます」とその都度声をかけるが、出会う頻度がちょっと高い気もする。ひょっとしたら、彼らの多くは地元の人ではなく、避難者なのかもしれない。旧家が点在する福島市民家園の敷地脇を通り過ぎると、その避難者が身を寄せる総合体育館の建物が姿を現す。駐車場には福島第一原発周辺から来たことを示すいわきナンバーのクルマが多く停まっている。玄関前にはテントやプレハブの建物も設けられ、今なお非常時の雰囲気を濃厚に漂わせている。彼らの境遇を思うと、いたたまれない気持ちになる。
ところで、この体育館は冷房が利いているのだろうかと、ふと気になる。高い気温に加え、こもる熱気、人いきれ… 夏本番を迎え、早急な暑さ対策がなされなければならないだろう。
暑さと言えば、明後日14日から、高校野球の福島県予選が開催され、体育館に隣接する県営あづま球場も会場として利用される予定となっている。あづま球場ではこの他にも今月29日にスワローズ対ジャイアンツの試合が行われるなど、放射線を跳ね返さんばかりの稼働ぶりだ。現時点ではメインスタンド前に自衛隊のテントが陣取り物々しい雰囲気であるが、福島県を明るくするためにも、球児や選手、観客が醸し出す熱気に期待したい。
そのあづま球場やふくしま国体のメインスタジアムとなったあづま陸上競技場の脇を通過。この時点で、あづま総合運動公園の敷地に入ってから30分ほどが経過していた。歩いても歩いても出口が見えず、公園の広さにいささか辟易する。路傍を見ると、園内を巡る散策コースの距離表示を示す看板がチラホラ見える。3.5キロ、5キロ、7キロの3コースがあるようだ。7キロとなると、私の脚で1時間15分程度かかる。避難者にとっても程良い体力づくりになるかもしれない。陸上競技場の周囲にも、避難者とおぼしき人たちが何組か歩いているのが見えた。
更に10分ほど歩き、ようやく公園の敷地から脱出する。周囲は吾妻連峰の山懐に抱かれた典型的な農村風景。近くにある佐原(さばら)小学校は児童数30名前後の小規模校であったが、あづま総合運動公園に身を寄せた避難者の子供が通学し始めたため、児童数が一気に100名を超えたなんてニュースも耳にした。
広域農道に架かる小富士橋で、荒川を渡る。川沿い左手に広がるのは、福島市近傍ではキャンプスポットとして知られる水林自然林。が、私はまだ一度も訪れたことがない。今年も多分無理だろう。
一方、左手前方には、トウモロコシ畑の先に鉄筋の立派な建物が見えている。ふくしま自治研修センターという公務員の研修施設で、ここにも避難者が身を寄せているとのこと。その敷地脇を通り過ぎると、国道115号線との交差点に差し掛かる。南福島駅まで行くためにはこの国道を歩く手段もありなのだが、国道の少し南側にその名もズバリ県道南福島停車場線という道路が通っているので、広域農道をもう少し進むことにする。県道との交差点では、大森まで8キロとの表示。大森は南福島駅から2キロほど西に位置しているから、南福島駅までは約10キロ。道のりは結構長い。
県道南福島停車場線はクルマでもあまり通ったことがない道路だったので沿道風景がどのようになっているのか楽しみにしていたのだが、陸上自衛隊福島駐屯地や丘陵上に展開するしのぶ台ニュータウンなど特徴的なスポットがいくつか見られたものの全体的には緩やかな下り坂と田畑とが延々と続く単調な風景で、いささか拍子抜けした。むしろ目立っていたのは今月31日に投開票が行われる福島市議会選挙のポスター掲示板。夏休み中で子供を市外に避難させようという親が少なくない状況なのに、まともな選挙が行われるのかどうか不安が残るところだ。
南福島駅に到着したのは、10時48分のことであった。ちょうど下り電車がやってくるとのアナウンスが流れており、慌てて切符を買い、ホームへと走る。この電車に乗り遅れると帰宅が1時間遅れるから、疲れたのどうのと言っていられない。電車には何とか間に合ったが、ちょっと無理をした。軽い吐き気がする。大量に汗をかいたので身体が水分を欲しているはずであったが、何か飲みたいという気持ちにはなれなかった。
気分が多少落ち着いたのは、電車が福島駅のホームに滑りこんだ時であったか。今度は猛烈な喉の渇きを感じたので、ホームに降り、自動販売機で飲み物を買う。