2011年8月20日 ~信達地方の今⑧ 福島から伊達まで~

「信達地方の今」と銘打っておきながらその中心である福島駅に初めてやってきた我が散歩。これを継いでの今日の散歩では、是非ともやっておきたいことがあった。
それは、今年2月21日にオープンした東邦銀行北福島支店を訪問すること。元々東日本大震災の前に訪問計画を立てていたのだが、ようやく今日になって実現の運びとなりそうだ。
北福島支店は、近接する福島卸町支店と福島中央市場支店とを統合し、福島市鎌田にある福島市中央卸売市場の隣接地に建てられたもの。書類手続上は福島卸町支店が福島中央市場支店を編入した形になるので店舗コードは福島卸町支店と同一になるのだが、移転新築には変わりないから昨年「東邦銀行支店巡礼」を行った当方としては、是非とも足跡を残しておかないと気が済まない。
福島北支店のATMコーナーが開く時刻は、市場に隣接しているだけあって、7時とかなり早い。だから桑折駅発5時41分の始発電車で福島駅に出て奥州街道なり国道4号線なりを北上すれば7時前後には到着できると思うが、逆に早い時間帯から行動できるからこそ、最短経路で到達するのはもったいない気がしなくもない。そこで一計を案じ、福島駅から飯坂街道(主要地方道福島飯坂線)を笹谷駅付近まで北上し、そこからイオン福島店周辺を通り抜けて北福島駅支店へと出ることにした。また、散歩の終点は、伊達駅とした。そのまま歩き続ければ桑折町の自宅まで戻れるとは思うのだが、次回の散歩では伊達市内の保原町梁川町の様子を見たいと考えていたので、同じ伊達市内にある伊達駅で敢えて打ち止めとしたい。
 
福島駅に到着後、駅前広場から飯坂街道を北上する。
この界隈は、訪れる度に、商店が減っているような気がする。代わりに進出してくるのは学習塾やらマンションやらで、昨秋さくら野百貨店の跡に開店したMAX福島を別とすれば商業施設はほぼ皆無。定住者の都心回帰という意味では意味があるのだろうが、福島都市圏に住む約40万人の人々の知的好奇心を満たす場としては、確実に魅力低下が進んでいるように思う。今となっては唯一の見どころと呼べそうなのは福島フォーラム(単館ベースで6館)にMAX福島の5階に入居するワーナーマイカル・シネマズ・福島(同じく7館)と映画館が多いことであるが、両館の映画に対するスタンスの相違が大きなネックとなり、連携も覚束ない状況だ。
福島の街の将来を考えた時、全国に通用する「売り」がどうしても必要になってくると、私は思う。少子高齢化で定住人口が増やせないのならばせめて交流人口だけでも増やし、活気ある街並みを持続できないものだろうか…と考えるのだが、良いアイデアがなかなか浮かばない。福島第一原発事故放射性物質が大量に降り注いでしまったせいもあり、その実現がより遠のいてしまったようにすら感じられる。悔しい。そんな私の心境と歩調を合わせるかのように、上空も、今にも雨が降り出しそうなどんよりとした曇り空だ。
福島フォーラムの先にある交差点で飯坂街道は東北本線福島交通飯坂線の線路をアンダークロスしてしまうが、私はそちらへは行かず、震災の影響で半壊した建物もチラホラ見られる古ぼけた商店街をしばらく北上し、福島県立美術館・図書館の手前にある地下歩道で線路を渡った。比較的新しい雰囲気の地下歩道だったが中は大きく被災しており、どこからかはわからないが水が染み出していた。
地下歩道を出た先は再び飯坂街道。きれいに整備された歩道を北へと進む。
しばらく歩くと、飯坂線の線路が右手に寄り添ってくる。白河の関から北に位置する人口10万人以上の都市で民鉄の郊外電車が走っているのは弘前市福島市のみ。だから飯坂線は福島市の「売り」になり得る存在だと思うのだが、東急電鉄のお古を譲り受けた車両はともかくとして、駅施設が数十年前と同じまま放置されているのはどうかと感じる。かつてはJR富山港線という普通の鉄道だった富山ライトレールのようにLRT化したら面白いのに… などと夢想してみる。
特に松川の鉄橋から北、飯坂温泉の手前にある医王寺前駅まで飯坂街道の東側にべったりと寄り添う区間では、思い切って路面電車化してしまうのも面白いかと思う。偶然にも、福島第一原発の事故以降、福島市にはヒロシマナガサキから被曝医療の専門家が何人も訪れている。路面電車の先進地としても知られている両都市と縁ができたことをもっと有効活用し、この方面でも専門家を招聘し意見を求めてみてはどうだろうか。
