2011年9月14日 ~仙台銀行支店巡礼(23) 大河原支店・船岡支店~

前回の散歩の後、9月7日、9月11日と、休日が二度あった。が、いずれも、子供の通う学校の行事と重なってしまい、散歩はお預け。結局、今日9月14日まで、日延べせざるを得なかった。
朝起きると、空いっぱいに広がる青。絶好の散歩日和だが、所によっては真夏日になるらしい。9月中旬にしては暑すぎるかもしれない。
今日は、角田駅から北上し、大河原(303)、船岡(304)と、柴田郡内の2支店を訪問予定。桑折駅発6時30分の下り始発電車で出発し、7時10分着の槻木で阿武隈急行に乗り換える。角田駅方面への列車は7時33分発であり発車時刻は正確であったが、角田駅には定刻より2分遅れの7時51分に到着した。
まずは、大河原に向けて出発。阿武隈急行の線路の東側を流れている尾袋川に沿って北上する。左手には住宅地が展開しているが、右手は一面の田んぼである。稲刈りが近付き稲穂が黄金色に輝いている田んぼが大半を占めているが、早くも稲刈り済の田んぼも散見される。蝉時雨もまだ止まず残暑厳しい雰囲気が強いが、秋は確実に近付いている。
その後も阿武隈急行に沿う形で北上。北郷小学校の脇を通過し軽いアップダウンを越えると、主要地方道亘理大河原川崎線へと出る。この界隈はクルマで一度だけ通った経験があるはずだが、通過時間帯が夜間だったため沿道の記憶は全くない。だからついつい左右をキョロキョロと見渡してしまう。確か右手の丘の上にはJAXAの角田宇宙センターがあったはず。建物ぐらい見えないかなと期待していたのだが、それらしき施設の痕跡は何一つとして確認することができなかった。
この丘は、角田市柴田郡とを隔てる郡界(ついでに言えば磐城と陸前との国界)でもある。軽い登り坂を経て、その名もズバリ「郡界トンネル」を通過すると、大河原町へと入る。トンネルを出た途端、前方に街並みが見えるのが印象的だ。ちょっと見、角田市の市街地より規模が大きく感じられる。
それもそのはずで、自治体全体の人口は角田市3万1千人に対して大河原町2万3千人なのだが、人口集中地区に限って言えば、角田市7千人に対して大河原町1万5千人と逆転どころかダブルスコアの差をつけているのである。宮城県南部は、白石、角田の「市」よりも、大河原、柴田の「町」の方が、何かと元気、活気が感じられる。そんな傾向を反映してか行政機関もまた大河原町に集中する傾向が見られるのだが、後述するように当の大河原町には、その自覚に若干欠けるきらいがある。
東北本線の踏切を渡り、大河原駅前にある大河原支店へ。外壁の改装工事が行われていたが営業には支障なく、いつものようにATMで1,000円を入金。記帳後の通帳を見、9月10日付で3円の利息がついたことを知る。また、大河原支店で区切りの40店舗目の訪問となったため、残高は40,004円となった。
大河原支店からは、旧・旧・国道4号線を東進し、次の船岡支店へと向かう。
柴田郡内における国道4号線の変遷史は、何かとややこしい。国道という概念が生まれた1885年には大河原駅から見て白石川の対岸(北岸)を通っているかつての奥州街道が国道に指定されたのだが、1930年代、現在の柴田町船岡において海軍火薬廠本廠船岡支廠の建設が始まると、東北本線が通る白石川南岸へと移された。その後大河原町内でバイパスが建設されるなど「国道4号線=白石川南岸」の時代が長く続いたのだが、1980年代に奥州街道に近接するルートで柴田バイパスが整備されると、国道4号線は再び白石川の北岸へと移されるに至っている。奥州街道や柴田バイパスは過去の散歩で訪れているけれど、旧、ないしは旧・旧の国道4号線を歩くのは初めての経験だ。国道4号線の歴史を踏まえつつ、心して歩かねばならないと思う。
が、大河原の市街地が尽き、旧及び旧・旧の国道4号線が合流する辺りで、ちょっとした違和感に襲われる。ちょうどこの辺りに、「仙台銘菓・萩の月」で知られる菓匠三全の本社工場が所在するのだ。菓匠三全は元々蔵王町が発祥地であり、その後大河原町に移転したものの、仙台市内に生産拠点を設けた歴史は有さない。にも関わらず「仙台銘菓」というのは、僭称が過ぎるネーミングだと思う。大河原町で生まれ育った菓子だというプライドを有するならば、「仙台銘菓」なんて絶対名乗らない。この辺りの感覚が、大河原町宮城県南部の中心地として名乗り出られない弱みなのかな… とも思う。
菓匠三全の工場や研究所が建ち並ぶ一帯を通り過ぎると、柴田町へと入る。郡界トンネルを通過してからまだ30分ほどしか経っていない。人口集中地区の集積度は高い大河原町であるが、面積は25平方キロに留まる。私の住む桑折町も狭い町だなと思うが、それでも43平方キロはある。
柴田町に入ってしばらくは、右手には船岡城址公園が聳える丘陵、左手には東北本線の線路、そして一目千本桜と形容される桜並木が続く白石川の堤防が展開する。一目千本桜はさすがに葉桜だが、整然とした並木を見ていると、街並みをより良く見せようとする住民の心意気が伝わってくるようで、何となく嬉しい気分になる。そう言えば、角田市中心部にはそういったスポットが見られなかった.。住民意識の面からも、角田市柴田郡に劣っていると思う。
更に進むと丘陵は後退し、船岡の市街地へと入る。小説「樅の木は残った」で知られる原田甲斐の城下町であった船岡だが、街自体が発展をみたのは、先にも少し触れた海軍火薬廠本廠船岡支廠(後の陸上自衛隊船岡駐屯地)の建設が始まってからのことである。街路も碁盤目状だし、町内に仙台大学が所在することもあってかアパートも多く、城下町らしい雰囲気は殆ど見られない。
船岡支店もまた、そんな街の一角にあった。店舗の脇に「銀座通」と銘打った商店街があるのが、歴史の浅さを感じさせる。なお、銀座通については、次回の散歩の初っ端で、歩こうかと考えている。決行日は今度の日曜、18日であろうか。