2011年9月4日 ~仙台銀行支店巡礼(22) 丸森支店~

前回の散歩を振り返ってみてふと思ったのだが、角田市丸森町は、相馬市との関連が結構深いような気がする。フレスコキクチやほこだて仏光堂など相馬市内に本社を置く企業が進出しているし、角田市内の学習塾には塾生の進学実績に相馬看護専門学校の名前が掲示されているし、正確な位置は失念したが角田市内の阿武隈急行沿線には常磐自動車道全線早期開通を訴える看板が建っていた。両地域は意外に身近な存在なのかなと感じる。
更にいろいろ調べている過程で初めて知ったのだが、ほこだて仏光堂は元々丸森町大内で創業し、相馬市に進出したとのことである。やはり、角田市丸森町と相馬市とは従前から相互交流が盛んだったのだろうと推察する。
その基軸として長らく機能していたのは、1999年に廃止されたJRバス角田線であろう。船岡駅を起点とし磐城角田、丸森町、金山(かねやま)町、磐城大内の各バス駅(単なるバス停とは違い駅員が常駐していた)を経由して相馬駅とを結んでいたこの路線こそが、両地域の交流にとって大きな役割を果たしていたはずだ。駅名の中に角田、大内と「磐城」を冠したものが複数あることも、両地域の親近感を醸成する役割を担ったかもしれない。
角田市丸森町は、現在でこそ福島市仙台市とを結ぶ中通りの延長上、白石市大河原町を経由するメインルートに対してサブルートのポジションにあるけれども、歴史的にはむしろ相馬市と仙台市とを結ぶ浜通りの延長上に位置する地域なのだろうと思う。
前置きが長くなってしまったが、今回の散歩では、仙台銀行丸森支店(303)を訪れると同時に、現在は丸森町民バスの停留所となってしまった丸森町、金山町の両バス駅の前も通過する。相馬市との交流の一端を、少しでも覗くことができればいいと考える。
散歩予定日は9月4日の日曜日。台風12号の接近に伴う悪天候が心配だったが、「♪明日は 晴れるかな~」と遠足前日の小学1年生のような心境で、床に就いた。さすがにダンスは踊らなかったけれど。
 
開けて9月4日。
上空は曇り空ではあるものの薄日すら射しており、散歩には支障なさそうだ。
朝食を摂り、桑折駅発7時16分の下り電車に乗車する。いつもだったら6時30分発の下り始発電車に乗車するところなのだが、これだと散歩の起点となる北丸森駅に早く着き過ぎて、丸森支店の前で数十分間右往左往することになってしまうのだ。7時16分発の電車だと阿武隈急行と接続する槻木駅に7時57分着、8時ちょうど発の上り電車に乗り換えて北丸森駅8時19分着というスケジュールになる。これならATMコーナーが開く9時前後に丸森支店到着という理想的な形になるだろう。ちなみに、今日は第一日曜日で、阿武隈急行では600円で1日乗り放題というフリー乗車券を販売している。この点でも、散歩決行には格好のロケーションと言えよう。
ところが、何らかのトラブルがあったのか、阿武隈急行の電車はノロノロ運転。北丸森駅への到着も7分遅れて8時26となってしまった。自分でも納得のスケジュールを組み立てると、かなりの確率でこの手の横槍が入る。ちょっとガッカリである。
まずは、国道113号線(兼国道349号線)に出る。木沼、舘山と、国道沿いに集落が展開する地域を南下する。いずれの集落も、また国道の路面も、一昔前の風景のまま古びている。ここから東に1キロほど西に離れた所にある丸森駅周辺には斬新なデザインの集合住宅が建っていたりするから、この一角だけ取り残されたように感じる。また、国道の東側ではバイパス工事が進行中で、来年度に完成の予定とのこと。そうなると、この界隈の風景はまた変化を余儀なくされることになるのだろう。
木沼以南で国道から離れていた阿武隈川が左手から再び近づく。国道349号線と別れた国道113号線丸森橋で阿武隈川を渡河し、丸森町の中心部へと入る。丸森橋は周辺の風景こそ阿武隈ラインの船着場などもあってのどかな雰囲気が漂うが、橋梁自体は細くて古く、通行上のネックになっていると言われることが多い。北詰には国道349号線との分岐点があるが、そこには信号機すら設けられていない。嘘か誠かは知らないが、もし設置してしまうと信号待ちの車両が橋梁上に滞留してしまう恐れがあり、その重みで橋梁が危険な状況になってしまうからだという話を、耳にしたことがある。だからこそバイパス建設の必要が叫ばれているし、左手を見るとそのバイパスが通る予定となっている丸森大橋も見えている。先ほど見たようにバイパスの工事は現在進行中だが、橋梁自体はほぼ完成したようだ。
丸森支店は、橋を渡って10分ほど南下した先にあった。その少し手前、沿道左手には、かつての丸森町駅が本町と名を変え丸森町民バスのバス停として機能しており、その待合室はやまゆり館という観光案内所として再整備されていた。
この旧丸森町バス停の周囲が、まさに丸森町の中心街である。江戸時代後期から戦前にかけて養蚕や金融業で財をなしたという豪商の屋敷跡をリニューアルした齋理屋敷を中心に蔵造りの商家が点在していて、それなりに趣のある町並みだ。丸森支店の建物もまた、周囲の景観に配慮し和風建築を取り入れたデザインとなっている。齋理屋敷のすぐ南側には七十七銀行丸森支店があったが、こちらも同様のデザインであった。シンボリックな建物が一つでもあると周囲の景観も何となく締ったものになる。その一例を垣間見た気がした。
