2011年9月1日 ~仙台銀行支店巡礼(21) 角田支店~

前回の日記に書いた通り、今回の散歩から、仙台銀行支店巡礼を再開しようと思う。
訪問予定店舗は、角田支店(302)、丸森支店(303)、大河原支店(304)、船岡支店(305)、岩沼支店(306)、名取支店(307)、名取が丘出張所(308)、亘理支店(309)、そして塩釜支店(401)の計9ヶ所。亘理支店から塩釜支店までの間は、海から程近い主要地方道塩釜亘理線を歩いてみようかと考えている。津波の傷跡、そして復興への槌音。双方を目の当たりにするに違いない。なお、塩釜支店は、津波の被害を受けたため仮店舗で営業しているそうだ。沿岸部を中心に、移転したり内陸にある店舗と統合しブランチインブランチの体制で営業している店舗も、いくつかあるとのこと。仙台市内でも、震災で建物が激しく損傷した宮城野支店(207)が至近距離にある仙台東口支店(215)内に移転しているという。
 
桑折駅発6時30分、普段通勤で利用している下り始発列車に乗車。6時49分に、仙台銀行支店巡礼の中断地点である白石駅に到着した。キリ良く6時50分ジャストに、駅舎から出る。
今日はここから、国道113号線を歩いて角田支店まで歩く予定。台風12号の接近で天候が心配されるところだが、降水確率は30%だから多分雨に祟られることはないと思う。ないと思うが、駅の東方、角田方面の丘陵は、霧に隠れてよく見えない。不安を抱えての出発ではなる。
白石駅東側の街並みを通り過ぎ、国道113号線に合流して、斎川に架かる郡山橋を渡る。橋の袂には白石工業高校があり、部活の朝練でもするのだろうか、制服姿の高校生が何人か校舎へと向かっていた。
橋から先はしばらくの間住宅地が続くが、これが尽きると緩やかな登り坂となる。意外に際どい箇所も経由しているようで、道路脇の法面が崩落して片側交互通行を余儀なくされていたりもする。
それでも、通行量はそれなりにある。白石市から仙台方面への最短ルートは、国道4号線経由ではなく、国道113号線⇒県道北白川停車場犬卒塔婆(いぬそとば)線経由なのである。そのことを知っていたから3月12日に仙台から桑折まで歩いた際に私もまたこのルートをチョイスしたのであるが、半年ぶりの来訪にも感慨めいたものは特になかった。元来が冷たい性格だからかもしれない。
ただ、国道と県道との分岐点で営業しているコンビニの建物を目にした時は、さすがに心を揺さぶられた。あの時、被災者に買い占められて店内の陳列棚がガラガラになっていたこのコンビニで、炭酸水と缶コーヒーを買ったんだっけ。あの時のイメージが強烈だったから無事に営業再開できるのかなと少し心配していたのだが、駐車場にはクルマが何台か停まっていたし、一瞥した感じでは特に問題はないようで、嬉しくなる。
が、ここから先の国道は、ちょっと厄介な問題があったりする。歩道がないのだ。路肩に身を寄せながらソロリソロリと進むが、すぐ脇をクルマが通過するのはやはり怖い。以前にもどこかで書いたが、宮城県のドライバーは福島県のドライバーに比べて歩行者に気を配らないタイプが多い。「俺は車道を走る。だからお前は路肩を歩け」そんな感覚なのだ。福島県のドライバーならばセンターラインを越えて大きくよけてくれるところなのだが。
なるべく幅の広そうな路肩を選びながら丘陵の中の国道をしばらく進むと、角田市へと入る。
振り返ってみると、散歩で角田市を訪れるのは、2008年9月2日以来のことであった。私の記憶が正しければ、確か福田康夫首相が辞意を表明した日だったと思う。たった3年前の出来事だが、あれから首相が4人も代わったことを思うと、ずいぶん昔のことのように感じてしまうから不思議なものだ。
いや、不思議ではないかもしれない。東日本大震災福島第一原発事故を境にして、私たちの認識や感覚は、かなりの転換を迫られたように思う。シーベルトやベクレルなどという単位は、知りたくもなかった。いや、これは福島県民に限った認識か。宮城県民と共有できるかどうかすら、怪しいかもしれない。
登り坂が延々と続く白石市内とは打って変わって、角田市内の国道は下り坂が続く。これが尽き、山と野との境目に位置するのが、高倉の集落。小学校もあり、結構大きな集落だ。その小学校の名前であるが、角田市に合併するまでこの辺りが伊具郡西根村だったことに因み、西根小学校となっている。角田市内には阿武隈川の東岸に旧伊具郡東根村や東根小学校があるから、これと対になっている地名ということになるのだろう。私の住む伊達地方にもかつて阿武隈川を挟んで西根、東根の広域通称がありその名残が農業用水の名前に残されているし、山形県東根市も、最上川の対岸、寒河江市の近郊に西根という地名が残っていることから推察すると、ひょっとしたらこれらと同種のネーミングなのかもしれない。