そのように考えるのは、ただ単に目先のイメージチェンジだけを求めるためだけではない。この辺りの飯坂街道から1.5キロほど東にはイオン福島店を中心としたロードサイドショップ街が展開しているのだが、飯坂街道からそちらへとクルマで行き来する際に踏切の存在が邪魔になりスムーズな通行ができていない現状があるのだ。路面電車ならば道路信号の指示に従うことになるので、この辺は多少は改善できるかと思う。逆に余計な信号待ちによって飯坂線の定時運行に支障が生じる可能性があるが、ここは「東北地方唯一の路面電車」を走らせている有名税と割り切るしかないであろう。
笹谷駅の先の信号を右折し、そのロードサイドショップ街へと歩を進める。イオン福島店へと通じるこの道には、サティ通りという通称がある。サティはイオンの旧称。震災直前の今年3月1日に変更されたばかりなので、私はこの店を未だにサティと呼んでしまうし、恐らく大多数の福島市民にとってもそうであろう。慣れ親しんだ固有名詞は一朝一夕に記憶からリセットされるものではない。
沿道に多種多様なロードサイドショップが建ち並んでいるサティ通りであるが、周辺をつぶさに覗いてみると、空き地も結構目立つ。この一帯では新しい小学校の建設用地も確保しての大規模な区画整理が行われたものの、未だ小学校は建設されないまま。イオンの西隣に確保された小学校用地は現在、原発付近から避難してきた人たちが住む仮設住宅が建ち並んでいる。プレハブ平屋建の住宅に横付けされたいわきナンバーの車両… 胸が痛む風景だ。
国道13号線を横断し、更に東へ。東福島貨物駅の脇を通り、東北本線阿武隈急行、そして東北新幹線を立て続けにアンダークロスすると、左手に福島市中央卸売市場の敷地が登場する。市場の正面玄関に隣接してかつて福島中央市場支店が入居していた建物があった。既に店舗もATMコーナーも撤退しており、「東邦銀行北福島支店 200メートル先左側」と書かれた立て看板だけが掲げられている。
その案内に従って進むと、褐色の外観が印象的な北福島支店の建物が見えてくる。ATMコーナーへと入ると、ズラリと並んだ5台のATMがお出迎え。店舗統合の結果誕生した支店だけあって、さすがに充実している。
早速1,000円を入金。偶然にも今日が利息の振込日であり、4円が入金された旨の記帳もされる。たった4円。されど4円。何にしろ残高が殖えるのは嬉しい。
北福島支店を辞した後は卸売市場の東縁に沿って北上。八反田川を渡ると前回の散歩の際乗り換えでハマった卸町駅前の街並みへと入る。先ほど福島中央市場支店の跡を通ったので福島卸町支店の跡にも立ち寄ってみる。ATMコーナーも含めて店舗は撤退していたが、建物はそっくり残っていた。今後この土地、建物はどうなるのだろう。少し気になるところだ。
卸町から更に東進し、奥州街道へと出る。終点の伊達駅に向かって北上。北幹線(県道飯坂保原線)を横断すると、左手に福島学院大学のキャンパスが登場する。震災で倒壊した本館キャンパスは既に取り壊されていてその爪跡を伺うことはできなかったが、周囲を見回すと瓦屋根にブルーシートを載せた家屋が結構目立つ。局地的に強い揺れがこの界隈を襲ったのかもしれない。
この傾向は、更に奥州街道を北上した旧宿場町の瀬上でも散見された。壁面が大きく剥落した土蔵もあり、震災の被害の大きさを否が応でも感じてしまう。
が、それ以上に私が気になって仕方がなかったのは、実は上の子の担任の先生が瀬上にお住まいだ、ということであった。こんな具合にブラブラ歩いている所を万が一にも見られてしまったらどうしよう… と、頭の中でいろいろと言い訳を考えていたのである。先生は震災の翌日に私が仙台から桑折まで歩いて帰ったことをご存知なだけに、バッタリ会ってしまったら「いや~、こないだのこともあるし、イザという時の訓練をしているんですよ。ハハハ…」とでも苦笑いするしかないだろうか。ブログのことは多分ご存知ないと思う。間口はあまり広げたくない。
そんな心配(?)をしていたので沿道の風景に気が回らなかった瀬上であったが、結局杞憂に終わり、摺上川を渡って伊達市(旧伊達町)へと入る。やれやれ一安心と思ったのも束の間、確かこの界隈には下の子の担任の先生がお住まいだったことを、唐突に思い出す。この先生もまた、私の徒歩帰還のことをご存知だ。遭遇しないことを祈りながら、伊達駅へと早足で歩いた。