土産物屋も点在する齋理屋敷の周辺を一瞥してから、国道に戻る。ここから先の国道は南へと直進せず東へと向きを変える。相馬の方角だ。相馬まで足を運ぶつもりはないが、何となく嬉しくなる。この一帯を散歩で訪れるのはもちろん初めてであり、クルマでの来訪を合わせても十数年ぶりではなかろうか。
バイパス工事が進行中の内川に架かる丸森新橋を渡ると市街地が尽き、右手には阿武隈高地の末陵、左手には田んぼ、そして遠くに阿武隈川の堤防という、やや単調な風景が続く。が、そんな一角においても、東北三之橋やケーヒンの工場が進出していたりするから恐れ入る。宮城県で工業が盛んな地域というとセントラル自動車が進出した黒川郡がまず想起されるが、丸森町角田市もまた意外に企業進出が多い。特にケーヒンは角田市内にも工場3ヶ所と研究開発拠点を有し、東京・西新宿に本社を置き多くの海外拠点を有しながら宮城県に根を下ろした地元企業の様相をも呈している。余談だが、同社の工場が進出している縁で、角田市アメリインディアナ州グリーンフィールド市と姉妹都市になってもいる。また、東北三之橋は、相馬市にも工場を有している。そのせいかどうかはわからないが、国道を行き交う福島ナンバーのクルマが徐々に増えているような気がする。
雉子尾川を渡ると、金山の集落に入る。「伊達政宗初陣の地」「城下町金山」などと書かれた看板が建っており、丸森町中心部とは一線を画し独立した地域なのだという矜持を感じる。事実、集落の東側の丘陵上には伊達輝宗政宗父子が相馬氏との戦いで攻め落とした金山城があり、以降この城は伊達氏重臣の中島氏の居館として明治維新まで存続した経緯がある。では町並みもまた斎理屋敷のような歴史的情緒が残っているものかと思いきや、周囲には幡豆工業やメルコジャパンの工場が進出し、新しい住宅も建ち並んでいたりしてその辺はいささか期待外れ。ただし、国道沿いには「金山町駅」の看板を掲げたかつてのバス駅の待合室が、そのままの姿で残されていた。現在も丸森町民バスの金山町バス停として機能しているものの、角田ターミナル(旧磐城角田駅)と大内(旧磐城大内駅)とを結ぶバスが1日3往復訪れるだけの淋しい状況。そして、相馬市とを結ぶ便は、皆無である。
金山から先も国道を歩きたかったが、踵を返して主要地方道丸森柴田線に入り、角田方面へと歩を進める。次の訪問先が大河原支店(304)になることを考えると、今日の散歩は、角田駅を終点とせざるを得ない。丸森町の北東端に位置する小斎の集落を通り抜け、「小斎にまたこさいん」とダジャレめいたコメントが書かれた看板に見送られると、角田市域へと入る。
その角田市だが、今日は市議会議員選挙の告示日とあって、市内のあちこちで宣伝車が飛びまわっており、立候補者が自身の名前や政策を連呼していた。ちょっと複雑な気持ちになる。
というのも、大音量で「ご町内の皆さま!」などと言われたりクルマから身を乗り出してちぎれんばかりに手を降られたりすれば、無視するのが忍びなくなる。候補者と目が合えば、軽く会釈なぞしてしまったりもする。そこで「ありがとうございます!」と言われると瞬間的には気分が良くなるのだが、所詮私には選挙権がない。だから候補者を騙したような気がして、後々気が滅入ることがあったりする。そんな訳で、選挙期間中の自治体にはあまり立ち入りたくないし、宣伝車にも遭遇したくないのが本音である。
だから自然と、早足にもなる。周囲の風景にも気が回らなくなる。田んぼがそろそろ黄金色に染まりつつあることと、路傍を歩くたびに叢からバッタが飛び出て驚いたこと、そのぐらいしか覚えていない。
そうそう、一つだけ、面白いことがあった。角田市枝野のJAだったか、喉が渇いたので当たりつきの自動販売機でジュースを買ったら、何と当たりが出たのだ。そんな体験、散歩経験6年目にして初めてだ。ただ、リュック類を携行していない私にとっては、2本のジュースは若干邪魔。だから1本はその場でラッパ飲みする他なかったのだが。
枝野橋を渡り、角田市中心部へ入る。市議選候補者の声は相変わらずやかましかったが、反面、日曜日だというのに人通りはまばら。中心部を東西に横切る田町の商店街を歩いたのだが、過半数の商店がシャッターを下ろしており、かつて「田町銀座」と呼ばれた(同名のバス停が存在した)面影は微塵も見られなかった。角田市民は、大河原町国道4号沿道のロードサイドショップ街まで買い物に行くことが多いらしい。中通りのサブルートという不利なポジションの悲哀を感じてしまう。
が、それ以上に気になったのは、商店街のどこを見渡しても、角田市の復興を高らかに訴える幟、フラッグ、ポスターの類がまったく見られなかったこと。先月まで歩いていた福島県信達地方ではどこの町でも掲げていたのを私は見ているから、角田市の商店街はヤル気がないんだな… と半ば呆れてしまった。商店街の活性化は、市議選の争点にはならないのだろうか…