高倉の集落から先は、これまでのカーブの多い山道とは打って変わって、田んぼの中を一直線に進むようになる。この辺りから歩道が復活したのでその点では有難いが、延々と田んぼが続くと、距離感覚が掴みづらい。めぼしい建物はなく、はるか遠くに亘理町との境をなす阿武隈高地の末陵がうっすらと見えるのみである。
うっすらと… そう、曇り空はまだ続いていた。というか、霧状の雲は更に濃くなり、ついにはパラパラと雨が降り出してくる。が、周囲は一面の田んぼだから雨宿りできる場所もなく、当方としては前に進む他ない。前方遠くにに、阿武隈急行の車両が通過するのが見えた。確かここからだと、横倉駅がそう遠くない場所にあるはずだが、角田支店に訪れずして散歩を中断するのも何となく癪に障る。雨が降るならもっとザーザー降ってくれれば諦めがつくのだが、ポツポツ状態のままだから、悶々とした思いを抱えながらの前進を余儀なくされた。
とりあえず、角田支店までは行こう。折れそうな心を何とか奮い立たせながら歩を進めると、前方右手に仙南シンケンファクトリーの建物が見える。ようやく角田の街に入った。阿武隈急行の線路をオーバークロスし、角田支店がある旧市街へと進む。
角田支店は、角田郵便局や七十七銀行角田支店が構える中央通りに面していた。中央通りと言っても商店街と呼ぶにはいささか寂れており、地方都市の悲哀を感じさせる通りではある。ただし、角田支店の敷地を見ると、入口が狭く奥行きが深い。これは町屋の区画を引き継いだものであり、その点に関しては、角田の街の歴史を感じさせた。元々角田は、伊達氏の重臣であった石川氏2万1千石の城下町なのだ。
久々に、通帳に1,000円を入金。返却された通帳のページを見ると、なんと3月12日付で利息が1円ついているではないか。通帳を作成し入金を開始したのが昨年11月12日だから今年前半の利息については諦めていたのだが、たった1円とはいえ震災翌日に利息が入ったのはとても嬉しかった。なお、仙台銀行の預金利息は、3月と9月に入金される。今月は何円の利息が入るだろう。そのことを想像するだけでも、散歩のモチベーションがアップする。
角田支店を辞すと、利息に続くご褒美が待っていた。なんと、雨が止んでいたのである。入金を終えたら角田駅に行き散歩を終わらせようかと考えていたのだが、これを改め、もう少し歩いてみようかと思う。次の訪問先が丸森支店だから、少しでもこれに近い駅まで行こう。具体的には北丸森駅まで行くことを想定し、再び国道113号線へと入り南進する。どうして北丸森駅なのかと言うと、ただ単純に、梁川から角田までの各駅で唯一散歩の行き帰りにこの駅を利用したことがなかったから。コンプリートを目指した意図は全くなかったのだが、散歩を初めて5年も経つと、乗降経験のある駅がずいぶんと多いことに驚かされる。
角田市中心部から丸森町との境界までの区間国道113号線は、阿武隈川の西岸に沿っている。そしてその歩道は堤防上と通っているのでクルマを気にすることなく高みの見物をすることができたはずなのだが、震災の影響なのか、歩道は通行禁止となっている。ありゃりゃ。やむを得ず、車道の路肩を進む。この辺りの国道113号線国道349号線とも重複しているから、白石市角田市間よりも通行量が多い。クルマが通過する都度、狭い路肩をソロリソロリと歩いてやり過ごす。そのうち再び雨が降ってきた。歩かなきゃよかったかなと若干後悔する。
丸森町に入り、最初の集落となる木沼へと至る。北丸森駅は、この集落から1キロ近く西に入った所にあった。到着時刻は10時37分で、白石駅を出てから3時間47分が経過していた。周辺には比較的新しい住宅が建ち並んでいたが、駅自体はホーム一本の無人駅。前回の貝田駅に引き続きこんな所で長時間待つようになったらちょっと辛いなと思いかけたが、時刻表を確認すると、わずか7分後の10時44分に槻木行の電車が来るという。雨に祟られてしまったものの、利息が入っていた事といい、北丸森駅での到着タイミングの良さといい、ところどころでラッキーにも恵まれた仙台銀行支店巡礼・復帰第一戦であった。